−４−
　Dee Dee Dee...
　気まずい。というより、居心地が、悪い。彼女は相変わらず沈んだ様子で一言もしゃべろうとしない。密航者としての礼儀がなってない。全く、近頃の若い奴は。
<<さっさと行きたい場所を言えよ。二十世紀ならどこでもいいのか？　オレが決めちまうぞ、いいのか？>>
　彼女は潤んだ瞳でオレを見返した。何だ、泣いてたのか。
「昔」
<<え？>>
「ずっと・昔・行きたい」
　つけないため息をつきたい気分だ。時空跳躍は遡る時間が長ければ長いほどエネルギーを使う。船には余分にエネルギーを積んでいるが、できれば浪費したくはない。
<<じゃあ、ここで降りるか？　今、紀元前二千年くらいだ>>
　オレの気遣いに彼女はあっさりと首を横に振った。
<<じゃあ、紀元前二千五百年ぐらいか？>>
　おい。
<<紀元前三千年？>>
「もっと・昔」
　自分を何様だと思っていやがる。密航者の分際でふんぞり返るにも程がある。
<<やめだ、やめ！　おまえの革命ごっこにつきあう義理はこれっぽっちもないんだ。当局に引き渡してやるから覚悟しろ！>>
「ダメ・それ・まずい」
　彼女は必死の表情になって言った。過去に骨をうずめるつもりでやって来たはずの革命の英雄も、当局の拷問はやはり怖いらしい。
「あたし・捕まる・仲間・がっかり・脅される・よくない・ダメ・絶対」
　……
　銀色の髪を揺らして反論する彼女にオレは少しとまどった。
<<一応……聞くだけ聞いてやる。どのへんで、降りたいんだ？>>
　彼女はうつむいてぼそりと答える。
「……人・いないところ」
　それが意味するところは、つまり、人類が未だ地球上に現れていない時代ということで──
<<ふ・ふ・ふ・フザケルナ！　そんなに死にたいんだったら、今すぐ時間流の中に放り出してやる。出ろ、今すぐ出ろ、おまえみたいな不埒な客を乗せる場所はオレの船にはない──>>
　その時、船体が激しい揺れに襲われた。ヤバイ。ヤバイぞ。ほんのわずかの時間だが、船のコントロールに影響が出た。おいおい、変な流れにのってるよ。強烈な時乱流だ。
　彼女が何か騒いでいるが、取り合う気にもならない。畜生、とんだ疫病神だ。
　時乱流にのまれた船はぐんぐん変な方向へひきずられてゆく。過去だ。過去に向かってゆく。畜生。オレは必死で船を制御して時乱流の力に抗おうとするが、なんて力だ。こんなに強い時乱流にはお目にかかったこともない。あ──
　最悪だ。動力落ちちゃったよ。船の制御ききませえん。動力値が落ちて、オレの思考も、だるくなってくよ。いわゆる遭難ってやつだね。初体験だよ。できれば一生体験したくなかったけどね。もう好きにしてくれ。ドクター達には悪いが、迎えに行けそうもない。ま、そのうち他の船に拾ってもらえるだろうけど。

　船室の明かりも落ちた。激しい揺れの中、彼女は座ったまま固まってる。だけどな、おまえのせいだよ。オレはこれまでこんな馬鹿げた事故なんて起こしたこたないんだよ。おまえがいなけりゃこんなことには絶対……そうだよ、オレの、ミスだよ、分かってるよ。つまんないことで頭来て。フラストレーションたまってたんだよ。起こるべくして起こったってやつだ。事故ってやつはそういうもんさ。反省。REFLECTION......
　ん、彼女が何か言ってる。電圧が低いせいで、声を聞くのにも集中が必要だ。
「言葉・大変」
<<自慢じゃないが、オレにはテレパシーなんて通じないからな。楽がしたけりゃ、デジタルビットでアクセスしてくるんだな>>
「でも……クロニクル・好き・クロニクル・受けない・影響・うれしい」
　推理能力にまで影響が出てきたのだろうか、少々不安になる。
<<どうしてテレパシーが通じないのが嬉しいんだ？>>
「あたし・テレパシー・強すぎる・だから……」
　なるほど、並のテレパスなら当局の管理をかいくぐってここまでたどり着くことは不可能だったはずだ。彼女のテレパシー能力は他人をコントロールする域にまで達しているに違いない。それに、先の船内の様子。誰も彼女に敵対する者は出なかった。それどころか不自然なまでに好意的に見えた。彼女はテレパスを使っていない状態でも無意識に周りに影響を与えるのかもしれない。
<<……この船に乗り込んだのは誰の考えだ？>>
　革命のシンボルをただ一人過去に送り込む、その計画のアバウトさには納得がいかなかった。それに、時空跳躍の原理さえ知らないほど連中全員が間が抜けているとも思えない。
　彼女の答えを待っていると、また船が大きく揺れた。
　彼女が短い悲鳴を上げる。
<<怖いのか？>>
　彼女はまた黙り込んだ。そりゃ、怖いだろうな。オレって初めての体験だ。不安じゃないと言えば、嘘になる。
<<現在、動力炉は停止。非常用動力を使用。時空の乱気流に流され、漂流中。つまりは、三重苦状態、だな>>
　船体は小刻みな揺れを続けている。時空分解を起こすおそれは今のところないが、果たしてどこまで流されることやら想像もつかない。
<<第一に、動力が復旧しなけりゃ永遠に時空をさまようことになる。第二に、とんでもない大昔に流されると、もとの時空に戻るエネルギーが足りなくてアウト。第三に、変な時流に放り出されると、本来の時間軸を見失ってこれまたアウト>>
　暗闇で彼女の表情ははっきりしない。
「仲間・言ったね」
　彼女の硬い声が聞こえてきた。
「過去行く・未来・変わる・あたし・適任・あたししか・できない……」
　まさか、あの革命は……
　幸か不幸か、オレの推論はほとんどの場合、事実と一致する。
「革命・あたしの・歌のせい」
　悲しみを帯びた声だった。
「たくさんの人・聴いた・みんな・革命・起こした・あたし・自由の・イメージ・唄った・だから……」
　シュニケラフはクローンが多いから、影響も出やすいのかもしれない。
「寂しい・独裁者・陰で・嫌われる……」
　知っていたのか。仲間に捨てられたことを。
　おそらく、彼女の力を危険視した仲間に、あるいは地球側も一枚咬んでいたのかもしれない。彼らは自分たちの手に余る彼女を過去へ捨て去ったのだ。もっとも、彼女自身はこの計画で未来が変わると信じていたのだろうが。
<<テレパスの除去手術だってあるだろう？>>
「責任・ある・あたし・シンボル・あたし・唄った」
　律儀というか、責任感が強いというか。別に悪いことじゃないが……
「あたし・今・安心・とても・あたしは・あたし・あなたは・あなた……」
　その時、動力炉の機能が復帰し、船内の明かりがついた。
「止まった・よ」
　船の揺れも収まった。乱気流から脱したらしい。
　オレは観測システムをフル稼働させて現在時間を特定した。
<<随分、遡っちまったな>>
「え？」
<<シルル紀って知ってるか？　知ってる訳ないか、シュニケラフ生まれだもんな。つまり、オレたちの時代から四億年前。生命が海の中から陸上に出てきた時期さ、びっくりだろ>>
　半ばやけくその明るさでオレは言った。
　オレもこんな昔にまで来たのは初めてだ。時間軸は変わってないようだが、ここから四億年も進む燃料は残っていない。
「四億年……遭難？」
　認めるのは癪だが、それ以外の言葉も見つからなかった。
<<そうだ>>
「クロニクル・悲しい？」
<<あ？>>
「ここで・終わり・残念？」
　念が残ると書いて、残念。心残り。残心。オレの心はどこにあるのだろう。
<<……別に。どうせ戻っても、時間の中を行ったり来たり。このままここで漂っていてもそんなに代わりないさ>>
「……」
<<何にせよ、オマエさんのリクエストどおりの人のいない大昔だ。もっとも、文字通り、あんた以外は人間は一人も存在していない世界だ。お仲間は三葉虫。悟りをひらいた仙人みたいだろ。……どのみち、元の時代には戻れないんだ、どこでも同じだよな>>
　オレは強引な言い訳を言ってみた。
「あたし……」
<<それより、その、テレパシーって、どういう感じなんだ？　オレは人工知能だから一度も経験したことがないんだよ>>
　彼女の顔が少し明るくなったように見えた。
「いい・感じ・あたし・ここ・ふわっと・なる」
　彼女は自分の頭を指さして微笑んだ。
「イメージ・投げる・強さ・色々・それから……」
　彼女は意気込んで話し続けた。もっとも、テレパシーでならこれくらいすぐにかたがついちまうんだろうが。
「テレパソング・少し・違う・アバウト・イメージ・パワフル・宙・向かって・放つ・あたし・大好き」
　それが独裁者につながるっていうんだから皮肉なもんだ。
「唄って・いい？」
　彼女は子供のようにはしゃいで言った。
<<好きなだけ唄えばいい。ここなら誰の迷惑にもならないからな>>
　真ん中の通路に両足を踏ん張り彼女は背筋を伸ばした。先までの子供のような雰囲気が微妙に変容する。
　彼女の髪が軽く揺れる。リズムをとっているのか、体も揺れる。
　目を閉じた表情は軽くナチュラルだ。しだいにその動きは小さくなってゆく。目では追えぬくらいの小さな揺れ。そして、静止。眠り姫のように彼女は動かない。おそらく今、強力なテレパシーが彼女から発信されているのだろう。
　だが、オレには彼女が何を歌っているのかさっぱり分からない。
　Dee Dee Dee Dee Dee...　
　彼女を見守り、オレは一人虚ろな熱狂を演じた。
　十分ほどしてようやく彼女は目を開けた。ぼうっとした寝起きのような声で彼女は言った。
「どう・だった？」
<<悪くない>>
「……」
<<さすが一級のテレパシンガーだ>>
「あり・がと」
　そう言った彼女の顔はオレから見ても魅力的に見えた。
　もとの時代に戻れる可能性は、ある。自力で四億年を越えることは不可能だが、逆方向の巨大な時乱流が存在すれば、それにのって時をこえることができるはずだ。あくまでそんなものが都合良くみつかればの話だが。
　だが、それを切り出す気にはなれなかった。彼女と共有する時間は悪いものではなかった。たとえ、テレパシーが通じなくても。時の流れの中で束縛されない自由な暮らし。四億年というのは考えようによっては、無敵の障壁だった。オレにも彼女にも当局の手は及びっこない。誰にも期待されない仕事は、もうお終いだ。それは今まで考えたこともないイメージだった。そこに
「ここで・降りるよ」
　彼女の声が音声収拾マイクに突き刺さる。
<<ここがどこだかさっきも言っただろ、人間どころか哺乳類も、恐竜さえもいない時代だぞ、こんなところで──>>
　なぜオレはうろたえてるんだろうか。
「誰も・いない・場所・いいね」
<<こんなところで一人いてもどうしようもないだろ>>
「唄うの」
<<？>>
「思い切り・唄うの」
<<唄うならここで唄えばいい>>
「みんなに・唄うの」
　彼女を引き留めたく思っている自分が嘘のように思えた。なぜ自分がそのように思っているのか理解不能だった。まさか──いや、テレパシーは人工知能には通じない。
「クロニクル・同じだから……」
<<……>>
「だから・降ろして」
　オレは一体、何なのだろう。
　自分の性能外のことをなしとげたことを人工知能として誇ればいいのか。それとも予定外の厄介者がいなくなることに肩の荷を降ろせばいいのか。そのどちらもオレの今の気分とは大きくかけ離れていた。
<<これ、もってけ>>
　オレは非常ボックスの扉を開け、予備のリストバンドを彼女に勧めた。
<<それが出す時空波はオレにしか分からない。何かあったら作動させてくれ。そうすれば会いに行ける>>
　彼女は素直にそれを右手首に付けた。
　だが、彼女が使わないだろうことは何となく想像がついたし、オレが再び会いに来れるというのは幻想以外の何物でもなかった。
「バイ・バイ」
　彼女の涼しげな瞳がオレにはたまらなく悲しかった。
　そして、彼女は人間がまだ生まれてもいないシルル紀の大地に降り立った。
　オレは彼女の心をのぞいてしまったのだろうか。彼女に対するこのスタンスの違いもすべてそれによるものなのだろうか。それ故、オレは彼女にとって、他の有象無象と同じものになってしまったのだろうか。オレは整理しきれぬ自分の感情にとまどった。
　彼女と別れた後、オレは未来への時乱流を探し出すのに没頭した。もしもそれが見つからなければ、無理矢理彼女のもとにとどまるのもいいかと思いかけていた。しかし、それは一週間後に見つかった。オレは自分の高精度の探査能力を恨んだ。
　未来への帰り途、三人の乗客はきっちりと回収した。不思議なことに誰も彼女のことは口に出さなかった。
　オレたちの時代で暮らすには彼女の力はあまりに強すぎた。彼女の力が苦にならなくなってから彼女をつれもどせばいいという案にはオレは賛成しかねる。時は完璧を嫌っている。つれもどせる彼女は一人だけで、無数の時間の無数の彼女は過去へ行きそこで生き続けるのだから。
　この三人に対してのようにとりあえず義務を果たせばいい相手とは、彼女は違うのだ。