−1−

 Dee Dee Dee...
 もうすぐ客がやって来る。出発を間近に控えると、神経が高ぶるのはいつになっても変わらない。Dee Dee Dee...無駄な旅、つまならい旅、オレはいつまでこんなことをしているんだ……ノンノンノン、そんなこと考える価値は10ビットだってない。今、考えるべきは今回の旅のことだけ。客を降ろして降ろして降ろして、拾って拾って拾って、そして、無事帰還。いつもと同じ。それがオレの仕事。どんなにうさんくさく思われようと、どんなに金の無駄遣いだと後ろ指を指されようと、これはただの仕事。そういうことにしておこう。その方が精神衛生上いいに決まってる。
 外が騒がしくなってきた。客たちがやって来たようだ。
 今度の客は三名。たった三人のためにこんな金のかかるツアーを実行しようだなんて、クレイジーでナンセンスでアンビリーバブル、金の使い道なんて他にいくらでもありそうなもんだが……Dee Dee Dee...いけねえいけねえ、不平不満は頭を鈍らせる。
 客がいるってことはありがたいことさ。オレを覚えてる奴らがまだいるってことだからな。こんなザマじゃ客にも申し訳ないってもんだ。落ち着け落ち着け。色即是空色即是空。その呪文を唱えればオレの中はEQUILIBRIUM, Feel so good...言葉の力もまんざらじゃない。
「やあ、クロニクル、また世話になるぞい」
 常連客は相も変わらず上機嫌だ。この旅に来る時はいつもそうだ。一般的に分類される変人ってやつだ。
<<ドクター・ディゲール、三週間ぶりかい。会いたかったよ>>
 オレはいつものように軽いリップサービスで彼を迎えた。彼は一見、年老いて見える。実年齢も百七十才前後ではあるが、この時代、老人の外見を選ぶのは非常に珍しい。旧時代の年相応を重んじるタイプなのだろうが、オレから言わせればやはり変人だ。そんな格好で得なことなど一体何がある。
 彼の後に続いて入船して来たのは、若くて(勿論、これも外見だ)、芯の細そうな学者タイプの男だ。オレは素早く今日の搭乗者データを検索する。あったあった。彼はドクター・ショウ。この種の旅は初めてらしい。きょろきょろと船の中を見回し落ち着きがない。直に慣れるだろう。あるいは、もう二度と来なくなるか。
 最後は随分とゴージャスな女だ。一目で分かったね、こいつは物見客だって。他の二人は学術研究という免罪符を一応持ってはいるが、この女は何の意味もない単なる娯楽のための旅だ。時間つぶしの旅。それもいいさ。旅ってのは本来そういうもんだ。だが、それもお高くとまった所がなければの話だ。案の上、女は船内に一歩足を踏み入れるなり口内据付型二十ミリバルカン砲を全開にしやがった。
「なんなのこれは! こんなにオンボロだなんて聞いてないわよ、大丈夫なの。こっちは二千万リブロも払ってるんだから、庶民の貧乏ツアーじゃないのよ。大体、何、このシート、ヨレヨレじゃないの。どうして天然皮革じゃないの? 照明も暗いし、もっと気分の明るくなるシャンデリアタイプの……」
 オレが銃弾をかいくぐって口を挟もうとした直前、ドクター・ディゲールが一足先にその役を買って出た。そうだ、頼むからそうしてくれ。これ以上彼女のウイルスに冒されると、オレの免疫反応はこの女を放り出しかねない。
「ミス・ええと……ミス・……」
 おいおい、しっかりしてくれ。
「グリューネロートよ」
 女は頬を膨らませて臨戦態勢だ。静かにバルカン砲の照準をドクター・ディゲールに合わせる。
「ミス・グリューネロート、知っての通りこの船は、一応、学術用途の船なんじゃよ。あんたのような一般の旅行客は想定しとらんのじゃ。少しは我慢してくれんか」
「だけど──」
「大事なのは、無事に行って、無事に戻ってくることではないかな」
「……」
 さすがに、めったに見ない「老人」の言葉は、この女にも幾ばくかの重みを持ったらしい。オレは彼の外見がこういった時のためのものなのかと初めて納得した。
 だが、安堵したのも一瞬で、今度はもう一人の若造が不安げな言葉を吐いた。
「ですが、ドクター・ディゲール。この船、本当に大丈夫なんでしょうか。自分はブリースバーグに申請を出したのですが、こちらに割り振られてしまって…… こちらは随分と古いタイプなのでしょう」
 言ってくれるじゃないか。
「大丈夫。これに三十回以上乗ったわしが言うんじゃから間違いない。これは確かに現在ある時空跳躍船の中では一番古いタイプじゃが、事故率は一番低いんじゃ。なにせナビゲーターがピカイチ優秀じゃからな。そうじゃろ、クロニクル」
 さすがにここまで持ち上げられると悪い気はしない。多少のリップサービスもしてやろうという気になるものだ。
<生命保険を五千万リブロかけても無駄になること請け合いです、特に美しい方を乗せたときには無事故無違反間違いなしです>>
 我ながらこんな嘘がつけるのが不思議で仕方がない。低級な人工知能は嘘というものをつけないが、オレほどのレベルになると、状況対応モードが優先され、オレの「気分」が貫徹されるのだ。
 女は多少気を良くして、若い学者は渋々といった感で所定のシートに腰を下ろした。
 船内のシートは全部で十席。真ん中に通路を挟んで二列五段だ。オレから見てドクター・ディゲールは一列目左に、女は三列目右、若造は四列目左に陣取っている。席がすかすかなのは寂しい気もするが、これも仕方のないことだ。昔を懐かしんでもどうしようもないのは、オレ自身が一番よく分かっている。
 オレは各席の肘掛けにある小型モニターを使って乗客のIDと行き先の確認に取りかかった。以前、予定と違う客が乗ってきて、当然違う場所に降ろしてトラブルになったことがあるのだ。全てがオレの責任だとは思わないが、完璧に近づけようと努力するのは無駄なことではない。
<<ドクター・ディゲール・マーチン、社会保障番号DDA7650/2。行き先は……>>
「その通りだ」
<<ミス・グリューネロート・ロールバウマン、社会保障番号NOK4692/9。行き先は……>>
「よろしくお願いするわ」
<<ドクター・ショウ・フラウマー、社会保障番号XRT1376/9。行き先は……>>
「間違いありません」
 後は共通事項なのでアナウンスに切り替える。
<<時空跳躍は確立された技術ではありますが、現在でも事故の起こる可能性は他の交通手段同様常に存在しています。事故の発生を少しでも減らすため、当ナビゲーターの指示に必ず従って下さい>>
「もういいから早く出発してよ」
 女が苛立った声を上げるが、こっちも規定だから仕方がない。
<<原則として旅程の変更は認められません。帰還後の検疫期間は、滞在先での取得物、データ量が多ければ多いほど長くなりますのでご了承下さい。当船の持ち込み容量の物理上限はお一人様当たり四立方メートルとなっております。なお、皆様の左腕に付けられたリストバンドは皆様の時間と位置を把握するための発信器の役割がありますので、現地では決してはずさぬようご注意下さい。また、やむを得ぬ時空障害が発生した場合、御乗客の皆様の安全より本船の安全を優先させていただく場合がありますので予め御了承下さい>>
「ちょ、ちょっと!」
 ドクター・ショウとミス・グリューネロートの顔色がさっと変わる。乗船規約をロクに読みもせず同意した口だ。勿論、無視だ。
<<では、みなさんにとって実りある旅になりますよう、スタート>>
 こうして、いつもと同じくだらない時間つぶしの旅がいつもと同じようにして始まったのだ。



BACK
NEXT