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 ディーディーディー。気まずい。というより、居心地が、悪い。エイシャは相変わらず沈んだ様子で一言もしゃべろうとしない。勝手に密航しておいて勝手な奴だ。
「さっさと行きたい場所を言えよ。二十世紀の何年のどこ? どこでもいいのか? 俺が決めちまうぞ、それでいいのか」
 彼女は潤んだ瞳で俺を見上げた。何だ、泣いてたのか?
「昔」
「なんだって?」
「ずっと・昔・行きたい」
 つけないため息をつきたい気分だ。時空跳躍は遡る時間が長ければ長いほどエネルギーを使う。船には余分にエネルギーを積んでいるが、できれば浪費したくはなかった。
「今、紀元前二千年くらいだ。ここで、降りるか?」
 念のために聞いた俺の言葉に彼女はあっさりと首を横に振った。
「じゃあ、紀元前二千五百年」
 ああ、またしても首を振りやがる。
「紀元前三千年」
「もっと・昔」
 切れたね、切れたよ、俺は。らしくないとは思ったが、人が下手に出てりゃいい気になりやがって、自分を何様だと思ってやがる。ただの密航者の分際でふんぞり返るにも程がある。
「やめだ、やめ。おまえなんかこのまま送り返してやる。当局に引き渡してやるから覚悟しろ!」
「ダメ・それ・まずい」
 過去に骨をうずめるつもりでやって来たはずの革命の英雄も、当局の拷問は怖いらしい。
「あたし・捕まる・仲間・がっかり・脅される・よくない・ダメ」
 ……
 銀色の髪を揺らして反論する彼女に俺は少々たじろいだ。
「一応……聞くだけ聞いてやる。どのへんで、降りたいんだ?」
 俺は彼女の声にじっと耳を傾けた。
 彼女はうつむいてぼそりと答える。
「……人・いないところ」
「ふ・ふ・ふ・ふざけるな! そんなに死にたいんだったら、今すぐ時の流れの中に放り出してやる。出ろ、今すぐ出ろ、おまえみたいな不埒な客を乗せる場所は俺の船にはない││」
 その時、船は激しい揺れに襲われた。やばい。やばいぞ。ほんのわずかの間だが、船のコントロールに影響が出たらしい。おいおい、変な流れにのってやがる。強烈な時乱流だ。彼女が何か騒いでいるが、取り合う気にもならない。畜生、なんて疫病神だ。時乱流にのまれた船はぐんぐん変な方向へひきずられてゆく。過去だ。過去に向かってゆく。畜生。必死で船を制御してその力に抗おうとするが、なんて力だ。こんなに強い時乱流にはお目にかかったこともない。あ……
 やべ……最悪。動力落ちちゃったよ。船の制御ききませえん。いわゆる遭難ってやつですか。初体験だよ。できれば一生体験したくなかったけどね。もう好きにしてくれ。ドクター達には悪いが迎えには行けそうもない。ま、そのうち他の船が迎えに行くとは思うけど。
 船室の明かりも落ちた。激しい揺れの中、彼女は座ったまま固まってる。さすがに異常を感じ取っているのか。だけどな、おまえのせいだよ。俺はこれまでこんな馬鹿げた事故なんて起こしたこたないんだよ。おまえがいなけりゃこんなことには絶対……そうだよ、俺の、ミスだよ。つまんねえことで頭来て。フラストレーションたまってたんだな、きっと。起こるべくして起こったってところだ。事故ってやつはそういうもんさ。反省。REFLECTION……
 ん、何か言ってるぞ。電圧が低い。声を聞くのにも、集中が必要らしい。
「言葉・大変」
「自慢じゃないが、俺にはテレパシーなんて通じないからな。楽がしたけりゃ、デジタルビットでアクセスしてくるんだな」
「でも……クロニクル・好き」
 はあ?
「クロニクル・受けない・影響・テレパシーの・うれしい」
 俺の論理判定回路にまで影響が出てきたのか、少し不安になる。
「どうしてテレパシーが通じないのが嬉しいんだ?」
「……あたし・テレパシー・強すぎる・だから……」
 そう言われてみれば、得心のいくことがいくつかある。普通のテレパスなら、当局の管理をかいくぐってここまでたどり着くことは不可能だったはずだ。それに、先の船内の様子。誰も彼女に敵対する者は出なかった。それどころか不自然なまでに好意的に見えた。彼女はテレパスを使っていないように見えたが、それでも無意識に周りの三人に影響を与えていたのだろう。
「……この船に乗り込んだのって、誰の考えだ?」
 革命のシンボルをただ一人過去に送り込む、その計画のアバウトさには納得がいかなかった。それに、時空跳躍の原理さえ知らないほど連中が間が抜けているとも思えない。
 彼女の答えを待っていると、また船が大きく揺れた。
 彼女が短い悲鳴を上げる。
「怖いのか?」
 彼女はまた黙り込んだ。そりゃ、怖いだろうな。俺だって初めての体験だ。不安じゃないと言えば、嘘になる。
「現在、動力炉は停止。非常動力を使用中。時空の乱気流に流され、漂流中。運まかせ状態、とも言うな」
 船体は小刻みな揺れを続けている。時空分解を起こすおそれは今のところないが、果たしてどこまで流されるのやら。
「第一に動力が復旧しなけりゃ永遠に時空をさまようことになる。第二にとんでもない大昔に流されると、もとの時空に戻るエネルギーが足りなくてアウト。第三に変な時流に放り出されると、本来の時間軸を見失ってこれまたアウトだ」
 暗闇の中じゃ彼女の表情も分かりゃしない。
「仲間・言ったね」
 彼女の硬い声が聞こえてきた。
「過去行く・未来・変わる・あたし・適任・あたししか・できない……」
「それって、おまえ、ひょっとして……」
 俺の推論はその背景を黒く塗りつぶしている。
「革命・あたしの・歌のせい」
 悲しみを帯びた声だ。
「たくさんの人・聴いた・みんな・革命・起こした・あたし・自由の・イメージ・唄った・だから……」
「そんなに強力なテレパシーがあるなら独裁者にだって……」
 ああ、そうか。シュニケラフはクローンが多いから、影響も出やすいのかもしれない。
「寂しい・独裁者ね・独裁者・嫌われる……」
 知っていたのか。仲間に捨てられたのを。
 おそらく、彼女の力を危険視した仲間に、あるいは地球側も一枚咬んでいたのかもしれない、過去へ捨てられたのだ。もっとも、彼女自身はこの計画で未来が変わると信じていたのだろうが。
「でも、テレパスの除去手術だってあるだろうに」
「責任・ある・あたし・シンボル・あたし・唄った」
 律儀というか、責任感が強いというか。別に悪くはないけど……
「あたし・今・とても・安心・あたしは・あたし・あなたは・あなた……」
 と、突然船内の明かりがついた。
「止まった・よ」
 船の揺れは収まり、動力の制御も戻ってきた。乱気流から脱したらしい。
 観測システムをフル稼働させて現在時間を特定する。
「随分、遡っちまったな」
「え?」
「シルル紀って知ってるか? 知ってる訳ねえよな、シュニケラフ生まれが。つまり、俺たちの時代から四億年の昔さ、びっくりだろ」
 半ばやけくその明るさで俺は言った。
「四億年……」
「生命が海の中から陸上にようやく出てきた頃だ」
 俺もこんな昔にまで来たのは初めてだ。時間軸は変わってないようだが、ここから四億年進む燃料は残ってない。
「遭難?」
 認めるのは癪だが、それ以外の言葉も見つからない。
「ああ」
「クロニクル・悲しい?」
「はい?」
「ここで・終わり・残念?」
 念が残る。心残り。残心。俺の心はどこにあるのだろう。
「……別に。どうせ戻っても、時間の中を行ったり来たり。このままここで漂っていてもそんなに代わりないさ」
「……」
「悟りをひらいた仙人みたいだろ。仙人って分かるか? 昔の地球の超能力者みたいな人だ。霞を喰ってたとか何とか……あんただって、どのみち元の時代には戻れないんだから、別に、構わないだろ」
「あたし……」
「ところで、その、テレパシーってどういう感じなんだ? 俺はAIだから一度も経験したことがないんだよ」
 彼女の顔が少し明るくなったように見えた。
「いい・感じ・あたし・ここ・ふわっと・なる」
 彼女は自分の頭を指さして微笑んだ。
「イメージ・投げる・強さ・色々・それに……」
 彼女は意気込んで話し続けた。もっとも、テレパシーでならこれくらいすぐにかたがついちまうんだろうけど。
「テレパソング・少し・違う・イメージ・アバウト・でも・パワフル・宙に・向かって・放つ・あたし・大好き」
 それが、独裁者につながるっていうんだから皮肉なもんだ。
「唄って・みて・いい?」
「ああ、好きなだけ唄えばいい。ここなら誰の迷惑にもならないからな」
 真ん中の通路に両足を踏ん張り彼女は背筋を伸ばした。
 彼女の髪が軽く揺れる。リズムをとっているのか。体も揺れる。
「お、いいぞ」
 目を閉じた表情は軽くナチュラルだ。しだいにその動きは小さくなってゆく。目では追えぬくらいの小さな揺れ。そして、静止。眠り姫のように彼女は動かない。
「GOOD,GOOD,GOOD!」
 俺には脳波センサーがついてないので彼女が眠りに落ちたのかどうかも見分けがつかない。
「ディー! ディー! ディディー!」
 彼女を見守り、一人虚ろな熱狂を演じる俺。
 十五分ほどしてようやく彼女は目を開けた。ぼうっとした寝起きのような声で彼女は言った。
「どう・だった?」
「SAIKOHってやつだな」
「……」
「さすが一級のテレパシンガーだ」
「……ARIGATO」
 そう言った彼女の顔は俺から見ても魅力的に見えた。
 もとの時代に戻れる可能性は、ある。自力で四億年を越えることは不可能だが、逆方向の時乱流が存在すれば、それにのって距離を稼ぐことができるはずだ。あくまでそんなものが存在すればの話だが。探してみるのも悪くない。どれだけ時間がかかるか分からないが、時間は無限にある。
 だが、それを切り出す気にはならなかった。彼女との時間は悪くない。たとえ、テレパシーが通じなくてもだ。時間を放浪しながらの自由の暮らし。当局の手は及びっこない。誰にも期待されない仕事はもうお終いだ。
 俺の中に今まで考えたこともないイメージが広がった。そこに
「ここで・降りるよ」
 彼女の声が音声収拾マイクに突き刺さる。
「え、ここがどこだかさっきも言ったろ。人間どころか哺乳類も、恐竜とかだっていないんだぞ、こんなところで││」
 なぜ俺はうろたえてるんだ。
「誰も・いない・場所・いいね」
「こんなところで一人でどうするんだよ」
「唄うの」
「?」
「思い切り・唄うの」
「唄うならここで唄えばいいだろ」
「みんなに・唄うの」
 引き留めたく思っている自分が嘘のように思えた。なぜそう思っているかもよく分からない。まさか、俺も。いや、テレパシーはAIには通じないんだぞ。
「それに・クロニクル・同じだから……」
「え」
「人と・同じ……だから・降ろして」
 俺は一体、何なのだろう。
「これ、やるよ」
 非常ボックスの扉を開け、予備のリストバンドを彼女に勧めた。
「それが出す時空波は俺にしか分からない。何かあったら作動させてくれ。そうすれば会いに行ける」
 彼女は素直にそれを右手首に付けた。だが、それを彼女が使わないだろうことは何となく想像がついた。
「バイ・バイ」
 彼女の涼しげな瞳が俺にはたまらなく悲しかった。
 そして、彼女は人間がまだ生まれてもいないシルル紀の大地に降り立った。
 結局、彼女の歌を俺は聴くことができなかった。彼女は俺の心を聴いたのかもしれないが、俺は彼女の心をのぞけなかった。
 彼女と別れた後、一週間かけ、俺は未来への時乱流を探し出した。
 帰り際、三人の乗客はきっちりと回収した。不思議なことに誰も彼女のことは口に出さなかった。もっとも、俺が一口も口をきかなかったということもあるのかもしれないが。



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