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　時間跳躍の技術は二十一世紀後半になってようやく確立された。様々な問題が山積していた人類文明は無意識の内に、この技術に願いを託していた。それ故、開発にかけられた費用と熱意は膨大なもので、それが完成したとき、世紀の大発明として時空跳躍船は各国でこぞって実用化された。最盛時には地球上で三十八台が稼働していたと言われている。
　しかし、彼らの目論見は外れた。見事に外れた。時空跳躍技術の人類への貢献は微々たるものでしかなかったのだ。主な理由は未来への時空跳躍に成功しなかったことだ。それに加え、時間の掟は人類に冷酷だった。
　以後、人類は正当な問題解決法である惑星改造と宇宙航行の技術に磨きをかけ始めた。時空跳躍船はしだいに使われなくなり、現在ではわずか三台が動いているだけだ。その内の一台を任されている俺は、まあ流行遅れのロートルというのが正確なところらしい。
　悪くはないんだ。俗世のしがらみにしばられることもなし、あくせくした世の流れに嫌悪を感じる必要もない。流れていればいいのだ。誰も干渉しない時間の流れの中を。
「ちょっと」
　ドクター・ショウが控え目に手を挙げた。イヤな予感だ。
「何でしょう」
　彼は携帯端末に取り込む情報ネットの端末を要求してきた。
「……事前の説明で聞いていると思いますが、時空航行中は、元時間との通信は不可能となっています」
「フィールドワークに必要な基本データシートを忘れて来ちゃったんだよ。何とかならないかな、非常回線を使うとか何とか」
「なりません」
　一刀のもとに切り捨てるが、彼はそれでもあきらめない。これだから素人は困る。
「あの情報がないと、今回の調査の価値が半減してしまうんだよ。それは君も困るだろ」
　俺の知ったことじゃない。
　そこにまたしてもドクター・ディゲールの援軍。
「忘れてきてしまったものは仕方なかろう。残念だが、どうにもならんのじゃよ、ドクター・ショウ」
　それにミス・グリューネロートも合流する。
「そうよ。忘れ物はしないようにってELEMENTARYで習わなかった、学者さん」
　彼女の低い笑い声を聞いて、ようやく彼は口を閉じたかに見えた。が、一言。他の二人には聞こえぬくらいの小声でつぶやいた。「PONKOTSUめ」と。
「くおらぁ！」
　突然の怒声に三人は驚いて顔を上げた。
「誰がPONKOTSUだ！　自分の落ち度棚に上げて、他人を貶めるとはそれが今の学者のやり口か！」
「こら、何を怒っとる、クロニクル。人間誰しも忘れることはあるもんじゃ」
　彼のつぶやきが聞こえていないドクター・ディゲールの声はこの際無視だ。
「そんなに情報が欲しいなら、ここで降ろしてやる。時間の中を泳いで取りに帰れ！」
　ドクター・ショウは予想だにしなかった俺の反撃に目を白黒させている。俺は調子に乗ってもう一声ぶつけてやろうとした。
　そこにミス・グリューネロート貴婦人だ。
「ちょっと、静かにしてくれない。人工知能のヒステリーなんてみっともないわよ」
　な、ヒステリー！　この俺が。ヒステリーだと。よくもこの女、自分のことは棚に上げ、この冷静沈着大胆不敵な俺のことをヒステリーとは。おまえも時空の流れに放り出してやろうか。
「気に喰わない奴はここで降りろって言ってるだろうが！」
　どう見ても喧嘩口調だ。我ながら大人げない。大人げないとは分かっているが。
「なんですって！」
「せっかくの研究旅行なんです。もう少し落ち着かせて下さいよ」
　ドクター・ショウは自分のつぶやきは内心の範疇だとばかり、いかにも迷惑そうに首を振る。俺はそいつを引っこ抜いて、女に投げつけたい気分だ。全くどいつもこいつも。
「このナビゲーター壊れてるんじゃないの。こんな無礼な人工知能見たことないわよ」
「だから、気に喰わなきゃ、降りろ！」
「何よ、戻ったら管理局に訴えてやるからね」
「この年齢不詳女、無事に戻れると思うなよ」
「聞きました、ドクター、この機械ったら……」
「おいおいクロニクル、もうそのへんで……」
　頭に血が上ったというか何というか、人のそれに近い状態になった時、俺は変な感覚を感じとった。ちょっと待て。何か、気持ち悪い。何かが変だ。その感覚は後ろの貨物室が原因らしかった。俺は貨物室の異常が何なのか確かめるために頭を切り換えることにした。
「そんなに頭に血が上ってると安全な運転はできんだろう、もう少し……」
　ドクター・ディゲールは他の二人を気にしながら俺に向けてせっせと懐柔の言葉をはき続けている。
「ドクター・ショウ、あんた、何を持ってきた？」
　突然、平静を取り戻した俺の声に彼は面食らったようだ。
「わ、わたしは申請したとおりの記録道具を一式……」
「そんなはずはない。俺に隠れて何か生き物を持ってきたんじゃないのか。人以外の生物の持ち込みは禁止されているぞ」
「そ、そんな、わたしは……」
「あ」
「どうしたんじゃ」
　三人の不安げな視線が俺にからみついたが、俺は後部貨物室の映像に釘付けだった。暗闇の中、貨物パックの中から背伸びをして現れたそいつは、旅客室への扉に手をかけた。
　ドクター・ショウは愛人でも連れ込んだのか、それとも……　いくつかの可能性を検討しながら、俺は扉のロックを確認した。ＯＫ。不審人物はずっと檻の中だ。
　だが、扉のロックは見事に破られた。彼女の手には小型の無効化鍵が握られている。
　やられた……　船内の保安システムが経済上の都合で限りなく削られている今、俺にできることはほとんどない。
　扉は勢いよく開き、一人の少女が現れた。
　黒いスーツに身をくるんだ少女は、銀髪を揺らしながら鋭い視線で部屋を見渡した。三人の乗客の表情はひたすら凍りついている。
　俺は彼女に見覚えがあった。それ故、彼女が次にいうセリフが見当がついた。
「……」
　なんか、言えよ。
　少女は両側の壁についたイミテーションの窓をのぞきながら客室の一番前までやって来た。
　三人の乗客をじっと見据えた後、正面の壁を何かを確かめるように手でなでる。
「何をしとるんじゃい？」
　もっともなドクターの言葉だ。
　少女に見つめられ、ドクターが言葉を返す。
「いや、この船にはそんなものはないぞ」
　？
　今度はミス・グリューネロートだ。
「あんた、どこの田舎娘よ。オートパイロットで動いてるに決まってるでしょ」
　？？？
　いや、確かに、人間なんかに時空跳躍の制御ができるわけがない。それは常識だが……会話から取り残されてるぞ、俺。
　急に不安げな表情を見せる少女。おいおい、どうした急に。タイムジャックだろ。密航だろ。何か言うことあるだろ。
「ほら、何じゃ、言いたいことがあるなら、クロニクルに言ってみればいい」
　ドクター・ディゲールの言葉はまるで孫娘をあやしているようだ。
「左様。この船のナビゲーター。人工知能じゃ。なあ、クロニクル」
　まただ。ひょっとして……
「……俺、クロニクル。この船の責任者、アンダスタン？」
　にこりと特上の笑みを浮かべる少女。少なくとも、ゴージャス女より鼻についたりはしない。
「ああっ！」
　ドクター・ショウが少女を指さし、悲鳴に近い声を上げた。
　他の二人が歴史学者に非難の視線を向ける。
「エイシャ・エス・ギルバード……」
　彼の口から漏れたその言葉は、他の二人に驚きを共有させるに充分な言葉だった。
　まったく気がつくのが遅い。まあ、人間の情報認識能力を俺のそれと比べるのが無理な話だろうけど。
　彼女を見たのはネットを流れるニュースの中だ。彼女は火星と木星の間にある小惑星シュニケラフのテレパシンガーなるアーティスト。つまり精神感応でイメージやメッセージをとばしたりするやつだ。随分なテレパスらしくその能力は群を抜いているらしい。そして、もう一つ。こちらの方が重要かもしれない。能力者の多いシュニケラフの人々は独立を目指し、シュニケラフのみならず、地球でも独立運動の名のもとにテロ活動を繰り広げ、地球政府と闘争中であり、彼女はそのシンボルでもあるとニュースは報じていた。
　小惑星帯への移住開始から既に六十年以上がすぎている。植民星には第二世代が生まれ、彼らの多くは生まれながらいわゆる超能力を身につけていた。その中でも特に多かったのが精神感応だ。言葉に出さずとも意志を通じ合える能力は、新しい文化を生み出し、また、地球人類に劣等感と焦燥感を抱かせた。そして、地球政府はシュニケラフにカウンターテレパシーシステムを設置し、テレパシーを禁止、地球政府の下で厳しく管理しようとした。だが、それに対しシュニケラフの人々は革命軍を組織。一進一退の激しい攻防が続いている。
　さて、そういうわけだから、これは単なる密航でも、ましてや観光旅行でもあろうはずがないというもんだ。
　彼女はしばらく俺の客室前部モニターアイをにらんだ挙げ句、ため息。
「何だ、そのため息は！　俺のどこに何の文句がある！」
「機械・がっかり」
　彼女の言葉に、それも最初の言葉にデリケートな俺の心はかちんときた。
「機械って言うな！　ＡＩと言え！」
　彼女はうさんくさそうな目で俺を睨む。
「うちの星・なかった・機械・しゃべる・ガラ悪い」
　どこの方言だよ。シュニケラフではそういう話し方なのか？
「おまえ、ELEMENTARYでたのか？」
　彼女がむっとして口をとがらせる。
「通じない・テレパシー・馬鹿者・人間・慣れない・話す」
「ほら、あれじゃよ、彼女はテレパスじゃからな」
　ドクター・ディゲールが彼女の国選弁護人のように熱く代弁し始める。
「こういった、言葉を使っての会話に慣れておらんのじゃろう」
「ノー・馬鹿・慣れる・すぐすぐ」
　こちらの話す言葉は分かるらしい。彼女はドクターにくってかかっている。この軽さを見ていると、テロ組織のシンボルという雰囲気は微塵もない。
　俺はドクターに先の疑問をぶつけてみる。
「さっき、彼女とテレパシーで会話してたのか？」
「？」
「だって、何か変な会話だったぜ」
「ああ、そうかもしれんな。何か変な感じはあったんじゃ。どこがどうというものでもなかったんで気のせいかと思ったんじゃが……」
　テレパシーを受けたのを明確には意識していなかったらしい。
「悪くない感じだったわよ」
　とミス・グリューネロート。とどのみち俺には縁のない感覚だ。
「それより、この女、どうやって入り込んだんだ？」
　全くここ十年以上、密航者なんて出てこなかったのに。
「ひょっとして、あなた、革命軍の協力者なの！」
　ミス・グリューネロートの言葉をドクター・ショウは青い顔で懸命に否定した。
「ち、違いますよお、私だってしらなかったんだ、本当ですってば」
　少女は自慢げにそれを否定した。
「ノーノー・あたし・テレパス・暗示・楽勝・皆・あたしの・言うとおり」
　その言葉で彼女に白い視線が注がれる。そりゃ当然だ。あわてて彼女も
「ノーノー・やらない・使う・言葉・ノー・テレパシー」
　怪しいものだとは思いながら、彼女の言葉を信じる他はない。俺は今一度密航者に対するマニュアルをデータバンクの中を探してみたが、そんなものはどこにも見あたらなかった。
　彼女がシートに座れば、完全固定して体の自由を奪うことくらいはできるが、彼女がテレパシストだということを考えればそれも問題の解決になるとは思えない。他の乗客にどんな干渉をされるか分からないからだ。
「それで……」
　俺の質問を彼女は調子の狂う言葉で遮った。
「ゴーゴー・二十世紀・あたし・行くよ・急いで・早く・イヤ・捕まるの」
　彼女が使い慣れぬ奇妙な言葉を使うのは、ＡＩの俺が相手ではテレパシーが伝わらないからなのだろうが、俺は自分が共通語を解さない劣等児童になったような気分だ。
「ノー」
　一言俺は言った。
「駄目ね・困るね・二十世紀・行くよ・お願いよ」
　まったくあきれかえるずうずうしさだ。女って生き物は皆口の中にバルカン砲を仕込んでいるらしい。
「大体、二十世紀へ行って何をしようっていうんだ？」
　俺は説得を試みようと核心をついたが、その質問に彼女は急に押し黙った。まあ、大体察しはついているんだ。いや、本当に。
　すると、思わぬ所から彼女の援護が飛び出し始めた。
「別にかまわんじゃろう。好きなところでおろしてやれば。旅は道連れじゃ」
「そうですよ、別に大したことにはならないでしょうし」
「そうね、あんまりうるさくされてもね」
　この三人の意見が一致することがあろうとは。本来ならもとの時代に連れ帰り、当局に引き渡すのが筋なのだろうが、確かに三人の言うとおりにしても、別に当局は目くじらをたてたりしないだろう。そもそも密航者に対する行動規範マニュアルが存在しないのだから、俺の判断次第というわけだ。
「お願い・します」
「……降ろすだけ、でいいんだな」
「イエス」
「一番最後だぞ」
「ノー・困る・それ・来るよ・捕まえに」
「時間跳躍ポイントの設定には時間がかかるんだよ。それに、こんな所まで追ってくる奴は誰もいやしないさ。そもそも、時間跳躍中の位置は向こうからは分からないんだから心配ない」
　他にも理由はあるが、それは、置いておこう。
「とにかく、そう言うことだ。あんたがおとなしくしてると約束するなら、三人を降ろした後、好きな所で降ろしてやる。ＯＫ？」
　赤い瞳の少女は小さくうなずいた。