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 ディーディーディー、もうすぐ客がやって来る。出発を間近に控えると、神経が高ぶるのはいつになっても変わらない。ディーディーディー、無駄な「旅」。つまならい「旅」。俺はいつまでこんなことをしているんだ……ノンノンノン、そんなこと、考える価値は10ビットもない。今、考えるべきは今回の「旅」のことだけだ。客を降ろして降ろして降ろして、拾って拾って拾って、無事帰還。いつもと同じだ。それが俺の仕事。どんなにうさんくさく思われようと。どんなに金の無駄遣いだと憎まれようと。これはただの仕事。そういうことにしておこう。その方が精神衛生上いいに決まってる。
 外が騒がしくなってきた。客たちがやって来たらしい。今度の客は三名。たった三人のためにこんな金のかかる旅をしようだなんて、金の使い道は他にいくらでもありそうなもんだ。ディーディーディー、いけねえいけねえ、不平不満は頭を鈍らせる。客がいるだけまだましだ。俺を覚えてる奴らがまだいるってことだからな。こんなことじゃ客にも申し訳ないってもんだ。落ち着け落ち着け。色即是空色即是空。それで俺の中はEQUILIBRIUM。Feel so good...言葉の力もまんざらじゃない。
「やあ、クロニクル、また世話になるぞい」
 常連客は相も変わらず上機嫌だ。この「旅」に来るときはいつもそうだ。変人に違いない。
「ドクター・ディゲール、三週間ぶりかい。会いたかったよ」
 俺もいつものように軽いリップサービスで彼を迎える。彼は一見、年老いて見える。実年齢が百七十前後ではあるが、この時代、外見で老体を選ぶのは非常に珍しい。年相応を重んじるタイプなのだろうが、俺から言わせればやはり変人だ。そんな格好で得なことなど一体何がある。
 彼の後に続いて入船して来たのは、若くて(勿論、これも外見だ)、芯の細そうな学者タイプの男だ。頭の中のリストをめくる。彼はドクター・ショウ。「旅」は初めてらしい。きょろきょろと船の中を見回し落ち着きがない。直に慣れるだろう。あるいは、もう二度と来なくなるかだ。
 最後は随分とゴージャスな女だ。一目で分かったね。こいつは物見客だって。他の二人も研究目的とはいえ、一種の物見遊山には違いない。だが、この女は何の意味もない単なる娯楽のために旅をする客だ。いいじゃないか。旅ってのは本来そういうもんだ。嫌いじゃない。ただ、お高くとまった所がなければの話だ。案の上、早速女は口内据付型の二十ミリバルカン砲を全開にしやがった。
「なんなの、これは。こんなにオンボロなんて聞いてなかったわよ、大丈夫なの。二千万リブロも払ってるのに。もうちょっとちゃんとしたのじゃなくちゃ駄目じゃない。大体、何よこれは。このシートよれよれじゃないの。どうして天然皮革じゃないの? それに照明も暗いし、もっとこう気分の明るくなるようなシャンデリアタイプのをバーンと……」
 俺が口を挟もうとした直前、ドクター・ディゲールが女をなだめにかかった。そうだ、頼むよそうしてくれ。これ以上彼女のウイルスにさらされると、俺の免疫反応はこの女を放り出しかねない。
「ミス・ええと……ミス・……」
 おいおい、しっかりしてくれ。
「グリューネロートよ」
 女は頬を膨らませて、臨戦態勢。静かにバルカン砲の照準をドクター・ディゲールに合わせる。
「ミス・グリューネロート。知っての通りこの船は一応、学術用途の船なんじゃよ。あんたのような一般の旅行客は想定しとらんのじゃ。ちょっとは我慢してくれんか」
「だけど││」
「大事なのは、無事に行って、無事に戻ってくることではないかな」
 さすがに、めったに見ないしわが深く刻まれた「老人」の言葉は、この女にも幾ばくかの重みを持ったらしい。ドクター・ディゲールの外見はこういう時のためのものだったのかと初めて納得した。
 だが、安堵したのも一瞬で、今度はもう一人の若造が不安げな言葉を発した。
「ですが、ドクター・ディゲール。この船、本当に大丈夫なんでしょうか。自分はブリースバーグに申請を出したのですが、こちらに割り振られてしまって…… こちらは随分と古いタイプなのでしょう」
 言ってくれるじゃないか。
「大丈夫。これに三十回乗ったわしが言うんじゃから間違いない。これは確かに現在ある時空跳躍船の中では一番古いタイプじゃが、事故率は一番低いんじゃぞ。なにせナビゲーターがピカイチ優秀じゃからな。そうじゃろ、クロニクル」
 さすがにここまで持ち上げられると悪い気はしない。多少のリップサービスもしてやろうという気になるものだ。
「ダー、生命保険を五千万リブロかけても無駄になること請け合いです、特に美しい方を乗せたときには無事故無違反間違いなしです」
 我ながらこんな嘘がつけるのが不思議で仕方がない。女は多少気を良くして、若い学者も渋々といったところで所定のシートに腰を下ろした。
 船内のシートは全部で十席。真ん中に通路を挟んで二列五段になっている。俺から見てドクター・ディゲールは一列目左に、女は三列目右、若造は四列目左に陣取っている。席がすかすかなのは寂しい気もするが、これも仕方のないことだ。昔を懐かしんでもどうしようもないのは、俺自身が一番よく分かっている。
 俺は各席の肘掛けにある小型モニターを使って乗客の本人確認と行き先の確認に取りかかった。以前、予定と違う客が乗ってきて、当然違う場所に降ろしてトラブルになったことがある。全て俺の責任だとは思わないが、良心とかいうものを発揮して以後これらの確認は必ず行うことにしている。
「ドクター・ディゲール・マーチン、社会保障番号DDA7650/2。行き先は……」
「その通りだ」
「ミス・グリューネロート・ロールバウマン、社会保障番号NOK4692/9。行き先は……」
「よろしくお願いするわ」
「ドクター・ショウ・フラウマー、社会保障番号XRT1376/9。行き先は……」
「間違いありません」
 後は共通事項になるのでアナウンスに切り替える。
「時空跳躍は確立された技術ではありますが、現在でも事故の起こる可能性は他の交通手段同様常に存在しています。事故の発生を少しでも減らすため、当ナビゲータの指示に必ず従って下さい」
「もういいから早く出発してよ」
 女が苛立った声を上げるが、こっちも規定になけりゃ無論そうしてるさ。
「原則として旅程の変更は認められません。並びに滞在先での取得物、データ量が多ければ多いほど、帰還後の検疫期間が長くなります。また、当船の物理上限として持ち込み容量はお一人当たり四立方メートルとさせていただいています。なお、皆様の左腕に付けられたリストバンドは皆様の時間と位置を把握するための発信器の役割がありますので、現地では決してはずさぬようご注意下さい。また、やむを得ぬ時空障害が発生した場合、御乗客の皆様の安全より本船の安全を優先させていただく場合がありますので御了承下さい」
「ちょ、ちょっと」
 ドクター・ショウとミス・グリューネロートの顔色がさっと変わる。勿論……無視だ。
「では、みなさんにとって実りある旅になりますよう、スタート」



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