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晴樹は迷っていた。というより、昨日の自分らしからぬ決断をとことん後悔していた。
会いたいと切り出したのは晴樹だったが、実際、会う段になってみると、それがただの勢いであったことが嫌というほど分かり心が萎えた。大体、会ってどうしようというのだ。相談するのか? KUROROが母であったことを? PKから身を守る方法を? そもそも、現実の世界では晴樹は口がきけないのだ。彼女を目の前に筆談でもしろというのか。冗談ではない。
壁の時計は午後一時を回っていた。
この件はなかったことにしよう。そう心を決めて、彼女に断りのメールをうった。
送信ボタンを押すと、どっと疲れが出た。これでよかったのだ。こうするしかなかったのだ。肩を落としてそう思いこもうとしていると、目の前のパソコンが電子音を発してメールを受信したことを告げた。
チェックすると、SARAHからの返信だった。
<<どうしても会いたいの。相談したいことがあるから。お願い。SARAHより>>
メールを読んで晴樹の心は一層沈んだ。そんなことを言われても、自分は相談することも、相談に乗ることもできないのだ。あわれな引きこもりにとって、彼女と会うのはどう考えても拷問にも等しかった。
晴樹が苦悩していると、再び受信メールの電子音が鳴った。
<<今日の約束キャンセル、ごめんなさい。絶対来ないで。SARAHより>>
どういう、ことだ?
それもSARAHからのメールだった。だが、どこかたどたどしいそれは先と全く逆の文面だった。一体どういうことなのか。
晴樹は二つのメールを画面の中に並べ、じっと見比べた。そして、あることに気付いた。二つのメールは差出人のアドレスが違っていたのだ。前者は彼女に教えてもらった携帯電話のアドレス。後者は普通のパソコンのメールアドレスのようだった。
ほぼ同時刻に違う機種からメールを出す理由は見あたらなかった。そもそも全く逆の文面というのがおかしい。と言うことは、つまり、この二通のメールは別人が出している?
その別人とは、黒SARAHしか考えられなかった。
それにしても、白SARAHからメールが来るのは分かる。会う約束をしていたのだから。では、黒SARAHはなぜメールしてきたのだろうか。
晴樹は混乱した。これも、PKの一環なのか? 嫌がらせ? 自分を混乱させることこそがこのメールの目的なのだろうか。考えれば考えるほど、訳が分からなくなった。
約束の三時まであと一時間半を切っていた。
散々悩んだ挙げ句、晴樹はサーティワン・キングダムに入ってみることにした。
ゲーム内のSARAHに話しかければその反応でどちらのメールがどちらのものか分かると思ったからだ。
そう考え、晴樹はサーティワン・キングダムにログインした。
しかし、晴樹のあては完全に外れた。検索機能を使っても、SARAHの名前は出てこなかった。つまり、どちらのSARAHも現在ログインしていないということだ。
これ以上はどうしようもなかった。どのみち行くつもりはないのである。どっちがどっちからのメールでも晴樹には関係のないことだった。
街の通りの真ん中でHARUがログアウトしようとした時、誰かが声をかけてきた。
TOMY>>こんちー
NERO>>久しぶりやね。
以前、コントのネタを見せたくれた芸人コンビだった。
少し迷ったがHARUはログアウトを中断して彼らに応えた。
HARU>>こんにちは。
二人は相変わらずの気軽さで言葉を継いだ。
TOMY>>今日は一人かいな。いつものニーム君がおらへんな。
晴樹は返答に一瞬戸惑ったが、事実を語る気にはなれなかった。
HARU>>あれは、いいんです。
NERO>>……ふむ、そうなんか。
TOMY>>それより、オレら今から公演やねんけど、見にきいへん? そこの広場でリアル三時からやねん。今度は大爆笑の完成コントを見せたるで。
そう言われても晴樹はとてもそんな気分にはなれなかった。
HARU>>ごめんなさい。今ログアウトするところだったので。
TOMY>>えー、この前絶対見に来てくれるて言うたやんか。
確かそう言っていたのはKUROROで晴樹としては身に覚えがない。
HARU>>今日はちょっと。
TOMY>>えー、KUROROっちがおらへんねんからせめて君には見てほしいわー
食い下がるTOMYをNEROが止めた。
NERO>>いいかげんにせんかいな。みんな予定があるねんから。
TOMY>>つまんねー
NERO>>ホント残念やけどな。また今度の時は頼むで。
HARU>>本当に、すみません。
NERO>>気にしーな。人の顔色うかがいながら生きるんは損やもんな。やりたいようにやるんが一番。
TOMY>>オマエは好き勝手しすぎや思うで。
NERO>>オマエに言われたないわ!
TOMY>>オレのどこが勝手しいやねん。
NERO>>その自覚のないとこが最凶や言うとるやろ。
目の前の二人のパワーは、正直晴樹にとってうらやましかった。望んでも得られぬものだと分かってはいても、あこがれずにはいられなかった。
HARU>>あの、どうして、そんなにがんばってるんですか?
その言葉に二人はHARUをまじまじと見つめた。
HARU>>だって、コントが受けなかったら恥ずかしいし、お客さん集まらなかったらさむいし……
自分でもなんて失礼なことを言っているのだろうという自覚はあったが、今さら訂正はできなかった。
それに対し、TOMYは怒った風もなく応えた。
TOMY>>変わったこと聞くな、HARUやんは。わいら、そうしたいねん。やりたいねん。それだけや。
NERO>>そーやで、深刻に考えることやあらへん。やりたかったら、やる。それだけや。
至ってシンプルな答えだった。
HARU>>でも、できないって初めから分かってたらやっぱり。
TOMY>>何言うてんねん。そんなんやってみなわからへんやろ。
NERO>>そやで。取りあえずやってみな自分ら納得できへんからな。
TOMY>>そうそう。
NERO>>ほな、こっちも準備があるから。またな。
TOMY>>&NERO>>次回はよろしゅーねーーー
二人はそうしめると、HARUの返事も待たず通りを駆けていった。
晴樹は二人の後ろ姿を見ながら心を決めていた。