−16−

 タバコの煙の充満した部屋に寝転がって、男は携帯電話をかけていた。
「ああ、クスリが必要ならキタっちから流してもらえば問題ないから」
『分かった。で、どうなのよ、例の女? まだ続いてるの?』
「ああ、アレね。もうウゼー、厭きたよ。タケポンいる? いるならお安くしとくよ」
『マジですか?』
「オレはいつだってマジよ。三十でどう?」
『うへー、高いって、孝チャン』
 玄関のドアノブががちゃりと回った。
「どこが? 調教バッチリ。クスリさえやっときゃいい案配だよ」
『でもなあ……』
「んじゃお友達価格で二十五、格安だぜ。何せ女子高生。監禁してるわけじゃないから完全合法。宿とクスリを提供してやるだけの──」
 男が寝返りをうつと、女の視線が自分にロックされているのに気づいた。
「……」
『どしたの孝チャン? もしもし──』
 男は咄嗟に電話を切った。
 女は玄関に立ったまま表情の消えた顔で訊いた。
「ナニ、今の?」
「冗談だよ、冗談。向こうがあんまりしつこいから、ちょっと言ってみただけ」
 男のおどけた物言いに女は無言で男を見つめた。
「何だよ、こっち来いよ」
 女の反抗的な視線を受け男はいらだちを強めた。
「広美ィ」
「何よ……」
「来いっつってんだろ!」
 広美は男の大声に体をすくませると、買い物袋を玄関に下ろし、部屋に上がった。
 部屋一杯に満ちた煙に広美は思わずむせこんだ。
 だが、男はそんなことには頓着せず、目の前に座った女の体に手を回した。
「冗談を真に受けるなよ」
 男の手の感触を鬱陶しく思いながら広美は男に尋ねた。
「孝司……あれ、まだやる気なの?」
「何を?」
「いやがらせ」
 女の言葉に孝司は片側の眉をつり上げた。
「はあ? 世界で二番目にいい人のオレがそんなことするわけないだろ」
 広美は服の上から胸をもみしだく男の右手を止めるように語気強く言った。
「ゲームよ、サーティワン・キングダムの」
「PKのことか?」
 広美は固い表情でうなずいた。
「おいおい、ゲームの中のことだろ。それに、あれで原稿書いてるんだぞ。次の計画もバッチリ。勿論、標的はあの初心者な」
「いい加減、止めにしたら」
 孝司の手の動きが止まった。
「ねえ、初心者なんて相手にしてもつまらないでしょ」
 孝司の顔が奇妙に歪む。
「……オマエ、オレに指図するのか?」
「そんなつもりじゃ──」
「指図するのか!」
 怒声と同時に孝司の掌が広美の頬を打った。
 恐怖に歪んだ女の顔を見て、孝司は急に優しげな声を出した。
「オマエだって、オレがちゃんとした職を持った方がいいだろ。ゲームライターになるには、いい記事を書かなきゃならないんだよ、分かるだろ、ナ」
「でも……あの子じゃなくても……」
 孝司は右手で女の髪を乱暴につかみあげた。
「イタぃ!」
「アイツだよ。人の女にちょっかい出すような奴は徹底的に懲らしめてやらないとな」
「!」
 その言葉に今度は広美の顔が歪んだ。
「分かってるんだよ、全部分かってるんだ。オマエにまで裏切られるなんて、オレはなんてかわいそうなんだ、かわいそすぎる、ひどいぜ、広美、ひどすぎる……」
「ちょっと……話した、だけ──」
「フザケるな!」
 孝司は髪をつかんだまま広美を床に押しつけた。
「ちが──それは、だって──」
 床に押さえられたまま必死で弁解する広美の顔に孝司は自分の顔をすりつけた。
「なあ、頼みがあるんだ。あいつの住所を聞き出してくれよ、近くなんだろ?」
「何をする気?」
「ナ・イ・ショ」
 孝司はにやりと笑った。
「やめてよ! 犯罪よ!」
「うるさいっつってんだろ! いつまでも学生なんかやってられないんだよ! 連載続けるには当たり前のネタじゃダメなんだよ、そんなこともテメエには分からないのか!」
 孝司はこれでもかと広美の顔を畳に押しつけた。
 その反動で広美のジーンズのポケットから小さな固まりがこぼれ落ちた。
「ん?」
「ダメ、それは──」
 広美が手をのばすより先に、孝司の手がそれを拾い上げた。
「オマエ……携帯なんか持ってたのか」
 冷たい目で孝司はそれを凝視した。
「私の、返して、お願い!」
 必死の表情で広美は懇願した。
「ダメー、没収しまーす」
 あっさりと女の願いを退け、孝司は携帯の中身を探った。
「オレに内緒でどうしてこんなもの持つかねえ。一体誰と連絡とってたのやら……」
 すがりつく女を男は邪魔なハエのように振り払った。
「んんん、おいおい、何だよ、手回しいいな。そうならそうと言ってくれよ」
 携帯の画面を凝視する男の瞳はこれ以上ないほど冷たいものだった。
「会うことになってるんだ、アイツと。しかも、今日かよ」
 孝司がゆっくりと手を宙に上げるのを見て、広美は反射的に身を丸めた。
 しかし、彼女に痛みは訪れなかった。
 代わりに鈍い音と冷たい感触が腕にあった。
 がしゃん。
「これでおとなしくしてろ」
 彼女の左腕にはプレイ用の手錠がかけられていた。
 孝司は広美を引っぱり上げて立たせると、玄関のすぐ横の洗い場に無理矢理連れていった。
「ちょ、ちょっと、孝司」
 男は女の言葉を無視して窓を開けると、手錠のもう片方を外側のアルミ格子にかけた。
「何するの」
「はずしてよ、ねえ」
「孝司ぃ!」
「オマエはお留守番だ。オレが代わりに行って来る」
「やめて、ダメよ、ダメ!」
「どうして? 本物のSARAHはオレだぜ」
 奇妙な笑いを浮かべ、孝司は机から黒い物体を取り出すと、上着の中にしまい込んだ。
「さて、せっかくデートのセッティングをしてもらったんだ。十二分に遊んでくるとするか」
「待って、孝司、待ってったら!」
 男の狂った笑みを広美はもはや止める術を持たなかった。


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