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 翌日の目覚めは最悪というほどではないが、それなりに悪かった。その日の体調によって寝る前の睡眠薬が変な風に働くようで、晴樹は昼過ぎに目を覚ましてからもベッドで横になったまま、冴えない頭でしばらく考えをめぐらせていた。
 SARAHは二人の人間によってプレイされているという彼女の告白は、晴樹にとってむしろ納得のいくものであった。本物と偽物。考えるまでもなく、晴樹にとっては最初に出会った彼女、昨日出会った彼女が本物のSARAHであり、偽物、その言い方は正しくないのかもしれないが、晴樹をPKしたSARAH、明らかにHARUに悪意を持つ人物こそが偽物だった。白SARAHと黒SARAHである。SARAHが二人いるというのは、晴樹にとって複雑な気分ではあったが、自分をPKしたのが黒SARAHの方だったということで晴樹の心のつかえは下りていた。
 黒SARAHが狙っているからログインしてはいけない、そう白SARAHは言った。自分がなぜ黒SARAHに狙われるのか、晴樹にはその理由が分からなかった。そもそもしばらくの間ログインしなければ黒SARAHはあきらめるのだろうか。それについては白SARAHも明言しなかった。
 晴樹はベッドからゆっくりと起き出すと、ドアの外に置かれていた朝食をそっと取った。皿にかぶせられていたラップをはがしてサンドイッチをドリンクとともにほおばった。数ヶ月前までなら、漫画を読みながら時間をかけてとる朝食は贅沢で優雅なもののはずだったのに、今は全くそんな気分ではなかった。
 漫画を三冊読んだところで限界だった。サーティワン・キングダムのことが気になって仕方がなかった。
 彼女の忠告を無視することになるが、街の中なら大丈夫とも言われていることだし、たまには街の中でゆっくりすごすのもいいかもしれない。そう思うともう止まらなかった。
 ラッカの街にログインしたHARUは、最初に道具屋へと向かった。昨日モンスターから入手したアイテムを売りさばくつもりだった。
 不思議なことに、いつもならログインするやいなやどこからともなくやって来るKUROROはいつまでたっても現れなかった。昨日はSARAHの言葉に憤慨し、絶対にログインすると言い張っていただけに妙な気もしたが、毎日二人そろって冒険する方がどうかしているのだ。現実世界での都合もあってしかるべきだった。
 HARUが道具屋で売りさばきたいアイテムを提示すると、店主は買い取り額を提示してきた。ほとんどは即決で現金に換えたが、中には買い取り金額があまりに低いものもあり、店先でしばし悩み込んでしまった。
 だから、いつの間にか他の客がやって来たことに晴樹は気づかなかった。
 【愚者の冠】を売ろうかどうか迷っていると、突然、アイテム欄から【愚者の冠】が消えた。初めての出来事に晴樹は驚きを隠せなかった。
 パソコンの調子が悪いのか、それともネットの回線状況か、あるいはゲームのバグか。いくつかの可能性を晴樹は思い描いた。
 もう一度、アイテム欄を表示させようとしてさらに驚くことになった。先ほどまであったアイテムのほとんどがなくなっていたのだ。
 混乱するHARUを後目に店のドアがばたんと閉まり、一人の男が出ていった。
 NPCである店の主人は言った。

店の主人>>やられたね、おまえさん。冒険者たる者、常に自分の持ち物には気をつけてないとね。

 自分がスリにあったのだと気づくのにしばらくの時間がかかった。
 それを理解すると、HARUは慌てて店から飛び出した。
 だが、その日に限って店の前の通りはそれなりの人で、もはや男の姿を捉えることはできなかった。そもそも晴樹は男の後ろ姿を見ただけで、詳しい格好も名前も見てはいなかったのだ。
 晴樹は歯ぎしりしながら悔しがった。これまで苦労してためたアイテムをごっそり持って行かれるとは、憤懣やるかたないことこの上なかった。
 けれど、もはやどうしようもないことも分かっていた。この世界に警察はいないのだ。そもそもスリ自体、PKと同じく、サーティワン・キングダムの世界ではルール上選択できる行動の内の一つにすぎない。現実世界の法律違反とは違うのだ。
 晴樹は落胆しながらも、気持ちを切り替えようと歩き始めた。店の前にかかっている意匠を凝らした看板。街の外壁の窪みにできた小鳥の巣。青々と葉を茂らせる街路樹。街の中を歩き回ったのは最初だけだったので、ゆっくりと見て回るのも悪くないような気がした。
 道の両端で立ち話をしているプレイヤー達の会話も聞こえてきた。それは激強のモンスターのことだったり、珍しいアイテムのことだったり、あるいはゲームとはまったく関係ない話だったりした。サーティワン・キングダムの世界でも、リアルの世界と少しだけ似た雰囲気があった。
 急に晴樹は自分の隣にKUROROがいないのが物足りなく思った。
 ふと、HARUは右隣に自分と歩みを同じくする者がいることに気づいた。同じ方向に向かって同じスピードで進んでいる。それ自体はどうということではない。キャラクターの移動は走るか歩くしかないし、一本道は行くか戻るかだ。
 しかし、それが前後左右にいるとなれば話は別だった。HARUは四方をきっちりと囲まれ、まるで彼らに歩かされているかのようだった。
 晴樹は慌てて彼らの名前をチェックしたが、どれも知らない名前ばかりだった。
 一体どういうつもりだ。
 晴樹は軽いパニック状態に陥り、彼らのフォーメーションから脱出しようとやみくもにHARUを走らせた。
 けれど、彼らの動きは驚くほど俊敏で、HARUが動くのに合わせ同じように動いてくる。従って、彼らとHARUの間のスペースに変化はない。それならばと、急転換したり、スピードの緩急をつけてみた。さすがに今度はスペースに歪みが生じ、HARUの前を進む男と体が接触した。しかし、接触した相手をかわすにはしばらく相手を押し続けなければならず、その間に彼らはわずかなフォーメーションの乱れを修正し、HARUは囲みから脱出できるスキを見い出すことができなかった。
 思い切って、HARUは通りの真ん中で立ち止まってみた。すると、予想通り四方の男達もHARUを取り囲んだままぴたりと立ち止まった。
 よく見ると、皆、高価な装備をつけており、HARUよりレベルの高いプレイヤーばかりだった。
 相手の意図が分からないのは、晴樹にとって不安であり、恐怖であった。
 しばらく悩んだ末、HARUは彼らに向かって尋ねてみた。

HARU>>何か御用ですか?

 しばらく待ったけれど、返事は返ってこなかった。ダメもとでもう一度声をかけてみる。

HARU>>通してほしいんですけど。

 相手の反応より先に通行人の会話が耳に入ってきた。

CHELL>>またやってるよ。
PEEK>>かわいそー、相手まだ初心者だよ。
CHELL>>じゃあ、助けてやれば。
PEEK>>きっぱり無理デスw


 どうやら周りの人々はこれがどういうことなのか分かっているようだった。

EG>>ああいうのは騎士団の仕事だろ。
PETA>>彼らは肝心な時に街にいないからね。
EG>>まったく本末転倒だよな。


 HARUが彼らに直接話を聞こうと、質問を入力していると、正体不明の四人から反応が返ってきた。

JIMS>>w
PEACE>>ww
LODMAN>>www
KIC>>wwwwwwwwww


 笑い記号の連打。まったくもってうれしくない反応だった。晴樹はそれが嫌がらせであることをようやく確信した。そして、急に怒りがこみ上げてきた。こうなったら何としてもこの囲みを突破してやろうという気になった。
 HARUのダッシュを合図に彼らの檻も同じように急発進した。
 HARUは門をくぐって街の外へ出た。外の方が彼らを振り切れるのではないかと思ったからだ。
 だが、彼らの鉄壁のフォーメーションはフィールドへ出ても崩れることはなかった。
 ストーカーよりたちが悪い。そう思いながらも、HARUはこの状況を自力で何とかしようと、何とかするあてもないまま夢中で走り続けた。
 HARUの足は自然と通い慣れたエリアに向かっていた。いつもモンスターと会話をしている荒野に入るべくエリアアウトすると画面は暗転した。
 そしてエリアインした時、HARUの周りに彼らの姿はなかった。
 けれど、晴樹は一息つくことを許されなかった。なぜなら彼らの代わりに、HARUの目の前には今までに見たこともない巨大な三つ首のモンスターがいたからだった。
 あ、と思った瞬間、HARUはモンスターの一撃を喰らっていた。

ダムドのボディブロー>>HARUに444ダメージ
HARUは死亡した。


 どうやらこれが噂に聞いたMPKらしかった。モンスターを利用したプレイヤー・キラー。見事なまでにやられて、晴樹はただただ呆然とするばかりであった。少なくとも、その日はこれ以上プレイする気力を完全にそがれてしまった。


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