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 自分の隣に常に小さなニームがいることにHARUはいつの間にか違和感を感じないようになっていた。口数が多いのは相変わらずだが、それも嫌悪の対象とするほどのものでもない。つけっぱなしのラジオ程度には思えるようになっていた。ただ一つ不思議だったのは、HARUがログインしている時には彼もずっとログインしていることだった。これは彼の遊ぶ時間が晴樹と似ていて、なおかつ晴樹よりも長いということなのだろうが、とても普通の子供とは思えなかった。きっと何かワケアリなのだろうと思うのだが、その度に自分が言うことではないと思い直し晴樹は苦笑するのだった。

 HARUとKUROROは相変わらずモンスターとの会話に熱中し、それなりの経験値とアイテムと、それを売りさばいたお金を得て、そして、そろってレベル3になっていた。レベル3になったことでキャラの職業を選べるようになり、HARUは戦士見習いを、KUROROは魔法使いの弟子を選択していた。そして、それなりに装備をそろえたせいもあって、戦闘になっても命を落とす回数は格段に減っていた。

 

KURORO>>この【愚者の冠】って高く売れるですかね〜?

 

 KUROROは先ほどモンスターからもらった初見のアイテムに心躍らせていた。

 

HARU>>装備してもステータスほとんど変化ナシ。

KURORO>>でも、何かいいことあるかもです。そういうものが掘り出しものなのですよ、ダンナ〜

HARU>>後で店に持っていって、高く売れるようなら売ればいいし、安かったら使い道が分かるまでしばらく持ってようか。

KURORO>>そうするのです〜

 

 その時、KUROROが突然体の向きを変えた。獰猛なモンスターが知らぬ間に近づいていたのかと思い、HARUもあせって振り向いた。

 だが、そこにいたのはモンスターではなかった。

 白い甲冑に身を包んだ女戦士。その左右の胸に彫り込まれた双頭の竜は、晴樹には見間違えることのできないものだった。

 KUROROが突然叫んだ。

 

KURORO>>逃げるですよ!

 

 しかし、HARUは何の反応も返すことができなかった。

 それを見てKUROROは吠える相手を変えた。

 

KURORO>>何しに来たですか、あなたなんかに用はないのです!

 

 晴樹は呆然としてSARAHを見つめていた。何か言おうと思ったが、あの時の悪夢が頭をよぎり思考がパニックを起こしていた。

 KUROROはその小さな体でHARUをかばうように前に立ちふさがり、相手を威嚇した。

 

KURORO>>あなたなんか怖くないですよ。

KURORO>>大魔法使いKURORO様が本気を出せば、あなたなんかちょちょいのちょいなのです。

KURORO>>分かったら早くここから立ち去るのです。

 

 KUROROが小気味よい啖呵を切り終えると、それまでただじっと立っていたSARAHは、突然二人に対して頭を下げた。それが何を意味するのか晴樹には理解できなかった。

 それから彼女はゆっくりと二人に向かって歩き始めた。

 KUROROは再び小さな番犬のように吠え始めた。

 

KURORO>>来ないでって言ってるの分からないですか?

KURORO>>日本人なら分かるですよ。来たらダメなのです!

KURORO>>ダメです!

KURORO>>怒りますよ!

KURORO>>ホントに怒るですよ!

 

 立て続けの忠告に対してもSARAHの歩みは止まらなかった。

 手を出せば相手に届きそうな距離になり、ついにKUROROは行動に移った。

 

KURORO>>最大最強呪文を喰らうがいいです!

 

 冷静に考えればレベル3のキャラクターの使う魔法がレベル99の相手にどれだけダメージを与えることができるか分かりそうなものだが、KUROROにとってそんなことは考慮するに値しないことのようだった。

 SARAHの姿を呆然と眺めていた晴樹は、ふと彼女の姿が以前とどこか違うことに気づいた。なぜだかそれが気になって、晴樹は目を凝らして画面の中の彼女を見つめた。

 最初の出会いでモンスターから救ってくれた。次の出会いは死体から復活させてくれた。そして、三度目は、殺された。そのどれもが同じ装備だった。白い鎧は彼女のトレードマークだった。なのに、今日はどこかその印象が違った。

 パソコンの画面に顔を近づけて晴樹は必死にそれを探した。そして、ようやくその理由を発見した。

 彼女の首からかかった黒い真珠が、白い鎧の上に不自然に輝いていることに。

 HARUは叫んだ。

 

HARU>>ストップ、ストップだ、KURORO!

 

 だが、魔法呪文の詠唱は既に後戻りができないところまで進んでしまっていた。

 詠唱の完了と共に画面に小さなつむじ風が起こり、それはSARAHを巻き込んで大きな渦となった。

 

KUROROのエアドリル>>SARAHに0ダメージ

 

 画面には至極当然な結果が表示されていた。

 

KURORO>>ぬぬぬぬ、HARUるん、ここは私にまかせて逃げるですよ〜

HARU>>必要ないから。

KURORO>>何言ってるですか!

 

 晴樹にはなぜか確信があった。

 それを裏付けるように、攻撃を受けたにも関わらず、SARAHは何の敵対行為も見せず、ただ二人の目の前に立っているだけだった。

 

KURORO>>この前のPKの人です、また殺されるです!

HARU>>大丈夫。

KURORO>>大丈夫じゃないです!

HARU>>いいから、まかせて。

 

 HARUはKUROROの前に歩み出て、SARAHと対峙した。

 その沈黙は思った以上に息苦しかった。

 今、目の前にいる彼女が、この前の彼女と違うという確信が晴樹にはあった。それでも、なぜ違うのか、それを尋ねる勇気を絞り出すのは晴樹にとって容易なことではなかった。

 ただ重い時間が過ぎていく中、先に口を開いたのはSARAHの方だった。

 

SARAH>>しばらく、ログインしない方がいいと思う。

 

 その言葉にすぐさまKUROROが抗議の声を上げた。

 

KURORO>>何ですかそれは〜 その言葉そっくりお返しするですよ〜

HARU>>KURORO!

KURORO>>だって、この人、勝手すぎるです〜

 

 KUROROの言うことも理解できたが、晴樹にとってはSARAHの本心の方が重要だった。

 

HARU>>彼女にも理由があると思うんだ。

KURORO>>それなら、ちゃんと説明してくれなきゃ納得できないです。ぷんぷん!

 

 HARUが彼女に向き直ると、意外なことに彼女は自分の方からそれを申し出た。

 

SARAH>>ちゃんと話すから。

 

 彼女の言葉は二人を驚かせるに十分なものだった。

 SARAHというキャラクターは、二人の人間が交互にプレイしていること。SARAH本来のプレイヤーは彼女の同居人の男で、PKをするのも、二人を殺したのも彼であること。初めの二回HARUと会話したのは彼女であること。彼女は夜中、彼がプレイしない間、経験値稼ぎとお金稼ぎだけをやっていること。そして、男は本格的に初心者のPKを再開させるつもりでいること。その最初の標的にHARUがなっていること等々。

 

KURORO>>そんなこと言われても信じられないです。証拠がないのです。

SARAH>>証拠は、ないけど

 

 ネットワークゲームではそのキャラクターの行動がすべてだった。裏でそれを操っているのがどんな人間なのか、それはゲーム内では知りようがない。

 

KURORO>>大体、それが同居人なら、あなたがそんなことしないように言ってくれればすむことなのです〜 こちらにログインするなって言うのは筋が違うのです〜

SARAH>>それはそうだけど、でも

KURORO>>ほら、やっぱりウソなのです〜

HARU>>KURORO!

KURORO>>だって、おかしいのです。

 

 確かに晴樹にもKUROROの言うことの方が筋が通っているように思えた。

 

KURORO>>そもそもHARUるんもKUROROも、この人に一度殺されてるのです。

KURORO>>どうしてまた標的になるのですか。そんな何度も通り魔の標的になる理由がないのです〜

 

 そうなった時点でそれは通り魔ではない。

 

SARAH>>前のは偶然だと思う。

SARAH>>たまたま獲物を探していた彼にあなた達が出くわした。

SARAH>>でも、今度は徹底的にやられると思う。

SARAH>>彼、それで何人もゲームをやめさせてるし。

 

 彼女の言葉にKUROROは不快感をあらわにした。

 

KURORO>>大体、SARAHさんは評判がよくないのです。元ブラッククイーンなのも知ってるのです。それもこれも都合の悪いことは全部同居人の仕業なのですか?

HARU>>やめろよ、そういう言い方。

 

 勿論、全て彼女の作り事という可能性もあった。黒の女王だったのも、PKを生業としているのも、HARUを殺したのも目の前の彼女がやったことで、もう一人のプレイヤーなど存在しない。すべては彼女のでまかせ。そういう可能性はあった。

 

SARAH>>彼、私の話なんか、きいてくれないから。

KURORO>>そんなの信じられないのです。

 

 頑なに彼女の言葉を否定するKUROROを前に、SARAHはメールアドレスをHARUに教えると言い出した。

 

SARAH>>それぐらいしか、信じてもらえる方法、思いつかないし

HARU>>そこまでしなくても。

 

 確かにそれが彼女の正しさを裏打ちすることにはならない。それでも、メールアドレスを教えるというのは相手を信用し、自分を信用してほしいという意思表示でもあった。

 

KURORO>>そんなの意味ないのです!

KURORO>>フリーのアドレスなんていくらでも作れるのです。

KURORO>>だまだれちゃダメなのです。

KURORO>>罠に違いないのです。

HARU>>いい加減にしろ!!!

 

 HARUの一喝でKUROROが静かになると、SARAHは自分のメールアドレスをHARUだけに伝え、そして言った。

 

SARAH>>とにかく、彼があきらめるまではログインしない方がいいと思う。

SARAH>>少なくとも街から出ない方が。街の中ではPK行為はできないシステムになってるから。

 

 それを告げると彼女は静かに去っていった。

  HARUには彼女を引き留める言葉もなく、黙って彼女を見送るだけだった。

 彼女の姿が見えなくなると、再びKUROROが口を開いた。

 

KURORO>>おかしいです。メールなんてしちゃダメなのです。あやしすぎるのです。

KURORO>>HARUるん、聞いてるですか、今度から彼女に出くわしたらダッシュで逃げるのです。

KURORO>>いいですか、逃げるですよ、約束ですよ〜

 

 KUROROは一方的に約束をHARUに押しつけたが、晴樹としては頭が混乱するばかりで何も判断できるような状態ではなかった。

 ただ、それでも、今の心情を言えばほっとしたというのが偽らざるところだった。HARUを殺したのはあのSARAHではなく、別のSARAHだったのだ。少なくとも彼女はそう言ってくれた。それだけで今の晴樹には十分に思えた。

 

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