−07−

 晴樹はその後すぐにKUROROと別れ、ログアウトした。
 彼女がログインする可能性が高いのは夜中。晴樹も夜中にもう一度ログインして彼女を探すつもりだった。勿論、そのことはKUROROには言っていない。一人で確かめたかった。
 晴樹は戦に備えるような気持ちでカップラーメンを作って食べ、その後はFM放送を聴いて時間をつぶした。
 そうして十一時半を過ぎた頃、またいつものように母親からメッセージが入ってきた。

母の発言:もう寝るわね、何かある?
HARUの発言:別に。
母の発言:まだゲームやってるの?

 晴樹は母親にゲームの話はしていないが、戦闘シーンの効果音などはどうやら台所までつつぬけらしかった。薄々気づいてはいたが、何も言われないのにボリュームを抑える気にもならなかった。

母の発言:体壊さないようほどほどにね。
HARUの発言:おk

 そして、午前零時になった。
 サーティワン・キングダムの荒野に戻ってきたHARUは、早速サーチコマンドで彼女を捜してみた。
 だが、やはり彼女の名は見つからなかった。
 そんなとき、足下で何かが動くような気がした。不審に思って見ると、黒い物体がHARUを見上げていた。

HARU>>KURORO……
KURORO>>やっぱりなのです。相棒をほったらかしにしてはダメなのです。

 彼に内緒にしていたのでばつが悪く、思わず晴樹は皮肉を口にした。

HARU>>子供は眠る時間だよ。
KURORO>>HARUるんだって子供じゃないのですか。
HARU>>俺は違うよ。
KURORO>>えー、子供でしょー
HARU>>もう子供じゃない。一緒にするな。
KURORO>>……SARAHっていう人に会うつもりなのですか?

 KUROROの鋭さがうとましかった。そもそも、彼はなぜHARUがこの時間にここへ来ることが分かったのか。ずっとログインしたままで待っていたのだろうか。あまりべたべたされるのは晴樹としては嬉しくなかった。

HARU>>一人で会いたいんだ。
KURORO>>何ムキになってるのですか?
HARU>>ムキになんかなってない。
KURORO>>危ない人だって言ってたのです〜
HARU>>彼女はそんなんじゃない。
KURORO>>確かめるだけなら遠隔会話で十分なのです。会っちゃダメなのです。
HARU>>ほっといてくれよ。
KURORO>>ほっとけないのです。
KURORO>>危ない人には近づいちゃダメだって教わらなかったですか?

 KUROROの言葉には耳を貸す価値は見出せなかった。HARUが何も応えずにいると、KUROROは説得をあきらめHARUの隣にぺたりと座り込んだ。
 晴樹はKUROROにはかまわず十五分ごとにサーチコマンドで彼女を探し続けた。実りのない行為をくり返し、今日はもう彼女はログインしてこないのだろうかと思い始めた時だった。
 午前二時三十分、サーチコマンドはついに彼女の名前を探し当てた。

HARU>>いた!
KURORO>>どこですか?
HARU>>ラッカ!

 HARUは思わず答えていた。
 ベルズウェイクの首都ラッカは、走って五分の場所である。目と鼻の先だ。
 HARUはラッカ目指して一目散に走り始めた。KUROROもそれに続いた。
 晴樹は頭の中でぐるぐると回る昼間の連中の言葉を否定し続けた。あのSARAHが彼らの言うような人物であるはずがない。何かの間違いなのだ。濡れ衣に違いないのだ。
 晴樹は唇を噛みしめHARUを走らせた。
 エリアが変わる直前、正面から駆けてくる人の姿が目に入った。一瞬、PKかという思いが晴樹の頭によぎった。だが、その人物は見覚えのある装備を身にまとっていた。
 HARUとKUROROはほとんど同時に足を止めた。

KURORO>>HARUるん、いたです、発見なのです!

 調べるコマンドを使ったKUROROが相手の正体に気づいたのはHARUとほとんど同時だった。
 HARUに気づいてか、SARAHもまたぴたりと立ち止まった。
 彼女はラッカからこちらへ移動の途中だったらしい。それがHARUに会うためだったかどうかは関係ない。晴樹にとっては会えたことが重要だった。
 晴樹は息を整え、彼女に声をかけた。

HARU>>オレ、今日、君のことを悪く言う奴に会った。ウソだろ。ウソだよね?

 突然のHARUの言葉に、彼女はその場に立ちつくしてHARUとKUROROの二人をじっと見つめ返した。

SARAH>>レベル1とレベル2か。

 ぶっきらぼうな彼女の言葉が曇天の荒野に不吉に響いた。

HARU>>SARAH?
SARAH>>クズは死ね。

 そう言うや否や、SARAHは魔法を唱え始めた。

KURORO>>逃げるですよ、HARUるん。
HARU>>SARAH、オレだよ、HARUだよ。
KURORO>>ヤバイのです、逃げるです〜

 だが、その三秒後には二人の視界は凶悪なまでの真っ赤な炎で覆い尽くされ、絶望的なログが画面に表示された。

SARAHのファイヤーバースト:HARUに274ダメージ
HARUは死亡した。
SARAHのファイヤーバースト:KUROROに251ダメージ
KUROROは死亡した。

SARAH>>ウジ虫は失せろ。

 そう言い残し、彼女は何事もなかったかのようにその場から立ち去っていった。
 荒野には二つの死体だけが取り残された。
 晴樹は画面の中に静かに横たわる自分の分身を呆然として見つめながら、その現実を受け入れることができなかった。

KURORO>>HARUるん

 電気の消えた部屋でひとつ、机の上のパソコンのモニターだけが寂しく明かりを灯し続けていた。

KURORO>>HARUるん、いないのですか?
KURORO>>HARUるん、大丈夫ですか?

 冷蔵庫も、ベッドも、ラッセルのポスターも剣道の道具もすべては晴樹の感覚の外にあった。つまり、晴樹にとってそれは無価値であり、無意味であるということに他ならなかった。
 晴樹はベッドの上で自分でも訳の分からぬ涙を流していた。
 自分は、あのSARAHに殺されたのか?
 なぜ? いきなり? どういう理由で?
 昼間の男達の言葉が頭に浮かんでは、晴樹はそれをうち消した。うち消してもうち消しても、他に答えは出てこなかった。
 彼女とはたった二度話をしただけだ。彼女がPKをしていたとしても、それはルールを犯した悪業ではない。彼女はウソをついていたわけではない。ただ、話さなかっただけだ。PKなんてそんなものだ。それは、分かっている。
 けれど、それでも、話も聞いてもらえなかったことに、一方的に殺されたことに、クズと言われたことに、ウジ虫と言われたことに、晴樹は涙を流さずにはいられなかった。それが本当のことだからなのか、それとも彼女の口から言われたことがショックなのか、それは晴樹には分からなかったが、涙が出るという事実だけは変わらなかった。
 机の上のパソコンは晴樹に呼びかけるように小さな電子音を何度も鳴らしていた。
 晴樹が無視していると、そのうちメッセージ音はぴたりと鳴りやんだ。
 それからすぐに廊下をせわしなく歩く音が聞こえてきた。足音は晴樹の部屋の前で止まり、ドアがノックされた。
「晴樹、どうしたの? ……泣いてるの? 何かあったの? ねえ」
 心配そうな母親の声がドア越しに聞こえてきた。以前、晴樹がクスリの飲み過ぎで部屋で意識を失っていたことがあって以来、母親は晴樹の状態に過敏になっていた。
 泣き声が母親を起こしたのだろうかと思い、晴樹は声を押し殺そうとして激しくむせ込んだ。
「入るわよ、いいわね?」
 母親がドアの隙間から顔を見せると、晴樹は侵入者に向かって枕を投げつけた。
「晴樹!」
「う……あ…………お」
 晴樹は力の限り抗議したが、それはやはりまっとうな声にはならず、かすれた息を吐き出すだけだった。
 母親は壁の照明スイッチを入れた。
 母親の落胆した表情は余計に晴樹の神経を逆撫でした。
「ほ……は…………け」
「何、どうしたの? 何かあったの?」
 執拗に尋ねる母親の無神経さが晴樹には理解できなかった。
「あ…………う……………な」
 どれだけ息を吐いてもそれは言葉にはならなかった。晴樹の涙はとどまることなく頬を濡らし続けた。
「大丈夫、なのね?」
 それでも息子の様子を見て幾分安堵したらしい母親は、声のトーンを下げてそう言った。
「何か、お夜食作る? おにぎりか、何か」
 晴樹は母親に背を向け拒否の意を示した。
「……明日、お医者さんに行く日よ、忘れないでね。前回も行かなかったでしょ。せっかく予約入れたんだから、明日はちゃんと行くのよ、ね、お願いよ」
 晴樹はヒステリックにタオルケットを丸めて母親に投げつけた。
「お母さん、まだ起きてるから、何かあったらメッセージちょうだいね」
 そう言うと、母親は部屋の電気を消し、逃げるように部屋から出ていった。
 声が出ないという事実をあらためてつきつけられるのは晴樹にとって何よりの屈辱だった。
 自分は引きこもりだ。でも、真性の引きこもりではないのだ。声さえでれば、普通の暮らしができるのだ。今はただ、ちょっと調子が悪いだけなのだ。病気なのだ。対人恐怖症も、不眠症も、自律神経失調症も、不登校も、全部全部、仮の姿にすぎないのだ。だから、だから────
 TACTはどうしているだろうか。ここ数日は彼と話していない。もうサーティワン・キングダムを始めただろうか。なぜ何も言ってこないのだろう。何かトラブっているのだろうか、それとも……それより、医者の予約? 馬鹿馬鹿しい。どうして薬だけ配送してくれないのだろう。遠くまで引きこもりを連れ出して一体何が楽しいのだ。ましてや、学校なんて。医者も学校も、行かなかった日の二乗に比例してその心理的距離は遠くなるのだ。それは実証されているのだ。自分自身の体験がそう語っているのだ。それ故、今となっては、病院も、学校も、マゼラン星雲並に遠くなってしまったのだ。そんなところへただの人間が行けるだろうか。行けるはずなどないではないか。ましてや引きこもりであるこの自分が。それは死者に復活せよというに等しい。一体誰がリアルで復活の呪文を唱えられるというのだろう。


BACK
NEXT