第7章 復活



 日の傾きかけた頃、ルチルは血の気の失せた顔で城の丘をとぼとぼと下っていた。先の恐怖はいまだ彼女の心に刻みつけられたままだった。
 城門をくぐるとき、門衛たちが怪訝な顔を見せたが、別段とがめられることはなかった。
 聖剣は道化の隠していた場所に置いてきた。すべて道化の言うとおりにやったのだ。礼拝堂の祭壇の下に隠された地下への道。その中で聖剣を取り、階段のとぎれるところで、彼女は魔女と出会った。この世のものとは思えぬ姿に気を失いそうになりながら、彼女は自分がそこへ来た理由を思い出し、意識をつなぎ止めた。
 そして、願いをかけた。
 ヨクト=ブローシュダークを生き返らせて下さい
 触手が不気味にうなった後、魔女は言った。願いはかなえられたと。
 だが、いつまでたってもヨクトの姿は現れなかった。すぐ目の前での復活を思い描いていたルチルは、疑念をしだいに膨らませていった。それを魔女に問うても何の答えも返ってはこなかった。
 長い間、彼女は立ちつくしていた。
 しだいに目の前の黒い霧が意味のないもののように思えてきた。所詮、伝説は伝説。作り話にすぎないのだ。そう思ったとき、ふと墓場に行くことを思いついた。ヨクトの遺体は墓場の棺の中にある。もしかしたら、そこで彼は生き返っているのではなかろうか、と。
 そして、彼女がその場を立ち去ろうとしたその時、一層深さを増した闇の中で魔女の声が再び響いた。
<……あと、四つ>
 振り返ったルチルは、八本の暗黒の触手の動きに知らず知らずのうちに魅入られていた。
<おまえの願いを聞かせておくれ>
 その言葉にルチルは息を呑んだ。ヨクトさえ生き返ればよいと考えていたルチルの心の隙間に小さな渦が巻き始めていた。
<九つ目の願いは、いかに>
 その言葉に誘われるようにルチルは渦に向かって足を踏み出していた。




 丘を下りきったところで、道は二手に分かれていた。一つは王家の墓地に続く道。もう一方は川辺に通じる道だ。ルチルは自分の願いがかなえられたのかどうか確かめるため、片方を選ばなければならなかった。
 しばらくの間、人気のない道の真ん中で悩んだ結果、ルチルは墓地へ行くことに決めた。それが彼女にとって最も重要であることは疑いなかったし、それにヨクトが生き返っていれば、あとのことはすぐ分かることに気づいたからだった。
 日暮れの墓地は普段なら足のすくむ場所であったが、つい先ほど魔女と会ってきたルチルには何でもなかった。彼女は使用人区画をまっすぐに突っ切ると、奥の王家の区画に足を踏み入れた。
 その時、墓守たちが墓守小屋の中から飛び出して来るのが目に入った。
 ルチルは慌てて近くの石柱の陰に身を隠した。墓守たちは大荷物を背中にしょってあわてふためき彼女の横を駆けていく。
「急げ、兄弟」
「分かってら」
「もたもたしてると踏みつぶされるぞ」
「商売道具はこれで全部だっけ」
「戻ってくる頃にゃ、仕事が山積み。それにそなえてバカンスだ」
「北でのバカンス。気乗りしないな。暗くて寒くて、ああ嫌だ」
「それなら、おまえ、棺桶の中で、ウジ虫と一緒に眠ってろ」
「冗談言うな、金銀財宝持たせてくれてもおことわり」
「なら、つべこべ言わず、急げ急げ」
「ほいきた、承知だ。急げ急げ」
 二人は騒々しく墓場を駆け抜けていった。
 ルチルは彼らの言葉には注意を向けず、すぐさまヨクトの墓石に駆け寄った。
 それはこの前見た時といささかも変わらず、いやわずかでも時を経た分、墓らしい姿を整えようとしているところだった。手入れの合間の雑草が背をのばし、<ヨクト=ブローシュダーク>とだけ刻まれた文字の上には乾いた泥がへばりついていた。それは誰が見ても死者のための墓であり、これから何百年たってもそうあり続けるように思えた。
 やはり、魔女の伝説などうそっぱちだったのだ。彼女はそう思った。しかし、そう思いながらも、もう一つの彼女の心は事の顛末をはっきりと見定めろと命じていた。
 彼女は墓守小屋へ走ると、壁際に倒れていた鍬を手に取った。そして、ヨクトの墓の前に戻ってくると、大きく息を吸い込み渾身の力で墓石を押した。こんな所を誰かに見られようものなら、彼女の首など飛んでも不思議ではない。それでも、彼女には何のためらいもなかった。
 ようやくのことで墓石が場所をあけると、ルチルは色の変わった地面に鍬を振り下ろした。
 その一振りごとに彼女の願いは強くなっていった。彼は生きている。生き返っている。この土の下であたしの助けを待っているのだと。
 一心不乱に鍬を振り続ける彼女の背後からいきなり声が聞こえた。
「何をしているのですか、あなたは?」
 ルチルは急に現実に引き戻された。振り返ると、そこには一目で高貴な身分であると分かる女性と壮年の騎士が立っていた。その女性の容貌はルチルに言いようのない劣等感を感じさせた。そして、その劣等感がそれが誰であるかを彼女に思い出させた。
 フォルティーズ辺境伯の妹君、アースィ。以前、城で出会ったことがあるのをルチルは思い出した。
 アースィは険しい表情でルチルを問いつめた。
「それは、ブローシュダーク王家ヨクト様の墓とお見受けいたします。それを掘り起こそうとは、一体どういうお考えですか」
 付人らしき隣の騎士が咳払いをして会話に割って入った。
「しかし、姫、女の墓荒らしなど聞いたこともありませんぞ。それもまだ日も暮れやらぬうちから。おまけにこのような……」
 ルチルは自分の顔に困惑の視線を向ける若い騎士から顔をそらした。それは明らかに彼女が受けたことのない種類の視線だった。
「この行為が墓荒らし以外の何だというのです」
 アースィは騎士の反論を許さず、ルチルに歩み寄ると、彼女の鍬を取り上げようとそれに手をかけた。
「やめて!」
 咄嗟にルチルはアースィの手を払いのけた。
 騎士の顔色がさっと変わり、腰の剣に手をまわした。
 よろけたアースィは引き下がる様子もなく、ルチルを睨み付けた。
「故人の墓にこのような仕打ち、どのような理由であろうと、許されることではありませんよ」
「どいて……下さい」
 頑ななルチルの態度に二人は苛立ちを強めた。
「いい加減になされよ」
 今度は騎士の男が手を伸ばしたところ、素早くルチルは一歩退いて、鍬を剣のように構えた。
「ヨクト様をお助けするのがあたしの仕事です。ヨクト様はこの土の下で待っているんです。……待っている、はずなんです……」
 彼女の異常な言葉にアースィと騎士は顔を見合わせた。
「……ヨクト様はお亡くなりになったと聞きましたが」
 異常としか思えぬ行動を取る相手に、アースィは疑い深くさぐりを入れた。
「ええ……アースィ様がお帰りになった翌日に……」
 相手の言葉にアースィは首を傾げた。
「あなた、わたしのことを知っているの?」
「い、以前に一度、お城で」
「……」
 記憶をたどってもアースィは目の前の女性を思い出すことはできなかった。
「あの、あたし……」
 あることを確かめようと発したルチルの言葉を騎士の言葉が遮った。
「アースィ様、もうブローシュダークには用はございますまい。ヨタ王が会見を拒む以上、あなたにできることは何もございません。少しはわたしの立場もお考え下さい。ロイズ様からは無理にでも連れ戻せと言われているのです。このような気狂い女に関わっている暇はありませぬぞ」
 それから男はため息をついてルチルに言った。
「おまえもこの国から早く立ち去るがいい。すぐそこまで我がフォルティーズの大軍が迫っておるぞ」
 だが、それを聞いてもルチルはひるまなかった。
「それならば、あなた方こそ早々にお引き取り下さい。あたしはここでやることがあるんです」
「あくまで死者の墓を暴くというのですか?」
 相手も自分同様一歩も引く構えを見せないのを見て取り、ルチルは意を決して言った。
「もし、棺を開けて何も起こらないなら、墓荒らしとしてどのような責めも負いましょう。ですから、それを確かめさせて下さい。どうかお願いです」
「……」
 男は二人の女性の押し問答に嫌気が差し、勝手に判決を出した。
「そこまで言うなら好きにするがいい」
「ボームス!」
「アースィ様、すぐに征服されるとはいえ、ここはまだ他国。本来、余所者の我々が口を出すことではありませぬぞ。その道理が分からぬわけでもありますまい」
 長い沈黙の後、ようやくアースィは不承不承ながら相手の言い分を受け入れた。
「分かりました。事の真偽この目で確かめさせてもらいましょう」
 そして、ルチルの作業は再開された。背後から二人の視線が厳しくそれを監視していたが、ルチルには気にもならなかった。彼女の頭は土の下でヨクトが息を吹き返しているのか否かで一杯だった。
 掘り起こす土の中では土虫がその細長い体をくねらせていた。それはルチルの気をくじくものではなかったが、嫌な予感をかき立てられずにはいられなかった。
 埋葬から既に半月がたっていた。冷静に考えれば、ヨクトが生きているはずも、生き返っているはずもない。
 だが、彼女は魔女に願ったのだ。ヨクトを蘇らせてくれるように。あれが魔女ならば、伝説が本当ならば、ヨクトはこの土の下で目を覚ましているはずなのだ。そうでなければならないはずだった。
 鍬の先に固いものがあたった。ルチルは地面にはいつくばり、両手で土をかき出した。
 ぼろぼろになりかけている木製の棺の表面の一部が見えると、思わずルチルは声を上げた。
「ヨクト様、ルチルです。お助けに来ました。生きておいでですか、ヨクト様!」
 その様を後ろの二人は息をのんで見つめていた。
 騎士は疑わしい目つきでルチルを見ながら言った。
「何かの狂言ですぞ、姫。惑わされてはなりませぬ」
 その言葉をすり抜けて、アースィは穴のルチルの横にすべり込んだ。
「姫様!」
 アースィは騎士の悲鳴にも、ルチルの驚きの表情にもかまわず、棺の上の土をかき出し始めた。意外な闖入者に一瞬手をとめたルチルもすぐに自らの仕事に戻った。
 背後の騎士のヒステリックな声は耳に入らなかった。何かに突き動かされるように二人はただ一つの目的のため共同作業に邁進した。
 アースィのいつもの清楚な姿はどこかに消え去り、服は言うに及ばず、顔にも髪にも泥がへばりついていた。それも墓穴の中でである。騎士はいつの間にか声を失い、ひたすら首を振ってその姿を見守っていた。
 そして、棺の表面があらわになった。
 二人は無言で視線をあわせ、その手を棺の蓋にかけた。釘打ちされたそれを渾身の力を込めて引き剥がそうとする。泥にまみれた手は切れて血が滲み出していた。それでも二人はその行為をやめようとはしなかった。
 そして、ついにその努力は報われた。
 二人の信じがたい行為をただ眺めていた男は、いきなり墓穴の外に放り投げられた棺の蓋をあわてて身をかがめてよけた。
 二人が目にしたのは、奇妙な光景だった。朽ちかけた棺の中、鼻を突く腐臭をまとい横たわっているのは、確かにヨクトだった。
 しかし、その頭部は生者のもののようであったし、彼の四肢もまた、いまだ血の通った肉をまとっていた。
 だが、それ以上に目を引いたのは彼の体だった。埋葬の折、着飾った王族の装束はぼろぼろの端切れとなり見る影もない。ただ、その下の彼の胴体だけが、寒々とした白い骨によって本来あるべき形を保っていた。
「……ヨクト、様」
 ルチルはつぶやきとも、呼びかけともつかぬかすかな声をもらした。
「不吉な……」
 騎士は墓穴をのぞき込み、顔面をこわばらせた。
「アースィ様、一刻も早くこのような場所から……」
 そう言いかけて彼の全身は固まった。
 彼の視線は、棺の中のヨクトの両目に固定されていた。人形のように大きく見開かれたそれは、虚ろなそれからしだいに意志を持ち始めたように見えた。
 そして、あろうことかその異様な体はむくりと棺の中から上体を起こしたのだった。
 その奇跡に対し、騎士は悲鳴と共に駆け去り、アースィは墓穴の中で気を失った。
 この世に再び生を受けた男は呆然とした表情であたりを見渡した。
「……ここは、どこだ?」
 ルチルは感極まり、言葉をのどに詰まらせながらそれに答えた。
「王家の、墓地で、ございます。ヨクト様」
「……生き返ったのか?」
「左様でございます」
「俺は、この世に、舞い戻ったのだな」
「仰せのとおりございます」
「……フフフ、ハハハハハハ」
 墓地に高らかに響き渡った笑いが静まった後、彼は棺の中から立ち上がろうとして、ようやく自分の姿に気づいた。
 ルチルは言葉を失った彼を黙って見つめた。
 まさかこのような姿で復活しようとはルチルも想像していなかった。本人に至ってはなおさらであろう。しかし、ヨクトに取り乱した様子は一片も見えなかった。
「これが、俺の新しい体か……」
 まじまじと白い骨だけからなる自分の胴体を見て、ヨクトはつぶやいた。
「魔女の力、だな」
 ルチルはおそるおそるうなずいた。
 顔を上げてヨクトは目の前の女に初めて視線を合わせると、いぶかしげに言った。
「おまえは……誰だ」
「あ、あたしをお忘れですか、ヨクト様」
 心臓をわしづかみにされる気持ちでルチルはうめいた。
「見たことのない顔だ」
 思わず言葉を失ったルチルは、すぐに先ほどのアースィと騎士の態度を思い起こした。それは、魔女への二つ目の願いがかなったことを意味していた。
「本当に、あたしのことがお分かりになりませんか?」
 ルチルは今一度念を押した。
「くどい。別におまえが誰であろうとかまわぬ」
 ヨクトは立ち上がって大きく息を吸った。
 だが、それは首の下からむなしく抜けていった。
「奇妙なものだ」
 ヨクトはさらりとつぶやいた。
「これで動けるのだから驚きだ」
 ルチルは彼の言葉に胸を塞いだ。自分の望みが、思ったのとは違う形でかなったことに狼狽を隠せなかった。そして、ヨクトに対して罪悪感さえ感じていた。
「誰が俺を生き返らせたのだ? ヨタか? いや、あいつにそんな勇気があるはずがない。では、誰だ? そいつには感謝しなくてはな」
 その問いにルチルは思わず答えそうになった。
「しかし、他に下らぬ願いをかけているようなら即刻首をはねてくれる。魔女の力は、この俺のものだ」
 その言葉を聞いて、ルチルは自分の正体を明かす機会を逸してしまった。
「それは、誰だ?」
 ヨクトの視線は墓穴の底に倒れている女を捉えていた。
 ルチルはヨクトから彼女を隠すように彼女に覆い被さった。
「ヨクト様のお気になさる者ではございません」
 だが、ルチルのその行為にヨクトは好奇心を刺激されたらしく、ルチルの体をぐいと押しのけ、倒れた女の顔をのぞき込んだ。
「フォルティーズの姫君ではないか」
 明らかに好意のこもった声を発するヨクトに対し、ルチルは不快感を隠せなかった。
「彼女はヨクト様のお姿を目にして、気を失ってしまったのです。どうか、お気を悪くなさらぬように」
 しばらくの間、ヨクトは考え込むようにもの言わぬアースィを見つめていた。
「それより、ヨクト様、すぐ近くまでフォルティーズの軍が迫っているとのこと。じきに戦になりましょう。いかがなさいますか」
 ヨクトは墓穴から大きな一歩を踏み出し、地上への一歩を印した。体の向こうに夕焼けを映すその体は、そこが墓場であることをのぞいても一層異様に見えた。彼は赤い雲が立ちこめる空を見て、不敵な笑みを浮かべ小さくうなずいた。
「城へ行こう。まずは兄に挨拶せねばな」
「お待ち下さい。その前にお召し物を用意致します。それに、他にもいろいろと準備がございます。今日のところは……」
 彼女の言葉を気にもとめず、ヨクトは気を失ったアースィを軽々と抱え上げた。
「彼女を連れていくおつもりですか」
 ルチルの動揺を面白がるようにヨクトは言った。
「手に入るものは、手に入れる。魔女の力は貴重だからな」
 そうして、ヨクトはアースィを抱きかかえたまま歩き始めた。



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