「九郎さんてつまんない人ですね」
 妹弟子の開口一番がそれだったので、訳の分からぬまま詰られた当人がむっとするのは致し方ないことだと言えた。怒鳴りあいへと即座に発展しなかったのは、ひとえに九郎が己を抑えた───そうする必要があった───からに他ならない。
「何が言いたい」
「言葉通りです。つまんない生き方してるなって思ったの」
「悪ふざけも時と場合を選べ。今は相手をしている暇がない」
 九郎の目通しを待つ書面は、現在この房にあるだけでもひと山を築いている。押しかけてきた望美と常のごとく口論をしていられる状況ではなかった。鎌倉名代として職務を迅速かつ確実に遂行することが、その名と軍を預かる者の最低限の責務である。少なくとも九郎はそれに対して努力を怠りたくはなかった。
 望美の視線が九郎から文机、書面の山をするりとひと撫でする。そして己のもとへ戻ってきた新緑の色に、九郎は閉口した。これはあれに似ている。五条の腐れ縁が己を揶揄する際の、あの死んだ魚を思わせる胡乱な目つきだ。
「九郎さんみたいな人を表現するぴったりの言葉が、私の世界にはあります。ワーカホリックです。仕事中毒っていうんです」
「為すべきことがあるなら取り組むのは当然だろう」
 つい言葉を返してしまってから、しまったと九郎は悔いる。これではまんまと望美の思うつぼだ。望美がそう意識しているかどうかは限りなく怪しいものの。

 

(【その前夜】より)

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