男の攻防

 

 ぴりぴりとした殺気が九郎の全身を覆い尽くしていた。
 それに相対する弁慶もまた、殺気こそないものの、唇に浮かんだ笑みは背の凍るような冷気を漂わせている。

 かつてそれはよく見られた光景だった。戦にかけては天与の才ある源氏の御曹司と、それを補佐する軍師の意見の衝突。どちらも己の意見に根拠があり自負があり、相手の意見を受け入れがたいと認識している。職権の席次で考えるならば九郎に勝る者はいなかったが、彼がその強権を振りかざすことは滅多になかった。少なくとも乱戦の渦中のような、瞬時の決断が必要とされる場合でない限り。
 彼らが現在腰を落ち着けているのは、故郷から遠く離れた異国の土地。余裕のある暮らし向きではないが、その代わりに得物を手にして殺し合う必要もない。そんな中でこれほどの敵意を、しかも仲間同士で向け合う理由はどこにもないはずだった。

 真一文字に引き結んだ唇を、九郎がゆっくりとほどかせた。

「───それは許さん」

 弁慶は形だけおっとりと首を傾げてみせる。

「では、どうするつもりですか? 代案なく却下するのは無能というもの」

「俺がやる」

「君にできるとでも?」

「咄嗟の手当てなど、よくあることだ」

「その場凌ぎのものでしょうに。僕のところへ辿りつくまでの間を保たせる程度のことしかできないでしょう」

 九郎はこれ以上は無理だろうと思うほど、ぐっと眉を寄せた。膝の上で握られた拳がふるふると震える。それは自分に対してというよりも、彼自身に対しての憤りなのだろう、と弁慶は思う。
 九郎の気持ちも分からなくはないのだ。ただ、その主張を聞き入れるだけの余裕が、今この場にはないだけで。

「こういうことは、経験のある者に任せておきなさい。それが結局は一番、望美さんのためになります」

「…………」

「彼女にとって一番いい形を整えるのが、僕たちの役目でしょう?」

 弁慶はそう言い、自分の側からは矛を収めた。後は九郎がどう出るかだが、望美の名をちらつかせた以上、こちらの勝利を元軍師は確信していた。
 白くなるほど力の込められていた九郎の拳が、しばらく経ってから、ふっとゆるんだ。

「…………分かった、お前に任せる」

 呻くように呟いて顔を上げた九郎は、それこそ溺れる者が藁を見つけたような必死の形相をしていた。
 こちらの意見が通ったことで、弁慶は腰を上げた。あまり悠長に構えている暇もない。

「大丈夫なんだろうな? 万一のことがあれば、俺はお前を許せそうにない」

「心しておきますよ。僕だって今更、君の太刀の錆にはなりたくありませんし」

「無事に取り上げたことがあるんだろうな」

 九郎の問いかけに、弁慶は入り口の幔幕を跳ね上げつつ答えた。

「ある訳ないでしょうが。僧籍の身に何を訊くんです」

 一拍おいて響き渡った九郎の怒声を気に留める者は、弁慶以外の仲間にもいなかった。

 

 

「……っ、ふぅ……」

「大丈夫? 手を握り締めてはだめよ、怪我をしてしまうわ」

「へへ……ちょっと、思ってたよりきついかなぁ」

 小さな幔幕の中にかんかんと火が熾され、湯がたっぷりと沸いている。周囲をてきぱきと動き回るのは、大柄な女性たちだ。日に焼けた顔の輪郭は少しいかつく、目が少しばかり細い印象がある。
 その中に囲まれている娘二人は、片方が寝床に横たわっているのを、もう片方が額の汗を拭っていた。

「でも、平気だよ。こんなにたくさんの人が助っ人に来てくれてるんだもの」

「そうね。本当に、ありがたいことだわ」

 望美の気丈な返事に、朔も微笑んだ。寝床の付近を通りかかる女性たちが口々に声をかけていく。言葉は分からなくても、その笑顔と声の柔らかさで、励まされているのだと分かる。中には望美の大きな腹を、ぽんぽんと軽く触れていく女性もいた。
 初めての出産が怖くない訳がない。しかも、望美の生まれ育った世界からすれば、限りなく原始的な方法しかない世界。けれどどんな場所でも、支え合う人の温かさを知った。言葉が通じなくても気持ちが通い合うことを知った。その絆があれば、ほとんどのことは苦にならない。

「弁慶殿、遅いわね……まだなのかしら」

 朔が不安そうに呟いたが、望美はけろりとしたものだった。

「弁慶さんがいなくても別に大丈夫そうだけどね」

「あなた、不安ではないの? 何があるか分からないのに」

「だってこんな経験豊富なお母さんたちに手伝ってもらえるんだよ。男の人の出る幕ないと思うんだけどなあ」

 そう言って望美は片手を上げ、ひらひらと掌を振ってみせた。朔は瞬き、女性たちは笑う。鎌の切り傷や節のある丈夫な掌に額を撫ぜられて、もうすぐ母となる娘はくすぐったげに笑った。

 

 

 うろうろそわそわと、九郎はひたすら落ち着かない様子で、幔幕の周囲を歩き回ったり立ち止まったりを繰り返す。時間の感覚など無いに等しく、あとどれだけ待てばことが済むのか見当もつかない。望美と子の無事を祈るしかできない己が歯がゆくて仕方ない。布で隔てただけの空間のこと、望美の悲痛な苦鳴が聞こえてくる。最初は断続的だったそれは次第に間隔を早め、今ではもうひっきりなしに響いてきて、耳にしている九郎のほうが身を切られるより辛い心地がした。
 何度目になるかもはや分からない視線を九郎が幔幕に投げた時。

 ───きゃあ、ふぎゃあ。

「…………っ」

 音が、不意に───変わった。
 聞いたことのない音。……新たな命の、声。

 膝が砕け、無様にも尻餅をつく。だがそんなことはどうでもよかった。
 少なくとも子は生まれたらしい、けれど望美の無事は。今すぐに中へ飛び込んで確かめたいのに、足が萎えて動かない。もし、と考えるだけで恐怖に竦む。そんな九郎の目の前で、ばさりと入り口の布が動き、見知った顔が出てきた。

「───あ、九郎殿!」

「さく、どの」

 舌すらろくに動かない。これほどに何かを恐れたことはなかった。
 朔は自分も潤んでいた目元を擦り、勢い込んで口を開いた。淑やかな彼女らしくもない態度だった。

「無事です───望美もお子も。どちらも、元気で、無事に……」

 そこまで言うのがやっとだったのか、朔は両手で顔を覆ってわっと泣き出した。
 萎えていた四肢にようやく感覚が戻ってくる。
 よろめきつつも九郎が立ち上がった時、もう一つ、見知った顔が出てきた。

「おや、九郎、ずっとここにいたんですか」

 旧友の態度は普段と変わらない。もとから笑みを浮かべているような表情が常なせいもあるだろう。薬師が何らかの形で望美の助けとなったのか、それは分からなかったが、ともかく礼を言おうと九郎は唇を開きかけ、

 彼が抱えているものに目を留めてぴしりと固まった。

「おめでとう九郎。可愛いお嬢さんですよ」

 弁慶はにっこりと微笑みながら、そう言って腕に抱いた赤子を差し出した。それに対する九郎の返答はいつまで経ってもない。感極まっていた朔もその不審な間合いに疑問を覚え、ようよう涙を拭いながら顔を上げた。
 九郎は頬を朱に染め、眉をこれでもかと顰めてわなわな震えていた。
 次の瞬間、響き渡った怒声。

「───何故お前が父親の俺より先に子を抱き上げてるんだっ!!」

 

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**ひとこと**
さゆりさまへのプレゼントSS、リク内容【モンゴルでいろいろあった九望】。
ほんとーにほんとーーーにお待たせしまくった挙句、どうしてもネタが固まらなくてご本人にお伺いをたてました…。
結果、さゆりさまのお言葉をほぼそのまま文章にしただけです(爆)。ほんとはもっと後日バージョンまであったんです。
つまり立ち会うのも最初の抱っこも自分だと旦那さんは主張したかった訳で。最後の絶叫が全てでした。

さゆりさま以外の方のお持ち帰り・転載を禁じます。