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「基本は舞の動作なんだから、そこから順番に押さえたほうが早いです」 その時には確かに二人とも、それが正論だと思ったのだ。
きん、と澄んだ金属音が庭先に響いた。
その中でこんな音を響かせるのは、仲間内でも三名ほどしかいない。もしそこで庭先を覗く者がいたならば、予測どおりの人物の姿をそこに見出したことだろう。三人そろっているか、あるいは最も年長の師と弟子のどちらか片方の取り合わせであれば、金属音の他にはめったに音が聴こえない。しかしそれ以外の組み合わせだったりすると、大抵は最終的に騒音が撒き散らされることになるのだった。そしてその騒音は「巻き込まれるのも阿呆らしいので無視する」という対応が、仲間うちでは暗黙の了解になっていたりする。 「あー……。今日こそ一本取れるかと思ったのに」 「そう簡単に取られてたまるか。だが、この前よりも随分と腕を上げている」 ひとしきりむくれると落ち込む妹弟子に、兄弟子が笑って答えた。この相弟子の奇妙なところは、剣を手にして打ち合えばぴたりと気が合うくせに、剣を降ろしたとたんにわあわあと喚きだすところだった。 「だってこれで三十九連敗なんですよ! いくら九郎さんが兄弟子だからって」 「お前、いちいち数えてたのか」 「当然です。う〜、絶対四十連敗はしませんからね!!」 本日の場合、喚いているのは妹弟子である望美のほうだけらしかった。もっとも兄弟子である九郎も大層気の短い部分があるので、どこまで鷹揚さを保っているかはどうかは怪しいものだったが。 「お前のほうが得手とするものもあるだろう」 「どこがですか。腕力はそもそも段違いだし、素早さは私のほうがほんの少しは上かもしれないけど、結局は手数で攻める分、効率では全然勝てないですよ」 望美は矢継ぎ早に九郎と自分の優劣を並べ立て、改めて分かりやすく落ち込んだ。 「お前の剣筋のことだがな。俺にはどうもまだ、うまく呑みこめんらしい」 「え?」 「この間、教えを請うた時に言っただろう。お前の剣筋は舞のようだと」 吉野山の道中での出来事を、望美は思い出した。 「暇を見て時折やってみるんだがな、どうも手足がもたついて、お前のようには動かん」
もたもたと手足を動かす九郎を想像し、望美はぶっと吹き出した。一度実物を見ているので、やたらとリアルな想像だった。その反応に、九郎はさすがに不快そうに眉を顰めて横を向く。ただし頬の色づきは隠せなかったが。 「……九郎さん、そんなにあの動き、習得したいんですか」 「ああ。理に適う動きであれば、どんな型も身につけて損はないものだ」 「じゃあ、稽古つけてくれたお礼に、今度は私が九郎さんの動きを見てあげますよ」
繰り返すがここは、源氏が接収し梶原に任せている、京六条の櫛笥小路邸である。邸の其処此処に仲間がいて、いつどこから何を目撃されてもおかしくない。望美の申し出自体はありがたいが、無様な姿を衆目に曝すことに、頷こうとする直前で九郎は気づいた。 「―――い、いらん!!」 勢い込んだ九郎の剣幕に、望美は怒るよりむしろ驚きの感情を刺激された。 「いらん、って。九郎さん、身につけて損はないって、今自分で言ったばっかりじゃない」 「と、とにかくここではいらん。更なる研鑽を積めばどうにかなるだろう」 「初心者が自分一人でやろうとしても無理なこと、九郎さんだって知ってるでしょ。今まで剣のことで私にさんざん言ってたくせに」 「…………だろう」 「えー? きこえませーん」 ぐっと詰まった九郎のそばに寄り、望美はずいと顔を近づけてみる。正確には、耳を。 「……こけて醜態を曝すなど、武士として恥だろう」 「…………」 望美はまず呆れ、でもまあ九郎さんは仕方ないのかな、と思いなおした。 「じゃあ、見えにくい場所ならどうですか?」 「は?」 「もうちょっと木陰に入ったところとか。みんなの目にはつきにくいところで、まず舞から教えてあげます」 「……いや、舞を習う必要はないんだが」 「だめ。基本は舞の動作なんだから、そこから順番に押さえたほうが早いです」 修練は基礎を身につけてこそ生きる。 「…………、分かった、頼む」 だから九郎はそれに頷いたのである。
自分が朔に初めて舞を教わった時のことを思い返しながら、望美は一つひとつの型をなぞって見せていた。 「こ、こうか?」 「もうちょっと右手が上です。あ、後ろには引かないで」 人にものを教えるというのは、思った以上に難しいものだ。自分がそれを完璧に理解していないと、咄嗟の注意や説明など出てこない。今更ながらに、まったくの初心者だった自分にも分かりやすく教えてくれた朔の力量に、望美は舌を巻く思いだった。自分はそんな彼女にとって教えやすい相手だっただろうか―――と思うと冷や汗が出そうな気がする。 しかし確実に言えることが一つだけあった。 「だからそこで足を動かしちゃだめ! 左手はゆっくり、内から外へ広げるんです」 「だがそれでは転ぶだろう」 「そうならないように、軸足をうまく調節するんですよ。ほら、右手も止めない」 「そんな一度に言われてもできるか!」 「私も朔もやってますよ!」 手足がもたつくどころの騒ぎではない。舞の基本をまるで理解していない九郎の動きは、吉野山で多少見ただけの動作を更に我流の解釈を加えていたせいか、型がことごとく間違っていた。別に九郎は美しい舞の教えを請うている訳ではないのだが、「やるとなったらとことんやる」のが望美の、そして九郎にも共通する性質だった。望美は遠慮容赦なく九郎の動きに訂正を加え、九郎もそれをいちいち真面目に取り入れようとしている。もはやこの舞稽古が剣筋習得のためだという事実は、両名の頭の中からは消え失せていた。 「だからこうして、次はこう! 九郎さん、ちゃんと見てます!?」 業を煮やした望美の身振り手振りは自然と大仰なものになる。 「───っえ」 視界に移る九郎の顔がぐるりと、転がるように回っていく。 「望美!!」 ぼすん、と音がした。それは自分の耳元から直接、全身に響いた。 「……お前は、まったく。足元を疎かにするなと言ったのはお前だろうが」 その時になってようやく望美は、回っていたのが九郎ではなく自分だったことに気づいた。足を滑らせてこけたのだろう。望美の跳躍につきあい続けるスニーカーの底は、すでに溝など見えなくなって久しい。 「…………」 髪をゆっくりと梳かれる感覚が、耳の裏から首筋に伝わる。恐らく無意識なのだろう、気づけば望美にも増して真っ赤になる九郎だろうから。 厭なことなど、一つもなかったのだから。 「もうおしまいってことでいいかなあ?」 しかしそんな神子の願いは、のんびりとした声に遮られた。 「兄上! ……ごめんなさい、望美。気の利かない不出来な兄で」 「だって朔〜、そろそろオレ、手がしびれてきちゃってさ……」 「情けないことを言わないでください。殿方のくせに兄上ったら」 梶原兄妹の関係は、妹が強い。圧倒的に強い。 「本当にごめんなさいね。……その、物干しの竹が、ね?」 「竹?」 望美と、彼女を腕に収めたままの九郎は、ぐるりと反対側を向いた。 「……ああ、済まない。邪魔をしていたな」 「あ〜別にいいけどね。九郎の舞なんて、滅多に見れないモノが見れたし」 「っ!! 言うなよ、景時」 「うんうん。九郎が望美ちゃんと抱き合ってたなんて、誰にも言わないからさ。ほんと、息がぴったりの仲良しだよね〜二人とも」 その瞬間、九郎は面白いように固まった。腕を解いて望美を解放することにも気が回らないほど、頭の中は真っ白らしい。 「あなた、私に習った舞をそのまま、九郎殿に教えていたの?」 「え? うん。私、これしか知らないし」 「……あのね、望美。この舞は龍神の神子の奉納舞だって、私、言ったわよね」 「えーっと……ああ、そう言えば、そんなこと言ってたね」 「…………。神子の奉納舞ってね、女舞なのよ」 「へ?」 「少なくとも、成人した立派な殿方が舞われるものではないわ」 朔のその溜め息と同時。
「──────っこの大馬鹿者ッ!!」
息を吹き返した九郎の、盛大な怒声が響き渡った。
了 |
**ひとこと**
100000Hit申告のグインさまへのプレゼントSS、リク内容【望美による九郎への舞指南、八葉にからかわれる】
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当て馬な八葉は「意地でもいけない人を封印せねば!」というモットーによりトッキーにお任せしました。
でも朔は出た…内容が舞だったので、最後のオチに利用させてもらおうと思いまして。のんびりまったり照れ九望。
神子も九郎も思い込んだら一直線で、方向がズレても気づかないまっしぐらな人だと楽しい(笑)。
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