探した言の葉

 

 ひとたび足を踏み出せば、周囲はすべて敵。
 そんな状況も当然のように受け入れてきた九郎にとっては、たとえ現在自分が身を置く場所が戦場ではなくとも、常に気を張り詰めていることが普通だった。周囲がどんなに麗しい景観に恵まれていようと、周囲の人間がのどかに笑いさざめいていようと。いつ何時、なにが起こるか分からぬ世情であるから。
 かえって人が多いのが落ち着かない。何かよからぬことを企む輩が紛れ込んでいたとしても、それを事前に探し当てることも取り押さえることも、困難になるからだ。そこに身分だの政略の駆け引きだのが混じると、もはや九郎には理解不能な領域だった。できれば面倒ごとだけは起こってほしくない。

 そんな九郎の願望とは関わりなく、厄介ごとは自主的に押しかけてきた。

「わー! すごい、人いっぱいだねえ」

 白龍の神子、という名前のついたその厄介ごとは、呑気に声を上げながら周囲を見渡していた。高い声はよく通るし、何しろその丈の短すぎる妙な装いを一目見ただけでも、間違いなく彼女であると断言できる。あんな破天荒なじゃじゃ馬が二人もいて堪るか、一人だけでも手に負えぬというのに、と九郎は心底うんざりする。

「───なんだ、お前たち。来たのか」

 仕方なくそう声をかければ、望美がくるりと振り向いた。

「あ、九郎さん」

 阿呆面に一層磨きがかかっているな、と九郎は思った。にこにこと満面の笑みを浮かべて、何がそんなに楽しいのか知らないが、幼子のように手まで振ってくる。己の神子を真似ようとでもいうのか、望美の脇にひっついた白い子どもが、同じように真白の袖をふわふわ振ってみせた。
 別に非難する気はなかった。むしろ、そんな気の抜けた仕草を目にして、九郎もつい頬がゆるみかけたくらいだ。自分に真似ろと強要されても無理だが、見ている分にはたいそう微笑ましい。

「絶好のお花見日和だし、ちょうどいいから寄ってみたんです。すごい人ですねえ」

 見た目どおりの呑気な声で呑気な理由が返ってきた。

「これから雨乞いの舞が始まるからな。祭祀の要だ、無理もあるまい」

 だから花見が目当てならば別の場所に行け───と九郎が続ける前に、望美はぱちりと瞬いて、九郎の後方にある舞台を見つめた。

「舞があるんですか? わ……見たいかも」

 

 

 顔が利くというのはこういう場合、便利なのかそうでないのか。ともかく望美たちが舞を見物できる場所を用意するため、九郎は後白河院に話をつけねばならなかった。
 既に神泉苑は多くの人でごった返しており、舞台を一目見ようと押すな押すなの野次が飛び交っている。舞は雨乞いの祭祀そのものと言っても過言ではなく、見たければそれなりの場所を確保する必要があった。

「なに、そなたの知己?」

「は。事前にお伝えできず恐縮ですが、是非にお願いできればと思います」

「ふむ……運が良いのう、その者たちは。駆け込みで奉納の神儀を見物なぞ、なかなか出来ることではないぞ」

 僅かに厭味を溶け込ませた口調で、院は頷いた。

「よかろう。九郎、おぬしの傍に控えさせておれ」

 九郎の居場所は上座中の上座、院の端近だった。儀式の監督と貴人の警護を兼ねる源氏としてのその位置に、神子と言えどうら若い娘たちを連れるのはどうかと思う。
 しかも九郎にとって困ったことに、そんな場所に置いたが最後、望美がどんな突拍子もない無礼を働くか分からない。常識からかけ離れているあの娘はただでさえ目立つ。余計な詮索を受けかねない、と考えただけで頭が痛む。

「いえ、院の御前になど、無作法すぎてお出しできるものでは……。舞台が見えるほどの場所であれば十分と存じます」

「ほ。相変わらずそなたも堅苦しいのう」

 今回に限っては堅苦しいという以前の問題だったのだが、そこを敢えて訂正すると、更に事態が悪化しそうな気がした。
 従って九郎は黙って頭を下げるに留め、舞披露の準備は滞りなく進められていく。

「───ええい、もっとましな舞手はおらんのか」

 院がそう声を荒げた瞬間、九郎はその場をこっそり立ち去りたくなった。もちろん実際にそんな真似はしないが。
 この場にいるのが自分一人ならば、そんなことは思わなかっただろう。院の気まぐれは今に始まったことではなく、多少のことならば、受け流すのは周囲の取り巻きに任せておけばいいのだが。
 思い出してくれるな、との九郎の願いも空しく、院はくるりとこちらを振り向いた。

「そう言えば、そなたの知己に娘たちがおったの。どうじゃ、あれらは舞えるのか?」

 

 

 朔は物言いは柔らかながらも頑として拒んだが、望美は小首を傾げて「いいですよ、効果の保障はしないけど」と答えた。そのあっけらかんとした態度に、むしろ九郎のほうが拍子抜けするほどだった。

「やってくれるか……済まない」

「へへー。あとで何かおごってくださいね」

「分かったなんでも買ってやるから今は無駄口を叩かないでくれ!」

 舞台に追いやった望美の後姿を見つつ、ひょっとしてとんでもなくお門違いな娘に雅ごとを頼んでしまったのではないか、と九郎は内心で頭を抱えていた。だいたい院直々のお声を賜っているにも関わらず、恐れ入る様子のかけらさえも見せていない。それともあれは、単に頭が弱いのだろうか。
 そんな危惧すらいだきつつ九郎が見守る中、望美はゆっくりと、舞台へ通じる朱塗りの階に足をかけ、中央に進み出て膝をついた。

 ───その瞬間だった。

 望美の気配が変化した。
 あれほど能天気にへらへらと笑っていた親しみの空気が、一転して厳かなかんなぎの風情を漂わせる。舞扇を開くその仕草、神前に供える奉納舞の儀礼を完璧に守った作法、あたかも何処ぞの斎院姫宮ではないかと思わせるほど、舞台の中央にいる少女は厳粛たる巫女だった。

 舞扇がひとさし、動く。
 桃色の小袖が、ふわりとなびく。
 紫紺の髪が、扇に袖に散り掛かる。

「…………」

 なんと形容すればいいのか、分からない。
 ただ、魅入る。
 魅入られて───囚われる。

 そのまま随分と長い時間が流れたような気がした。永遠に続くかとまで思われた舞は、しかし共に舞う桜の花の動きに意識を戻せば、さほどの間ではなかったのかもしれない。

「雨じゃ」

「まこと龍に届きし舞、美事なものよ」

 周囲の貴族たちがひそひそと囁き交わす声で、九郎ははっと我に返った。
 あの少女を、あの舞を、なんと呼べばいいのだろう。言葉が出てこない。あれを言い表す言葉を、自分は知らない。 自分の内側をどれほど深く探しても、それだけの言の葉が見つからない。

「ほう……」

 院が感嘆の声を上げる姿も、今の九郎にはまだ見えていなかった。
 ただひたすら、舞う望美の姿を───それをどう自分の中に収めればいいのか、折り合いを見出せないまま、追い求めていた。

 あまりに美しい、その舞姫を。

 

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**ひとこと**
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見とれるっていうか、ガン見? 途端にイメージがチープになりますよ…おかしいな一応毛並み(血筋)はそれなりなのに!
自覚が激遅いだけで、意識しはじめる程度の部分ではそんなに鈍くもないのかな、と思っていたりします。
後白河院を書いたのは久々だったので、あの独特のジジくさい台詞は楽しかったです。神子はちょっと天然っぽく。

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