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どうせ見るなら人間の顔を見たいものだ。 目の前に積まれた書面の山を見ながら、九郎は内心でうんざりと嘆息した。
「それでこちらが終わったものですか?」 この場合、九郎の中では人間外と判定されている軍師は、たまに顔を出しては書き付けの終わった書面を運んでいく。 果たさねばならない己の義務だとは分かっている。 その日何度目かにやってきた弁慶は、九郎の脇に押しやられた書面の量を見て、おや、と首を傾げた。 「……手を抜いてたんですか?」 「馬鹿を言え」 心外なことを言われ、ただでさえよろしくない九郎の機嫌はますます悪化する。 「少し休んだらどうです」 「いや、まだいい」 「きりがないでしょう。君がいくら根を詰めたところで、あと数日は終わりませんよ」 九郎の筆がぴたりと止まった。 「―――櫛笥小路は」 「特に変わりありません。怪異を探りながらの怨霊退治です」 「そうか……」 京に入ってからというもの、九郎は一度も櫛笥小路に足を運べていない。 九郎の中には常に焦燥がある。 この身が一つである以上、どちらか片方しか果たせない状況もある。しかし現状はあまりにも、八葉としての役目を蔑ろにしすぎではないか―――と思う。ただでさえあの神子は無茶をするのだから、目の届くところにいないと危なっかしくて仕方ない。神子の周囲に五行が揃わぬままでは、戦力としても危ういものがある。 「あいつが馬鹿なことをする前に、お前たちが止めろよ」 白龍の神子を取り巻く者たちの中に、木気を帯びるのは青龍の加護を受けた者のみ。 「ああ、それなら心配は無用ですよ。将臣くんが今、同行してくれていますから」 「なに? いつの間に」 「君がこちらに詰めた翌日あたりでしょうか、六波羅のあたりで、望美さんが見つけてきたんです。さすがは幼馴染ですねえ」 「…………」 九郎の眉根が微かに寄った。 それなのに、心のどこかに靄がかかったことを、九郎は感じる。 「……そうか」 ようやくそれだけを言い、九郎は再度筆に手を伸ばした。 「―――っ何をする!」 「いい加減にしないと、そろそろ頭痛が出ますよ」
言葉にされれば自覚していなかった疲労が一気に襲ってくる。 「……情けない」
からだの何処かが痛むというだけなら、気力で何とかなる面もある。しかし痛む部位が頭である場合は、気力もへったくれもなかった。考え事をしようにもまとまらず、しまいには眩暈を起こしてしまう。不甲斐無さに落ち込んでみても、痛みが引いてくれる訳でもない。 ああ、こうしている間にも、また新しい書面が来ているに違いない。 ここにいるのは、好きではないんだ。 目を閉じてぼうっと霞んだ意識に浮かぶのは、取りとめも無い繰言ばかりだった。普段の己であれば、そんなことは絶対に考えないであろうことばかり。 ───どれだけ顔を、見ていないのだろう。 「……のぞみ……」 『はい?』 幻聴まで聴こえてきた。いよいよ疲労も極まったらしい。 ───ああ、お前だ……。 『九郎さん、眠いんですか? じゃあお邪魔ですね、ごめんなさい』 いいんだ。 『え、でも……なんか顔色も悪いし』 平気だ。 『……あ、熱がある。弁慶さんにお薬もらいました?』 もう飲んだ。 『うわ、絶対変だ、九郎さん。ちゃんと横になって寝たほうがいいですよ……ひゃ!?』 なら、いてくれ。お前がここに。
「……えええぇーっと」 望美は大層困惑していた。 「……どうしよう」 望美が途方に暮れたとき、黒衣の軍師がその場を訪れた。 「───ああ、望美さん。こちらにいらしてたんですね」 「あ、弁慶さん、いいところに。これ、何とかしてください」 これ、と九郎の腕を示すと、弁慶はやわりと微笑んだ。 「何ともなりませんねえ……すみませんが、起きるまで付き合ってやってくれませんか」 「見殺しですか!?」 「だって君も、嫌ではないのでしょうし」 「…………っ」 「では、お願いしますね」
望美が体勢を立て直して反論する暇を与えず、弁慶はさっさと行ってしまった。それは優しさとかお節介というようなものではなく、厄介ごとには関わりたくないという部類のものだと望美は思っている。 「……こういうことはちゃんと、正気の時にしてくださいよ」 ───私だけどきどきしてるなんて、悔しいじゃない。
了 |
**ひとこと**
85000Hit申告のキナコさまへのプレゼントSS、リク内容【望美禁断症状を起こす九郎
で九望、つつく弁慶】。
九郎が平時に忙しいのって京にいる時なんじゃないかなーと。鎌倉は兄上お膝元だから、名代の役目は少ないと思う。
寝ぼけて押し倒す…とこまではいきませんでした、所詮ヘタレだから(笑)! お昼寝レベル。
それでも目が覚めた時のリアクションは赤面死寸前になると思われます。
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