糸遊

 

 ゆらゆらと、たよりなく。

 

 

 どうしてそれが気にかかったのかと問われれば、何となくだった、としか答えられない。
 とにかく望美がその場を通りかかった時、将臣が常にない雰囲気を漂わせているような、そんな気がしたのだ。何故それが分かったのかは、望美にも分からない。幼馴染みだからという言葉だけで、望美と将臣の間にある絆がすべて表現しきれるかと言えば、そんな単純な問題ではなかった。
 理由など考えても仕方が無い。
 とにかくその時の望美は、将臣のことが気になったのだ。

「……将臣、くん?」

 寝そべって庭を眺めていた将臣の姿が、僅かに揺れたような気がした。望美は少しだけ怯んだが、一旦声をかけた以上、そのまま立ち去ることはできなかった。

「───おう、お前か」

 ごろりと転がってこちらにしっかり顔を向けた時には、もういつもの将臣だった。大らかで気取らない、豪放磊落な幼馴染み。
 望美は室内に入り、ぺたんと座り込む。冬の足音が聞こえ始めた高館の床はしんと冷えていて、その温度にふるりと身震いした。将臣が屈託なく手招いたので、望美も遠慮なく、彼が寝そべっている毛皮の敷物に厄介になることにした。

「どうかしたのって、訊いてもいい?」

「お前、そりゃ、もう訊いてんじゃねえかよ。この確信犯」

「そうだね」

 将臣が少し笑った。やはり、どこかが少し異なる印象の、笑顔だった。
 問いかけは確信的なものではあったが、将臣が言わないのなら、それでも良かった。大体にして、将臣に彼自身の意に沿わないことを強要したところで、まともな効果など見込めるはずがない。そういうところは上手にかわす性格だった、昔から。
 ただ、もし将臣が、吐き出したい何かを抱えているのなら。
 それを黙って受け止めたいと、望美はそう思った。

 そんな望美の気持ちが伝わっているのか、いないのか。
 将臣はしばらく黙っていたが、やがて庭を見たまま、ぽつりと言った。

「───平家の、連中な。何とか無事に逃げ延びたって、連絡よこしたんだ」

「……そう」

 望美はただ、相槌をうった。
 彼らを、将臣を追い詰めた側である自分が何を言っても、今更だという気がした。詫びることは簡単だ、嘆いてみせることだって。けれどそんなことをする気はなかったし、将臣だってそんなことを望美に求めている訳ではないだろう。
 源氏と平家は対立していた。対立自体を止めることは、将臣にも望美にもできなかった。
 それならば、死力を尽くした戦いの結果に対して詫びることは、自分のみならず相手を侮辱することでしかない。

「今となっちゃ、俺にしてやれることは、もう何もねえけど……ほっとした」

「うん……」

 幸せを祈っている。たとえ自分の手が届かなくても、ずっとずっと。
 それは望美にも非常に近しいねがいだった。ただ将臣と違うのは、望美は自分の手を離してしまうのがどうしても厭で、説き伏せてまでその相手について来たことだった。

 みんな、傷ついた。誰も、幸せになれなかった。
 それがあの西の海での戦いだった。

「───いくさって、イヤだね」

 寝そべった将臣を倣って望美も寝転がり、小さくそう呟いた。

「……だな」

 静かに答える声に、目を閉じた。

 

 

 何故それを見つけてしまったのかと考えれば、ただの偶然に過ぎなかった。
 伽羅御所から鎌倉方の動きを聞いて戻り、弁慶にも委細を伝える必要があった。彼はどこかと探し回るうち、普段は滅多に赴かない一隅へも足を向けていた。
 将臣が使っている房に、九郎はあまり立ち寄らないようにしていた。彼個人に対しての悪感情がある訳ではなかったが、敵対してきた立場によるわだかまりというものが、九郎の胸中で常にせめぎ合っていた。それは多分、将臣も同じことだったろう。

 それに、平泉を目指す道中で起こした将臣との諍いが、尚更九郎の足を遠ざける。
 あの時は互いに冷静さを欠いていた。自分は状況の転変に混乱しきって自棄になりかけていたし、将臣とて、何故敵将と一緒くたに追われねばならないのかと、忸怩たるものを抱えていただろう。個人と個人ではなく、立場と立場が、九郎と将臣を争わせた。望美が必死に止めに入らなければ、太刀を抜いていたかもしれない。
 将臣自身を疎ましく思っているのではなかった。むしろ彼の顔を見ることで、あの時の自分の未熟さを思い出してしまうことこそを、九郎は厭うた。

 ───だが、詫びねばならんな。

 本来の目的からは外れるが、こうして足を向けたのは、存外いい機会かもしれない。
 九郎はそう考え、将臣の房を訪れた。

 そうして、それを見た。

「将臣、いるか……望美?」

 将臣は確かに在室だった。ただし、毛皮の上で肘をついて寝ていたが。
 そしてその脇で、やはり寝ているのは、見間違える訳もない、神子だった。

 心の臓が、厭な音を立てて軋んだ。

「…………」

 何をうろたえる必要があるのか。
 彼らの世界では、常識では推し量れないようなことがまかり通っていると聞いた。幼馴染みであれば仲が良いのは当然で、彼らの基準ではこれも普通のことなのかもしれない。
 別に近しい場所で男女が寝ているからと言って、閨ごとを垣間見た訳でもないのだから、黙ってそのまま立ち去ればいいだけの話ではないか。

 いくら自分に言い聞かせても。
 九郎は己の感情が、何か訳の分からない衝動に染め上げられていくのを、ただ感じた。

「ん」

 見ている先で、望美が小さく呻いて寝返りをうった。
 寒いのか、将臣のほうへころりと転がると、体温を求めるように擦り寄る。

「…………っ」

 拳をぐっと握った。今この瞬間、太刀を帯びていなくて幸いだった、と思った。
 理由など知らない。ただ、そう思った。

「……くしゅっ」

 その音で、九郎ははっと我に返った。
 不穏な衝動はすうっと消え、後にはただ、やはり理由の分からないゆらめきが残った。
 九郎は気配を消しつつ室内に入り、片隅に積まれている布を取り上げた。その布は部屋の主の気性を反映してか、きちんと折りたたまれているのではなく、ひどく乱雑に放置されているだけだった。思えば望美もそんなところがあり、それだから譲があれほど甲斐甲斐しく世話を焼いているのだな、と考えて苦笑した。

「───風邪をひくぞ、二人とも」

 布を二人の上にそっと落として、九郎は立ち去った。
 それ以上、彼らを見ていたくは、なかった。

 

 

「……ああ、動きは雪が降ってからになるだろう」

「そうですか。では、宣戦の使者が訪れるのも、もうじきといったところですね」

 弁慶と九郎が話し込んでいるところに、朔が盆を持って訪れた。

「お疲れさまです。譲殿が、一息入れてはどうかと」

 盆の上には湯呑みに入った白湯と、譲が作ったのであろう甘味が載っていた。

「ああ、すみませんね。ありがとうございます」

 弁慶が受け取って礼を言うと、朔はいえ、と微笑む。

「そうそう、望美にも届けないと。どこにいるか、九郎殿と弁慶殿はご存知ですか?」

 その瞬間、九郎の脳裏を先ほどの光景が過ぎった。
 身を寄せ合って眠る、将臣と、望美。
 もうあの昏い衝動は起きなかった。ただ、ゆらゆらと、心の奥底にゆらめくものがあった。そのゆらめきに敢えて名をつけるとすれば、哀しみであるとか、寂しさであるとか……そんなものがしっくりくるようだった。あるかなきかの、ほんの僅かなゆらめき。

「いつもだったら、出来上がる頃には厨の周りをうろうろしているのに、今日は見当たらないんです」

「それは珍しいですね……生憎、僕は心当たりがなくて」

 交わされる会話が遠くから聴こえるようだった。
 何を女々しいことを、と己を叱咤しつつ、九郎は口を開いた。

「───いや、先ほど見た時には、寝ていた」

「まあ。望美が、ですか?」

「ああ……よく寝ているようだったから、起こさないほうが、良いだろう」

「そうですか。分かりました、そうします」

 

 

 ゆらゆらと、たよりなく。
 風に吹かれて空を舞う蜘蛛の、かそけき糸のように。

 けれど確かに其処に在る、ものおもいの名を、まだ知らない。

 

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**ひとこと**
55000Hit申告の乃亜さまへのプレゼントSS、リク内容【九望・異世界で将臣or弁慶に嫉妬する九郎】。
九望です。これは九望SSです。たとえどんなに攻めの出番が少なくて影が薄くても!!(爆笑)
…いえ、自分でも念仏のよーにそう唱えて自己暗示をかけないと、到底九望には見えないというだけです…。
正直に白状します兄貴と神子のトップ会談(違)のほうがずっと描写に力入ってました☆

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