| 祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 驕れる者も久しからず 只春の夜の夢の如し 猛き者も終には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ
「望美! 開けて、お願い……っ」 朔の声すら空しく弾き返して、その扉は厳然と、白龍の神子と彼らを隔てていた。 「退け、朔殿」 このままでは埒が明かない。この扉を開ける気が、あの少女にはない。 「九郎、無駄だ」 「ですが、先生!」 振り向いて師の姿を視界に納め、九郎はたじろいだ。 「この扉はすなわち、神子自身の心。神子が望まねば、開くことはない」 ───無理にこじ開けようとすれば、神子が壊れる。 動けなくなった九郎の脇で、白龍が不意にがくりと崩れ落ちた。 「…………神子───」 銀糸のような髪が惜しげもなく地を這った。それに隠された神の表情は窺い知れなかったが、震え掠れた呻き声は、神子とつながっている神が何を悟ったのかを悟らせるのに十分すぎるほどだった。 「あ……」 誰ともなしに声を上げた。 あれほど頑なに閉ざされていた扉が、軋みの音を立てながら開いていくのを。 「神子……神子、神子…………っ」 駆けつけねばならない。扉が開いたのだ、あの無茶な神子を救い出さねばならない。 今、この扉の向こうに在る現実を目にすることが、どうしてこれほど恐ろしいのか。
瞳を閉じた少女は、白い肌をしていた。 そうか、こんなに血が流れ出てしまっているからか。 とても真っ直ぐで風にもさらさらと音を立てていたはずの髪は、赤黒いものでべっとりと汚れていた。自分の髪とは随分違うものだなと思い、時にはつい見惚れていたその紫紺は、今はもう、もとの色すら見分けがたいほどに血で濡れていた。
壁が、床が、鳴動していた。ひび割れた隙間から石片がぱらぱらと降り注いだ。 「九郎! 崩れます、引き上げないと!!」 弁慶がいくら叫んでも、九郎はじっと動かなかった。聴こえていないかのようだった。 柱が折れ、地響きを立てて崩れてきた。 「───っ……」 唇を噛み、俯いた躊躇は、時間にすればわずか一瞬。けれど、その一瞬には膨大な感情と愛惜が込められていた。
「……望美」 唇に這わせた指を引き、そっと名を呼んで、己のそれを重ねた。 何故だろう。仲間の死など、何度も見てきたはずなのに。 「望美……望美」 教えてくれ。俺の、神子。 なのに。 「何故───独りで、お前は」 俺たちはお前にとってそれほど、頼るに足りぬ者であったのか。独りですべてを抱え込んで、お前は天へと還ってしまった。 望美。 「…………」 その場から立ち去ろうという気は、男には更々なかった。 「───望美……」 飽くことなく少女の名を呼び続ける男の背に、柱がぐらりと傾いできた。
い き て 、 わ た し の み こ 。
「……おや、君がうたた寝なんて、珍しいですね」 軍師の声に、ふと九郎の意識は覚醒した。 「まだ消えないか。見通しが悪いのは厄介だな」 「そうですね。まあそれはあちらも同じことですし、条件は五分でしょう」 陣幕に入ってきた弁慶が、ばさりと図面を広げた。そこには周囲の地形、烏に集めさせた情報から割り出した敵の情報、そしてこちらの軍勢の配置が簡単に記されている。 「───同族を討つことになるとはな」 憮然とした九郎の声に、弁慶は僅かに苦笑した。 「では、木曾殿に情けをかけますか? 鎌倉殿のご意向に背いて」 「馬鹿を言え」 それきり九郎は余計なことを言わず、図面に目を落としては兵の配置を述べ始める。弁慶はそれに軍師としての意見を挟みつつ、指示を頭の中に叩き込んでいく。 「では、そのように伝えます。出立は一刻後でいいですか?」 「ああ。───弁慶」 「はい?」 出て行きかけたところを呼ばれ、弁慶は足を止めて振り返った。 「……その。今回の軍に、女兵はいたか?」 問われた意味を一瞬図りかねて、切れ者の軍師もさすがに困惑した。 「女兵……ですか?」 九郎は何とも言えないような表情をしていた。 「どうしてまた。木曾殿ならいざ知らず、君には同伴している愛妾などいないでしょうに」 「───っそ、そういう意味ではないっ!! そうではなくっ」 そこまで激発して一息に言うも、またしても九郎は黙り込んでしまった。 ───なにか、とても大事なものを、忘れているような気がするんだ。 九郎がそう呟き、無意識にだろうが、左の上腕を押さえるような仕草を見せた。
しゃらそうじゅの はなのいろ ただ はるのよの ゆめの ごとし。
了 |
**ひとこと**
35000Hit申告の八巻さまへのプレゼントSS、リク内容【戦場で悲恋】。迷宮通常ルートバッドEDを九望っぽく。
もう完全に趣味に走りまくりの内容でして、リクエストをいただいた瞬間にこれしか考えられませんでした。
分かりづらいですが、迷宮で神子が死んだ後、白龍が喉の逆鱗(=自分の命)と引き換えに時間を戻します。宇治川まで。
神子と八葉ではなくなった歴史の流れと、喪失感と、その理由の忘却。悲恋と言うより不毛(^^;)。
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