緋疵白露

 

 きずをおうより、いたいことがあるのです。

 

 

「望美! 前っ!!」

 九郎が声を張り上げた時は、既に遅かった。

「───っ」

 怨霊の一撃をまともに受け、望美はよろめいた。気絶するほどではないその傷は、意識があるだけかえって厄介だった。熱さを感じた次の瞬間、視界に飛び散る緋色。怨霊の大半は生きものですらない容姿、斬っても血など流れない。ではこれは自分の血か。
 治療がさぞかし痛むだろうな、と他人ごとのように考えた。

「望美っ!!」

 朔が駆け寄ろうとするのを制すると、望美は怪我に構わず剣を構えた。腕を咄嗟に庇えたのは、不幸中の幸いと言うべきだった。

「朔。……封印したほうが早いよ、手を貸して」

「望美……でもあなた、そんなに血が」

「おねがい」

 重ねて言えば、黒龍の神子は口を噤んだ。
 聞き入れた理由は、怪我より痛々しい色を見せた対の表情ゆえだった。

「───めぐれ、天の声」

「響け、地の声」

 怨霊の周囲を、白い光の渦が取り巻く。神子の言霊が歪みを祓っていく。
 望美は眩暈を必死に堪えた。今ここで自分が倒れれば、封印しそこねた怨霊はかえって荒れ狂うことになる。せめて封じきるまでは、意識を手放す訳にはいかない。

「……かのものを、封ぜよ!」

 白い光が一気に収束し、ぱっと粒子になって飛び散る。その中に怨霊の姿はない。
 それを見届けてから、手負いの少女はその場にくずれ落ちた。

「───望美っ!!」

 自分を支える腕を、それを伸ばしてきた九郎を、振り払う余裕もなく。

 

 

「……大丈夫? 痛むでしょう」

「ん、まあね。でも平気だよ、ちょっと血が多めに出ただけだから」

 ちょうど本日の探索に弁慶が同行していたこともあり、応急処置自体が早く適切だった。だからと言って、白龍の神子に傷を負わせてしまった不甲斐なさを、仲間たちが悔やまないはずもない。
 朔は憂いを込めた瞳で、対の少女を見つめた。

「そんな無理を言わないで頂戴。あなたが傷つくなんて……私、厭なの」

「ありがと、朔。でも私も、朔がこんな怪我するくらいなら、私でよかったって思うよ?」

 そんなことを笑顔で言う望美に、さらに朔がなにかを言いかけた瞬間。

「───望美。起きているのか?」

 蔀の向こうから響く声を耳にした途端、さっと強張った対の表情を、朔は見た。
 望美の様子がおかしいことは、仲間の誰もが感じていた。その理由がなんなのかを本人が口にすることはなかったが、前後の事情を考え合わせれば、声の主に原因があるだろうことは明らかだった。
 追い返そうか。朔は一瞬、親友を慮るあまり、そんな不敬を総大将に対して考えた。

「……はい」

 朔が逡巡する間に望美はそう返事をしたので、声の主である九郎は、蔀を跳ね上げて房に入ってきた。そのまま枕元に歩み寄り、朔がついているのとは反対側に、どしりと座る。

「済まないが朔殿、席をはずしてくれないか」

 開口一番の言葉がそれで、朔は困惑した。
 命に関わるものでないとは言え、相当な怪我を負ったばかりの望美。しかも最近の彼女は様子がおかしく沈みがちで、その原因は彼にあるとしか思えない。不安定で弱った親友をひとり置き去りにしていいのか───咄嗟に判断ができない。

「朔、いいよ、行って。薬ならさっき替えてもらったばっかりだし」

「でも、望美」

「九郎さん、私にお説教しにきたんでしょ? 朔まで怒られる必要ないもの」

 望美に水を向けられた九郎は、それに対する返答はしなかった。

「弁慶が薬湯を煎じにかかっている。出来上がったら、持ってきてほしい」

「……分かりました。でも九郎殿、この子にあまり負担をかけないでください」

「心得ている」

 

 

 足音が消えた後の静けさは、すぐに気詰まりな沈黙に変化した。
 望美は天井に視線を向けたまま、ふぅと息を吐いた。

「……済みませんでした、ぼーっとしてて。私の不注意でしたね、自業自得です」

 九郎の説教など、今まで聞き飽きるほどくらってきた。今更口にされなくても、何を言われるのか分かるくらいで、まして今回は完全に自分に非があった。
 だから望美はそう謝った。

「今後は気をつけますから。神子がこんなんじゃ、士気に関わりますし」

 顔を見ずに、必要なことだけを並べて。
 早く、このひとがこの場から出て行ってくれるように。

「分かってます、明日からちゃんとします。だから今日はもう、休ませてください」

「───望美」

 名を呼ばれただけで、謝罪を次々と並べ立てるはずの声は途切れた。
 いつもそうだ、と望美は思う。
 九郎の前に出るといつも、自分は何一つ、思い通りにできない。助言を素直に聞き入れることができずに言い合い、かっとなれば乱暴な言葉を投げつけ、平常心を保って仲間としての振る舞いを続けることができない。

 子どもだ。どうしようもなく、自分は子どもだ。
 それがとても、哀しかった。

「俺はお前に……何かしたのか?」

 何かしたのか、って。
 九郎さん、ひどいよ、それ。あんまり鈍すぎるよ、その言葉は。
 ねえ、どんなひと? そんなあなたが好きなお姫様は、一体どんなひとなの?

 喉奥にせり上がる言葉を呑みくだし、望美は首を横に振った。

「いいえ。ちょっと最近、くたびれちゃってるみたいで」

 動いたせいか、傷が痛んだ。
 その痛みよりなお強い、自覚と同時に砕けた想いをかかえたままの胸の痛み。

「だが───」

 九郎の案じた声音に特別な意味を欲しがる自分を、望美は否定したかった。どうしたって手に入らないものを欲しがって泣きわめく子どもには、せめてなりたくなかった。

 ねえ、九郎さん。
 どうしてあなたはそんなに、私を苦しめるのがうまいんですか?

「……だいじょうぶ、ですから」

 

 

 そう言った望美の瞳から、ほろりとこぼれ落ちた雫を、九郎はただ見つめていた。
 泣くほどつらい傷を負わせたのか。どうして庇ってやれなかったのか。血染めの衣を見た瞬間以上の悔いなど有り得ないと思っていたのに、今こうして彼女の頬をつたう涙に、胸を突かれるような感情をいだくのは何故なのだろう。

 泣かないでくれ。
 笑っていてほしい。

 望美の不注意を詰るつもりはなかった。むしろ、護れなかった己の所業を詫びたかった。
 けれど望美は自分から瞳を逸らしたまま、何も言わせずに話を終わらせようとする。

「痛むのか?」

 伸ばそうとした掌は、顔を背ける僅かな仕草に拒まれた。

「そりゃあ、少しは。……でも、本当に、平気ですから」

 望美の怪我の具合よりも、その仕草と涙のほうが、九郎の心を如実に波立てる。
 行き場のない掌が、ぐっと拳をつくった。

 平気って、お前。そんな顔をして何を言ってるんだ。
 たとえお前が平気だったとしても───見ているほうがつらいと、何故分からない。
 何故、なにも言わない。何故、俺を見ない。何故、そうまで強がるんだ。

 

 誰の前ならばお前はすべてを明け渡して微笑むのか。
 何故、それが俺ではないのか。

 

「───望美、薬湯よ」

 廊から届いた朔の声に、九郎ははっと我に返った。
 今、自分は何を考えていたのだろうか。何かこうとてつもなく、訳の分からぬ理不尽なことを考えていたような気がするが。

 盆を手に入ってきた朔は、九郎の姿を見て柳眉をしかめた。

「九郎殿、まだこちらにいらしたのですか」

「あ……その、済まない」

「無理をさせないようお願いしたはずです。今日はもう、お引取りください」

 有無を言わせない黒龍の神子の声に、九郎はそそくさと立ち上がった。
 ぼんやりと意識の表面にあらわれかけたものを、突き詰めて考えることを妨げられたことに対して、奇妙に安堵すら覚えていた。

 去りがけにもう一度、床に伏した神子を見遣った。
 その視線が自分には向けられていないことを確かめ、胸郭の奥に理由の分からない痛みだけを抱えて、九郎はゆっくりと蔀戸をくぐった。

 

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**ひとこと**
45000Hit申告のなつみさまへのプレゼントSS、リク内容【すれ違いイベントでじれったく悩む九望】。
ラストを甘くしたかったのですが、「そんな簡単にすれ違い解消されちゃつまらねえ!」という鬼な書き手には無理でした(笑)。
実際、ゲーム無印の九郎は果たしてどの時点で恋心を自覚したのか、未だによく分かっておりせん。
むしろあの激鈍ヘタレは舞殿かっさらい直前まで自分が神子に恋してると気づいてないくらいが希望です(爆)。

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