日向の氷

 

「九郎さんのばかああぁぁっ!!」

 高い少女の声が、そんな罵詈雑言を乗せて吸い込まれていった。ついでに頬を張る音も高く響いた。
 今日も平和に異国の草原に、中天の日はふりそそぐ。

 

 

「ばか! ばかっ! もう絶対、謝りに来るまで許さないんだからっ」

 悪態をつく望美は気づいていない。
 本気で見つかりたくないのなら馬で飛び出せばいいものを、わざわざ遅くて疲れる徒歩の手段を選んでいる、その理由に。

「あんまり遅くなったら、もう一発殴ってやる」

 毎度のごとく迎えに来る相手の手を、それが自分に差し伸べられることを、疑わず。

「うーん、ここ、いろいろ生ってるなぁ。……あ、九郎さん、この実とか好きだったよね」

 いつの間にか相手のことを、その笑顔を思い描いて。

「───て、別に九郎さんのためじゃないもん。私がお腹すくからだもん」

 誰も聞き耳を立てる者はいないのに、食べごろの木の実より頬を熟れさせて。

「…………」

 自分の一言で本日の諍い(と言うより望美が勝手に怒り狂い、九郎は訳が分からずぽかんとしていたのだが)を思い出し、少女は直りかけていた機嫌を再度むっと曲げた。
 蔓の先にたわわに実った果実を引き寄せ、ぶちっともぎ取る。

「ばかっ! 九郎さんの無神経男っ!!」

 がぶり、とかぶりつく神子の勢いは凄まじい。

 

 

「───で、今度は何やらかした?」

「……別に何もない」

 頬に見事な紅葉を貼りつけていれば、言わずともどんな事態が彼と彼女に起こったのかは、誰であっても容易に想像がつく。相談という名の好奇心、親切という名の野次馬根性、何しろだだっ広い野っ原で生命の危機を感じることもない暮らしは時に退屈で。そこに新鮮な話題を提供してくれる彼と彼女のやり取りは、周囲にとっては格好の娯楽だった。
 将臣が水を向けると、紅葉の持ち主である九郎は、むっつりと一言だけ答えた。

「そうは言っても、先輩だってなんの理由もなく、平手打ちはしないでしょう」

 荷造りを手伝っていた譲が呆れて溜め息をつく。

「神子は大丈夫だろうか。飛び出して行かれたのだろう」

 敦盛の声音に含まれる案じた響きを、誰もが感じ取ることができた。
 九郎とて望美を怒らせたい訳では、決してない。一人でいる間にどんな危険に巻き込まれるか、それを案じているのは彼こそ人一倍だった。その感情を素直に出せれば問題は何もないのに、そうできないのが、女心に疎すぎる不器用者の厄介な部分。

「あいつが勝手に出歩くのは、いつものことだろう」

 つい、そんな強がりが口をつく。
 本心とは真逆だとすぐに分かるその言葉を、周囲は犬も食わない様子で聞き流す。

「神子様はお心を痛めておられるでしょう。お慰め差し上げずともよろしいのですか」

 明日より長のご不在ですのに、と微笑む銀の視線が微妙に痛いのは、やはり気がかりを感じているせいだろうか。
 ともかく黙ったままでいては、相手の言葉にやり込められたようで面白くない。何でもいいので言い返そうとした九郎の唇の動きは、リズヴァーンの一言で止まった。

「気を散じては、道中の危険が増す」

 気を散じる。未知の行為に及ぶに当たって、それは途方もなく不用意な行い。
 恥じて項垂れた九郎に向けて、それまで黙ったまま、ひたすら薬草を小袋に詰めて荷に加えていた弁慶は、にっこりと笑った。

「荷造りに集中できないなら邪魔です。その鬱陶しい悩みを、さっさと解決してきなさい」

 

 

「……おっそいなぁ」

 腹も満たされ時間も経てば、怒りが持続しないのが望美の特徴だった。
 飛び出してきたはいいものの、こうも放っておかれると寂しくなってくる。いや、そもそもこちらがかっとなった訳だから、勝手な言い分であるのは分かっているのだが。

「……仕方ないよね、明日から交易なんだし、支度もあるんだから」

 本当ならその荷造りを手伝うべきだったのに。と言うか、そのつもりだったのに。
 九郎の一言に悪気はないのだろうことは、望美にも分かる。咄嗟に頭に血がのぼり、ついでに平手もお見舞いしたのだが、今回の場合、九郎には何も落ち度はない。

「怒ってる、かな」

 しおしおと呟く少女は、来たばかりの時の怒りが嘘のように沈み込む。

「…………」

 木の根元に座り込んでいたのが、不貞寝になった。

「……早く、来てよ……」

 ぽつんと漏れた声は、当人以外の耳に届くことはなかった。

 

 

 ずかずかと大股に歩む元名代の姿を遠目に認めて、朔は小首をかしげた。
 そう言えば先ほど、彼らの住まいから自分の対が飛び出してきていたっけ。それではようやく、あの不器用この上ない対の想いびとも、彼女を捜すために重い腰を上げるだけの口実を手に入れたのか。
 遅い、と自分こそその横面を張ってやりたい気分に朔はかられたが、本質的に淑やかな気性の彼女は、勿論そんなはしたない真似はしなかった。

「明日から出かけられるんだもの……きちんと仲直りしていただかなくては、困るわ」

 交易に出かければ、不在は長期に及ぶ。当然ながら体力と武勇に優れた者がそれに当たることになり、そうなればどうしても、朔の対の想いびとは出かけていくことになる。
 その間、はっきりと口には出さないが、望美が常に憂いた光をその瞳に浮かべていることを、あの鈍いひとは知っているのだろうか。帰還の時期が近づくにつれ、彼女がどんなに待ち焦がれる表情を浮かべているか、知っているのだろうか。

 ───その上、諍ったままだなんて。

 あの子があんまり可哀相だわ、と朔は思う。
 同時に、表面はどうあれ内心ではさぞ彼も気を揉むだろう、と思うと不憫だ。

「手のかかるひとたちね、本当に」

 

 

「……望美」

 ようやく見つけたやわらかな色彩の少女は、長閑な陽射しを受けて眠り込んでいた。起こすのも忍びなかったので、九郎はそれを認めた時点で馬を降り、気配を殺してそっと近寄っていく。野生の生き物を手懐けるような慎重さが我ながら可笑しく、引っぱたかれたことも忘れてつい頬がゆるんだ。
 脇に腰を降ろしても、望美は目覚めない。周囲に散らばった果実の芯を見れば、眠りに落ちる前の彼女が何をしていたのかは一目瞭然だった。腹くちくなって眠ってしまったのならば、そう簡単には起きないだろう。

 けれどそれを残念に思う自分もいる。

 せっかく、二人で共に過ごしているのに。
 明日からしばらく、逢えなくなってしまうのに。
 諍いを起こしたまま、わだかまりを抱えたまま、いっときでも分かたれるのは堪え難い。

「望美」

 さらり、と、無骨な指が流れ広がる髪を梳いた。
 ひどく繊細なその触れ方は、起こしたいのか、それとも起こしたくないのか。

「───ん」

 名を呼ばれたからか、髪に触れられたからか、それとも単に眠り足りたからか。
 小さな声と共に、九郎の見つめる前でゆっくりと、翡翠の瞳がひらいていく。

「……ろう、さん?」

 ほけーっと見上げる少女の寝起きの頭は、眠る前までの諍いを忘れているようだった。
 ふにゃりと笑って、ためらいなく腕を回し、九郎の首にしがみついてくる。
 陽射しの当たる場所で寝ていた所為か、体温がいつもより高い。よく干された草と土の匂いがする。それはまるで、子どもの動物が持つようなぬくもりとやわらかさに満ちていた。

 その優しい甘さは、簡単に九郎を融かしてしまう。
 意地も矜持も覚悟も、己が今まで後生大事に抱え込んでいたものを、あっさりと融かしてしまう───日向に当てられた薄氷のように。

「おそいよぉ……」

「済まない」

「わたし、すっごく待ったんですからね。待ちくたびれたんですからね」

「悪かった」

「ん……も、いいです。ちゃんと、来てくれた、から……」

 声の最後は寝息に消えた。すぅ、と安らかな呼吸が、耳元で響く。
 支えようと回した腕を、すぐにはほどけなくなった。けれどそれも悪くはない、と今になって九郎は思える。胸に満ちるいとおしさのままに、それを教えてくれたぬくもりを引き寄せて、自分も目を閉じた。

 

 

「ところで今度の原因は何だったのかしら?」

 交易に出発した者たちの姿が見えなくなった頃。
 前日の諍いの理由を親友に問われて、少女は憤然と答えた。

「だって九郎さん、お前最近肉づきがよくなったか、なんて言ったんだよ!?」

「…………」

 静かに呆れ、そう、とだけ返した親友には構わず、ぐっと握りこぶしを作る。

「信じらんないでしょ、女の子に向かって太ったかなんて、普通言う!?」

「良いことだと思いますよ? 望美さんは華奢ですからね」

 なおも意気込んで続けようとした少女の背から、薬師の笑い混じりの声がかかった。
 振り向いた少女は呆然とし、驚愕をあらわに言いつのる。

「……弁慶さんまで何言うんですかっ!? もうっ、それは女の子には禁句なんです!!」

 もちろん薬師は一向に堪えた様子もなかった。

「ややを産むには細すぎるくらいですよ。身ごもらせて大丈夫なのだろうかと、九郎も心配してましたから」

「───ぇ」

「弁慶殿」

 絶句した少女は間を置いて林檎のように赤くなった。
 少女の親友に睨まれた薬師は、おや怖いことだ、とまったく反省していない調子でなおも笑った。

 

BACK


**ひとこと**
40000Hit申告のひびこさまへのプレゼントSS、リク内容【モンゴルED】。
ゲストキャラはお任せで〜という話だったので、いっそ全員出してみました☆ 一言ずつですけど(笑)。
しかし十六夜EDクリアした時からずーっと思ってたけど、なんでみんなゾロゾロついてくんだろうモンゴル…。
いろいろと妄想が広がって広がって一話完結におさめるのが難しいくらいですモンゴル!

ひびこさま以外の方のお持ち帰り・転載を禁じます。