| 『源氏の名代には許婚がいるそうな』 そんな噂が京の民の間にまで駆け巡ったのは、春も盛りの頃だった。それでも渦中に置かれた当事者の片割れである望美は、それについてさして深くも考えず、至って呑気に過ごしていた。どうせ芝居なのだから、と事あるごとに口にした。九郎も、自分も。 「はぁ……」 勝手知ったる京邸の庭を眺めて、望美は大きな溜め息をついた。 「う〜」 噂というのは尾ひれがついて広まるものである。そんなことは知っている。 ───つまり、九郎の許婚と噂になっている女性が、ちゃんと別に居るのではないかと。 「……どう考えても違うもんねぇ……」 俗に言う『体育座り』で抱え込んだ自分の膝を見つめながら、こぼれるのは自嘲の言葉。 「……しずか、さんかぁ」 つい先日に知ったばかりの名前を口にする。きりりと胸が痛んで、望美はぽすっと膝頭に顔を埋めた。 『こっちでも静御前がいるのか……?』 『譲くん、その静さんて人が誰だか、知ってるの?』 譲の目が一瞬見開かれ、すぐ後には苦笑が取って代わる。先輩は義経すら知りませんでしたもんね、と笑い混じりに返され、以前の無知を蒸し返されて望美は思わずふくれた。 『ああ、すみません。静御前というのはですね───』 そうして、今に至る。
聞かなきゃ良かった。知らなきゃ良かった。 静御前。 思うが、それと自分の心が納得できるかどうかは、別の話だった。 「───ふんだ」 望美が自分でも何に対してなのか分からない小さな悪態をついた、その瞬間。 「望美、ここにいたのか」 間の悪いことに、少女を思い悩ませる最大の原因が房の向こうに顔を出し、呑気に(少なくとも望美にはそう見えた)声をかけてきた。 「お前、最近鍛練を怠けていないか? 手合わせもしていない気がするぞ」 「鍛練はちゃんとしてますよ……手合わせだって、先生に付き合ってもらってますから」 だから心配しないでさっさと行ってくれ、と言外に匂わせているのに、九郎ときたらそれに気づきもしないほどに鈍感だ。これでよく噂のような女性を捕まえられたものだ、と望美は妙に感心すらしていた。 「些細なことで先生のお手をあまり煩わせるな。ご迷惑だろう」 真っ先に頼るのなら自分にしてほしい。 「分かりました。しばらく一人で鍛練します」 「……そういうことを言ってるんじゃない」 「スランプなんです。調子が悪いんです。だからしばらく放っといてください」 望美は剣の話をしていたつもりだったのだが、九郎はそうは取らなかった。 「具合が優れないのか!? 馬鹿、それならそうと何故早く言わない!!」 「だ、大丈夫ですよ! 調子が悪いっていうのは、その、剣の腕前のことで……」 「それなら尚更だろうが!! 怨霊相手に不覚を取ったらどうするつもりだっ」 段々と望美のほうも混乱してくる。掴まれた肩は痛いし、目の前で真剣に自分の心配をしている九郎を見ているのは、嬉しいのか哀しいのか自分でも分からない。どうせ九郎は素敵な許婚の女性のもので、望美の中にある気持ちは届かないのに。 なんで私ばっかりこんなにぐるぐる悩んで落ち込んでるんだろう。 「九郎さんが私の心配なんてしなくたっていいでしょ、静さんがいるくせに!!」
望美の剣幕と言葉の内容に、九郎は瞳を見開いた。 「───聞いた、のか」 ばつの悪そうな九郎の声に、望美はぐっと唇を咬みしめた。 深く俯いてしまった望美を見つつ、九郎はどう続けたものかと首を捻る。 「……まったく、口さがない者たちの噂など、いちいち本気にするものじゃないぞ」 「なにがですか。火のないところに煙は立たないって言うでしょう」 「まあ、な。それにしても院も大概、厄介なことばかりなさってくださる」 九郎の話の飛躍に、望美はついていけない。 「誤魔化さないでよ! なんで関係ない話がぽんぽん出てくるんですかっ!?」 「関係ないって、お前、今自分で言ったんじゃないか」 「私が言ったのは静さんて人のことだよ!! 九郎さんの許婚の綺麗な白拍子っ!!」
「だからその静というのはお前の呼び名だろ!?」
九郎の襟首を捕まえて半ば締め上げていた望美は、固まった。 「……はぇ?」 「院がお前の舞をご覧になって、そうお名づけになったんだ。知らなかったのか?」 「へ───な、なんで? なんでそんな名前が」 「並み居る者の言霊を奪い、楽など要らぬほどに見事な舞手ゆえ……と仰っていたぞ」 「だって私の名前、ちゃんと法皇様に言いませんでしたっけ?」 「言っとらん。だからあちらが好きに名を賜ったんだろう」 「…………」 静、という呼び名が示す、女性。 「望美?」 「───見ないでください。今すっごい、馬鹿だなぁって自分で思ってるとこです」 なんだそんなことか、とっくに知ってる、と九郎は笑って。
了 |
**ひとこと**
30000Hit申告のmanaさまへのプレゼントSS、リク内容【静御前の存在に思い悩む望美でラストは甘く】。
反則スレスレのオチで申し訳ありません。早とちりと勘違いで無駄に悩む神子(そう言えばゲームでもやってた)。
九郎がかっこよく決めるとのリク内容には沿えませんでした(爽やかに断言)。ダメだこのCPは両方ボケだ!
ちなみにタイトルの『花』は女性の暗示のつもりでした。九郎に見え隠れする女性の影、みたいな。
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