| 初めて触れたそのやわらかさに、ただ、溺れた。
「───怪異の情報ならば、院もご存知の可能性が高いですね」 これ以上の怨霊を放とうとする平家を止めなければ、との方針が、白龍の神子を中心とする一行の間でまとまったばかりだった。考えうる場所は幾つか挙げられたが、福原の戦が終わったばかりとあり、その軍勢を京へと戻す必要があった。 弁慶の言葉に、九郎は内心うんざりした。 「院か……」 思わず憮然とした声音になったのが、自分でも分かった。 「ことは一刻を争うな、仕方ない。御伺いしてくる」 「ああ、でも今は多分、駄目でしょう」 「何故だ?」 「僕もさっき確認してみたんですが、大がかりな法会が行われているそうです。院は当然、お忙しくなさっているはずですよ」 音高く舌打ちを立てそうになり、九郎はかろうじて自制した。 とたとた、と軽い足音が響いてきたのは、そのときだった。 「───九郎さん? 弁慶さんも、ここにいたんですね」 ひょいと几帳の影から顔を覗かせた望美は、苦虫を潰したような顔の九郎と、苦笑を浮かべたままの弁慶を交互に見やって、首をかしげた。 「どうしたんですか九郎さん、すごい顔」 望美に応えたのは、本人ではなく軍師のほうだった。 「いえ、少々厄介なことがありましてね。望美さんこそ、何のご用ですか」 「景時さんが大忙しみたいで、どっちでもいいから呼んできてくれって言われました」 軍を率いるというのは大仕事である。戦場に立って勝ちを掴むことより、むしろその前後のほうが雑務に追われがちになって、忙しい。戦の前であれば敵の情報や戦術の確認に加えて、糧食や補給の整備もしなければならない。終われば戦死者や負傷者の確認と治療、遺された家族のあった者はせめて遺髪を送り、次の戦に備えての準備を進める。 「そうか、分かった」 立ち上がりかけた九郎の目の前に、すっと手が伸びた。 「僕が行きます。君は望美さんと一緒に、院にお目通りを願ってきてみてください」 「は!? 弁慶、なにを」 「お目通り?」 素っ頓狂な声を上げた九郎と、話の流れが分からない望美に、弁慶は続ける。 「法会の目的は怨霊調伏だそうで。白龍の神子が顔を出せば、院は諸手を上げて歓迎してくださると思いますよ」
まるきり歓迎されないのも寂しいが、されすぎるのも、それはそれで厄介だ。 「おお、九郎に龍神の舞姫ではないか! いやはや、睦まじいのう」 後白河法皇の第一声がこれだった。もはや確信犯的嫌がらせとしか思えない。 「舞に雨を呼び、言霊に怨霊を散じるか。まったくもって、龍の神子とは神秘そのもの」 九郎の背後に半ば隠れるように立っていた望美を、わざわざ扇で招いてみせる。あからさまに『呼ばれている』と分かる権力者の仕草に、望美は戸惑い、そっと九郎を窺った。 「…………」 無言のままの九郎の背中は、固く強張っているように見えた。大紋の下に着込んでいる鎧のせいだけではないように思えて、望美は少し唇を咬む。 ───それでも言ってほしかった、と願うのは、ただの自分の我侭だ。 ざり、と望美の足元で、踏みしめた玉砂利が鳴った。 「こんにちは、法皇様」 九郎の隣に進み出た望美がぺこりと頭を下げると、法皇はじろじろと眺める。 「ふむ……見ればなかなかに愛らしい娘ではないか。そなたのようなおなごが、まことに怨霊を封じるなどしておるのか?」 「はい。怨霊を封印できるのは、私だけですから」 「まことかのう……?」 「神子とは申せど、所詮は民草であろ。院に証をご覧に入れること、出来るのかえ」 揶揄の言葉が貴族から飛ぶと、望美は小首をかしげた。 望美の肩に大きな掌が置かれ、ぐいと引き寄せられたのは、その瞬間。 優しい既視感がふっと、望美の胸の内を満たした。 凛と響く声が、真っ直ぐに放たれた。 「ご覧に入れよとの仰せであれば、我らの行軍に御幸をいただくことになりましょう」 九郎の苛立ちは頂点に達していた。 「怨霊を封じる神子の力、証をお望みならば、怨霊と対する姿をご覧いただけば宜しい」 「な、何を申すか! そのような危険な場所に御幸など、叶うはずなかろう」 「なれば貴殿にお運びいただき、院に仔細をお伝えください」 「な、な、な……っ」 もともと生っちろい顔面をさらに蒼白にしつつ口ごもる貴族を、九郎はじろりと一瞥した。戦場になど出てくる度胸もないような連中に、望美をどうこう言う資格はない。いや、たとえその度胸があったとしても、この娘に余計な干渉はさせない。 九郎の剣幕を面白そうに見物していた法皇が、不意にくつりと笑みを浮かべた。 「そこまでにしてやるがよい、九郎。余も少々、疑りが過ぎたでな」 気を悪くした様子のない最高権力者に、やり込めた側もやり込められた側も傍観していた側も、内心で一様に嘆息した。所詮は法皇の考え方ひとつで、この場の成り行きは決まってしまうのだ。誰かが完全に面目をなくすような破局は、訪れずに終わった。 「───御身、お健やかに。御前失礼いたします」 「うむ。頼んだぞ、九郎に許婚殿」
「あっ、あの……九郎さんっ」 望美の手首を強く掴んだままの九郎の歩く速度は、望美には少々早すぎた。小走りについて行くだけで精一杯、だんだんと息が上がってくる。京邸に戻るための道とはまったく方向が違い、町並みから外れて山道に差し掛かったため、余計について行くのがつらい。 「九郎さん、ってば!」 焦れた強い呼びかけに、ようやく九郎は足を止めて振り向いた。 「お前はあれほど貶められて、口惜しくはなかったのか!?」 「え?」 「……いや、済まなかった。お前のせいではないのに」 口に出してしまってから、我に返る。それでは遅いのに。 「───怒ってくれたの、私のためだったんですか?」 「当然だろう。お前の努力など何も知らない連中に、好き放題言わせて……っ」 情けない。 「そんなの平気なのに。私、別に気にしてませんよ」 くすくすと笑う望美を見て、九郎はますます憮然とした。 「わぷっ」 握ったままの手首を強く引き、腕の中に閉じこめて。 「……許婚を侮辱されて、黙っていられるか」 ついばむ直前に、そっと告げた想い。
了 |
**ひとこと**
20000Hit申告のさなさまへのプレゼントSS、リク内容【縁結びの神・後白河法皇にちょっかい出される九望】。
フリー配布用SSアンケートでは法皇様に投票してくださったそうで、そのリベンジとのリクエストをいただきました(笑)。
法皇様は悪気があまりない(ない訳でもない)のがいっそ可愛いよね。弁慶がトシくったらあんな感じになるかな?
「それなりに恋人設定」というリク内容もあったので、最後は甘くしてみましたー。
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