既視感

 

 初めて触れたそのやわらかさに、ただ、溺れた。

 

 

「───怪異の情報ならば、院もご存知の可能性が高いですね」

 これ以上の怨霊を放とうとする平家を止めなければ、との方針が、白龍の神子を中心とする一行の間でまとまったばかりだった。考えうる場所は幾つか挙げられたが、福原の戦が終わったばかりとあり、その軍勢を京へと戻す必要があった。
 どうせなら京でも情報を集めてみよう、という流れになったのは、しごく当然のことだったのかもしれない。

 弁慶の言葉に、九郎は内心うんざりした。
 戦場に出てきもしない権力者に好き勝手を言われるのは、兵を率いる将としては歓迎したいものではない。自分だけで話が済むならまだしも、軍全体に影響を及ぼすほどの大仰なことがらを、その場の思いつきだけで口にされては堪らないのだ。

「院か……」

 思わず憮然とした声音になったのが、自分でも分かった。
 あまりに正直な反応に、弁慶も苦笑する。しかしそれでも、この態度を当人の前で出さないくらいは、源氏軍の要としての彼が心得ていることなので、心配はしていない。どちらにしても、背後に狸の尾が見え隠れするようなかの院に好意的である理由は、生憎とどこを探しても見つからなかった。

「ことは一刻を争うな、仕方ない。御伺いしてくる」

「ああ、でも今は多分、駄目でしょう」

「何故だ?」

「僕もさっき確認してみたんですが、大がかりな法会が行われているそうです。院は当然、お忙しくなさっているはずですよ」

 音高く舌打ちを立てそうになり、九郎はかろうじて自制した。
 まったく、肝心な時にそうやって使い物にならないとは。

 とたとた、と軽い足音が響いてきたのは、そのときだった。

「───九郎さん? 弁慶さんも、ここにいたんですね」

 ひょいと几帳の影から顔を覗かせた望美は、苦虫を潰したような顔の九郎と、苦笑を浮かべたままの弁慶を交互に見やって、首をかしげた。

「どうしたんですか九郎さん、すごい顔」

 望美に応えたのは、本人ではなく軍師のほうだった。

「いえ、少々厄介なことがありましてね。望美さんこそ、何のご用ですか」

「景時さんが大忙しみたいで、どっちでもいいから呼んできてくれって言われました」

 軍を率いるというのは大仕事である。戦場に立って勝ちを掴むことより、むしろその前後のほうが雑務に追われがちになって、忙しい。戦の前であれば敵の情報や戦術の確認に加えて、糧食や補給の整備もしなければならない。終われば戦死者や負傷者の確認と治療、遺された家族のあった者はせめて遺髪を送り、次の戦に備えての準備を進める。
 如才なく立ち回れる景時であっても、一人で全ての処理を行うのは不可能だ。あまりに忙しそうな彼の姿を見かねて、望美がお使いを自ら買って出たらしい。

「そうか、分かった」

 立ち上がりかけた九郎の目の前に、すっと手が伸びた。
 その手の持ち主は既に立ち上がっており、振り向いた黒衣の影から、にこりと底の読めない微笑を浮かべていた。

「僕が行きます。君は望美さんと一緒に、院にお目通りを願ってきてみてください」

「は!? 弁慶、なにを」

「お目通り?」

 素っ頓狂な声を上げた九郎と、話の流れが分からない望美に、弁慶は続ける。

「法会の目的は怨霊調伏だそうで。白龍の神子が顔を出せば、院は諸手を上げて歓迎してくださると思いますよ」

 

 

 まるきり歓迎されないのも寂しいが、されすぎるのも、それはそれで厄介だ。

「おお、九郎に龍神の舞姫ではないか! いやはや、睦まじいのう」

 後白河法皇の第一声がこれだった。もはや確信犯的嫌がらせとしか思えない。
 軍師の言どおり、法会の途中であるにも関わらず、法皇自らが中座して二人を招き入れた。周囲の貴族の視線と囁きがいたたまれない。身の置き所のない恥ずかしさを味わいながら、とにかくさっさと済ませてしまえ、とばかりに、九郎は本来の要件を切り出そうとした。
 しかし法住寺の大天狗にとっては、そんな九郎をあしらうことなど、赤子の手をひねるより容易いことのようだった。

「舞に雨を呼び、言霊に怨霊を散じるか。まったくもって、龍の神子とは神秘そのもの」

 九郎の背後に半ば隠れるように立っていた望美を、わざわざ扇で招いてみせる。あからさまに『呼ばれている』と分かる権力者の仕草に、望美は戸惑い、そっと九郎を窺った。
 行ってほしいと望まれれば、行く。行くなと言うのなら、行かない。

「…………」

 無言のままの九郎の背中は、固く強張っているように見えた。大紋の下に着込んでいる鎧のせいだけではないように思えて、望美は少し唇を咬む。
 行くなと、言える状況ではないのだ。それくらいは、こちらの世界に疎い望美にも分かる。

 ───それでも言ってほしかった、と願うのは、ただの自分の我侭だ。

 ざり、と望美の足元で、踏みしめた玉砂利が鳴った。
 はっと九郎が息を呑んだ気配が伝わったが、敢えてそちらを見ないようにする。

「こんにちは、法皇様」

 九郎の隣に進み出た望美がぺこりと頭を下げると、法皇はじろじろと眺める。
 ああ向こうでも時々こういうオジサンっているよね、などと望美は受け流していたが、九郎のほうはそうはいかなかった。法皇の視線が少女を撫で回すたび、腹の底から湧き上がる怒りが熱を蓄えていく。なるべく隠れるような位置に立たせていたのに、わざわざそこから出てきてしまう望美の無防備さに対しての怒りもあったが、それ以上に、引き留める言葉を告げられなかった己の不甲斐なさに対する感情のほうが大きかった。

「ふむ……見ればなかなかに愛らしい娘ではないか。そなたのようなおなごが、まことに怨霊を封じるなどしておるのか?」

「はい。怨霊を封印できるのは、私だけですから」

「まことかのう……?」

「神子とは申せど、所詮は民草であろ。院に証をご覧に入れること、出来るのかえ」

 揶揄の言葉が貴族から飛ぶと、望美は小首をかしげた。
 証などと言われても、実際に怨霊を封印できる他人を見たことがないのだから、自分がやるしかないのにな、と思う。だいたい他の人と手分けできるような責任なら、これほど自分だけが必死になる必要などない。

 望美の肩に大きな掌が置かれ、ぐいと引き寄せられたのは、その瞬間。

 優しい既視感がふっと、望美の胸の内を満たした。
 こんなふうに、このひとに、抱き寄せられたことがあった。
 春の日。桜の中で。並み居る権力者たちを気にもせず、私を護ろうとして。

 凛と響く声が、真っ直ぐに放たれた。

「ご覧に入れよとの仰せであれば、我らの行軍に御幸をいただくことになりましょう」

 九郎の苛立ちは頂点に達していた。
 使えないだけならまだ我慢もしよう、だが足を引っ張るような真似をされた上に望美を侮辱されたとあっては、さすがに堪忍袋の緒が切れた。

「怨霊を封じる神子の力、証をお望みならば、怨霊と対する姿をご覧いただけば宜しい」

「な、何を申すか! そのような危険な場所に御幸など、叶うはずなかろう」

「なれば貴殿にお運びいただき、院に仔細をお伝えください」

「な、な、な……っ」

 もともと生っちろい顔面をさらに蒼白にしつつ口ごもる貴族を、九郎はじろりと一瞥した。戦場になど出てくる度胸もないような連中に、望美をどうこう言う資格はない。いや、たとえその度胸があったとしても、この娘に余計な干渉はさせない。
 彼女は自分の、大切な許婚なのだから。

 九郎の剣幕を面白そうに見物していた法皇が、不意にくつりと笑みを浮かべた。

「そこまでにしてやるがよい、九郎。余も少々、疑りが過ぎたでな」

 気を悪くした様子のない最高権力者に、やり込めた側もやり込められた側も傍観していた側も、内心で一様に嘆息した。所詮は法皇の考え方ひとつで、この場の成り行きは決まってしまうのだ。誰かが完全に面目をなくすような破局は、訪れずに終わった。
 九郎は一歩を踏み出し───再度望美の姿を庇うように立って───深く身を折る。

「───御身、お健やかに。御前失礼いたします」

「うむ。頼んだぞ、九郎に許婚殿」

 

 

「あっ、あの……九郎さんっ」

 望美の手首を強く掴んだままの九郎の歩く速度は、望美には少々早すぎた。小走りについて行くだけで精一杯、だんだんと息が上がってくる。京邸に戻るための道とはまったく方向が違い、町並みから外れて山道に差し掛かったため、余計について行くのがつらい。

「九郎さん、ってば!」

 焦れた強い呼びかけに、ようやく九郎は足を止めて振り向いた。
 今も内面に渦巻く感情を望美にぶつけるのは筋違いだ。それは九郎にも分かっているのに、怒りの欠片も見せずに自分を見上げてくる彼女に、鋭い言葉が出る。

「お前はあれほど貶められて、口惜しくはなかったのか!?」

「え?」

「……いや、済まなかった。お前のせいではないのに」

 口に出してしまってから、我に返る。それでは遅いのに。
 唇を噛んで横を向いた九郎に、望美は小さく笑みをこぼした。

「───怒ってくれたの、私のためだったんですか?」

「当然だろう。お前の努力など何も知らない連中に、好き放題言わせて……っ」

 情けない。
 九郎の唇から漏れた言葉は、望美の小さな我侭を満たしてくれる。
 このひとはいつだってそうだ。甘い言葉などちっともくれないのに、優しい態度など滅多に見せないくせに、不意打ちのように、望美を簡単に舞い上がらせてしまう態度を取る。

「そんなの平気なのに。私、別に気にしてませんよ」

 くすくすと笑う望美を見て、九郎はますます憮然とした。
 彼女は自分の価値を分かっていない。
 己がどれほど稀有な存在なのか、どれほど美しい心を持っているのか、どれほど自分の心を捕らえて離さないのか───。

「わぷっ」

 握ったままの手首を強く引き、腕の中に閉じこめて。
 抗議の意味か顔を上げてきたのをいいことに、その顎をくいと持ち上げて。

「……許婚を侮辱されて、黙っていられるか」

 ついばむ直前に、そっと告げた想い。
 限界まで見開かれた大きな瞳が、やがて甘く色づき蕩けて閉じられても。
 初めて触れたその唇を、そのやわらかなぬくもりを、心ゆくまで貪り尽くした。

 

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**ひとこと**
20000Hit申告のさなさまへのプレゼントSS、リク内容【縁結びの神・後白河法皇にちょっかい出される九望】。
フリー配布用SSアンケートでは法皇様に投票してくださったそうで、そのリベンジとのリクエストをいただきました(笑)。
法皇様は悪気があまりない(ない訳でもない)のがいっそ可愛いよね。弁慶がトシくったらあんな感じになるかな?
「それなりに恋人設定」というリク内容もあったので、最後は甘くしてみましたー。

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