士たる者

 

 士たる者、常に心がけておかねばならないことは、幾つもある。
 曰く、鍛練を怠らぬこと。
 曰く、卑怯な振る舞いを戒めること。
 曰く、簡単に弱みを見せてはならぬこと。
 ───曰く、遅れを取らぬよう努めること。

 

 

 九郎は今、絶体絶命の窮地に立たされていた。
 何も別に命の危機に晒されている訳ではない。戦場ならいざ知らず、九郎が今いるのは京六条の櫛笥小路邸で、ほとんど自邸と言っても差し支えない場所だ。ここに入り込みなおかつ源氏の総大将の首を狙おうという者など、よほどの向こう見ずか手練のどちらかであり、そもそも今は諸々の事情で警護を強化している。不審者が白昼堂々、入り込める状態ではなかった。
 その諸々の事情の大半である少女は、九郎の袖につかまり、膝立ちをしている。
 彼女は九郎の仲間であり味方でありついでに妹弟子でもあり、彼が護るべき聖なる神子である。だが、九郎のそういった認識のどれにも、少女の行動は当てはまらなかった。

「の、望美!?」

 完璧に声が裏返っているのを自覚したが、そんなことに構っている余裕はない。
 少女の大きな瞳が、じっと九郎を見ている。

「なんですか?」

 あっさりと言われてしまうと、却ってこちらが返答に詰まる。まるで、気にするほうがおかしいのではないかと───そう言外に匂わされるような心地までしてくる。
 それでも九郎は必死に言葉を捜した。

「なんだ、ではない! お前、なんのつもりだ!?」

 少女は九郎の袖を捕らえている、だけではなかった。決して九郎の思い過ごしでも妄想でもなく、ゆっくりと身を寄せてくる。正確には、その顔を。さら、と紫紺の絹糸が己の肩にこぼれ落ち、散りかかった。
 その音と感触と、一層近く濃くなる少女の甘い薫りに、九郎は更に追い詰められる。

「馬鹿、離れろ!!」

「嫌なら突き飛ばせばいいでしょう」

 それが出来るならば、最初からそうしている。
 ───とは、死んでも言えなかった。おなごに易々と不甲斐なさを白状するなど、武士として男として、到底看過できる振る舞いではなかった。少なくとも、九郎にとっては。
 少女はお構いなしに、じりじりと間合いを詰める。そろそろ互いの顔が真正面にきた。

「やめろっ……」

「だから嫌なら力ずくで止めさせればいいんだってば」

 ふぅ、と少女の紅い唇から吐息が吹きかけられた。
 それを己の唇に風として受け止め、九郎は瞬時、固まる。意識が一瞬遠のいた。

 嫌、ではない。
 嫌、ではないから、これほど焦っているのだ。

 九郎はこの少女を憎からず想っていたし、少女のほうでも九郎のことを好きだと言った。『好き』にも多種多様の段階と種類があるはずだったが、幾度にも渡るすれ違いとやけっぱちな言い合い(要は痴話喧嘩)の果てに、つまりはまあそういう『好き』なのだと、互いの間で諒解が成立していた。
 であればこの状況は男としては非常に有り難い、いわゆる据え膳と言っていい状況なのだが、問題は九郎の内に深く深く根を張った矜持───若しくは思いこみだった。

 卑怯な振る舞いをしてはならない。
 正式に娶った訳でもないおなごに、己の欲のまま軽々しく触れるなど言語道断。
 遅れを取ってはならない。
 機先を制することができれば勝ちはほぼ決まったようなもの、逆に言えば後手に回るのがいかに不利かを将は熟知している。

 ぶっちゃけた話、想いを伝え合ったところまではいいものの、九郎とこの少女の間では、それ以降の進展というものが皆無なのだった。
 そしてそれに焦れた少女が、感嘆すべき雄々しさで行動を起こしたのである。

 互いの視界に互いの顔しか映らない。それほどに、近い、距離。
 何度言っても少女に思い留まる気配はなく、にじり寄る鼻先がもう触れ合いそう。
 体勢を支えきれなくなったのか、袖を握っていた小さな掌は、今は九郎の肩にちょこんと置かれていた。そうしてもう片手で、悪戯に彼の癖の強い髪のひと房を、手巻いては触れあそぶ。
 大きな瞳は間近で見ると、少し潤んでいて。

「───くろう、さん……」

 舌足らずな甘え声も、それを乗せた吐息も、まろやかな熱に浸されて。

 

 躯の奥の奥から、押し込めていた熱が堰を切ってあふれ出すのを、九郎はかき消される理性の片隅で、かろうじて捉えた。

 

「……んっ!」

 男の掌が少女の後頭部に回り、ぐいと己へ引き寄せた。その急な動きを予期していなかった少女は、くぐもった驚き声を上げたが、それすらも重なった唇の間に消えていく。勢い余ってかつんと歯がぶつかり、互いの唇に少しだけ痛みをもたらした。

 いささか不手際な、やや色気に欠ける、恋の触れ合い。
 それでも少女は、文句など何一つ、言わなかった。

 

 

 お前からされるなど、俺が男として余りに不甲斐ないではないか。
 後日、九郎はそうのたまった。
 言ったそばから、その道にかけては百戦錬磨の薬師殿に『不甲斐ないのは事実でしょう』と返り討ちを喰らった、というおまけつきで。

 

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**ひとこと**
ニフエさまのサイト【nnww】の望九絵『どうする?2』を見て「SS書きたいです!!」と土下座した一品。
もう押せ押せな神子と血管切れる寸前の御曹司が可愛すぎてですね、見てるこっちが鼻血モノ。
もっといっぱい書きたい気もしたんですが…あまりダラダラ書くとせっかくのイラストのシチュが生きないので、簡潔に。
快くSSの許可をくださいまして、ニフエさま本当にありがとうございました〜!!

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