雪兎

 

 春日望美という少女は偽りを口にする者である、と九郎は思っている。

 偽りと言うべきか、それとも強情が度を越したと言うべきか。いずれにせよ、自らの不調を素直に白状したことがない。また、幾度制しても、無頓着に前線を駆けることをやめない。こちらが案ずるあまり怒り心頭だというのに、彼女は笑ってごめんなさいと謝るのみだ。その謝罪も空々しい、どうせ改める気などないのだから。

 そうして笑う彼女の瞳の奥に、どこか怯えのような色合いが含まれていることに、気づいたのはいつのことだったのか。
 見間違いかと思うほどにそれは薄い陽炎のようで、けれど確かに存在している。明るく笑い声をたてながら、望美の瞳はいつも、九郎にはあずかり知らぬ遠くを見ていた。彼女にしか見えない何かがあるのだろうか―――それは神子であるがゆえの孤独なのか。

 問いただすことも躊躇われるほどの、密やかな翳り。





 源九郎義経という人は嘘つきだ、と望美は思っている。

 あまりにも普段の彼の言動が分かりやすいから、だから望美はそれにまったく気づかなかった。九郎は思ったとおりのことを言い、思ったとおりに行動する。むしろそのために、持ち上がった口論がどれだけあったことか。だから彼に裏めいた事情や隠し事などないのだと、そう思っていた。そんな真似が彼に出来る筈がないとも思っていた。

 それが嘘だったのだと知ったのは、木枠越しに指を絡めたあの時になって、やっと。
 常に気丈で雄々しく厳しく在った筈のその人は、とても静かに微笑していた。命など惜しくないと幾度も口にしていた彼の空気が、死にたくないと訴えていた。行ってくれと突き放すその声が、行かないでくれと縋っていた。

 私は一体このひとの何を見ていたのかと、愕然とした。





「お前は何度言わせれば気が済むんだ!!」

「そんなの九郎さんが勝手に言ってるだけでしょう!?」

 九郎と望美が正面衝突している。ただし実際の体ではなく、主張が。
 この両者に限っては、諍いの声も仲間たちは聞き流すことにしていた。いちいち介入していては、こちらの身が幾つあっても足りない。それほどに彼らの口論は日常茶飯事で、いつもの風景の一郭を形成していた。やれ朝餉につくのが遅いだの物言いが荒いだの、果ては得物の刃渡りに差があるだの、そこが問題ではなかろうにと周囲が思うような些細なことで、延々と言い争えることにむしろ感心してしまう。

 彼らが喧々と口角泡を飛ばしていがみ合っている様子は、仲間たちにとっては『いつものこと』だった。むしろそれを見ると、切羽詰まった状況であっても日常の一幕を持ち込まれたようで、どこか安堵するような気さえする。
 だから仲間たちは、九郎と望美の口論を見かけると、止めには入らず傍観している。

「よく飽きないわね、あなたたちも」

 朔にそう言われれば、望美は憤然と、九郎が悪いのだと言い放つ。

「さて、今日は何が争いの種だったのやら」

 弁慶にそう言われれば、九郎はむっつりと、山ほどあって覚えきれんと返す。





 九郎が書面に取り組んでいるところを、望美が不意に訪れた。
 この二人が揃えば口論が始まるものだと仲間たちは思っていたが、それは周囲に人目がある時だけの話だった。真っ直ぐな二人が、真っ直ぐにぶつかり合う、それが仲間たちにとって日常の一部だというなら、壊さないようにしたい。
 ―――いつの間にか、それが取り繕った姿だと、互いに分かっていた。

「どうした?」

「なんでもないです。ちょっと、見せたいものがあって。忙しいなら後にします」

「……いや、構わんが」

 筆を置いた九郎の視界に、黒塗りの小さな盆が入ってきた。その上にちんまりと載った雪塊。盆を差し出した望美が、あの笑顔を浮かべた。
 あの、どこか遠くを見つめるような翳りの。

「雪兎、作ってみたの。ちゃんと見えます?」

 他愛ない小物をつんと突付く指先が赤く、よくよく見れば袖もしっとりと濡れている。恐らく彼女がこしらえた雪像は、これ一つではないだろう。寒さで凍えることも厭わず、何を思いながら望美は雪を掬ったのだろう。それが分からないことに、不安めいたものが胸中を過ぎるようになった。

「ね、可愛いでしょ?」

「…………よく分からん。が、お前が手を冷やしているのは分かる」

 九郎はそう言い、望美の指先に目を落とした。途端、ばつが悪そうな顔つきで、望美はぱっと両手を背後に隠した。

「見てほしいのは兎ですよ。だいたい、この部屋だって寒いじゃないですか」

 執務の最中は意識が集中しているので、九郎は寒さを特に意識してはいなかった。京と奥州で過ごした経験から、大概の暑さにも寒さにも慣れている。

「寒いか? 炭を入れるか」

「別にいらないです。兎が融けちゃうし」

「それもそうだな」

 望美は盆を文机の隅に置くと、九郎の背に自分の背を預け、もたれかかってきた。

「望美?」

「ちょっと休憩しませんか」

 それを突き放してはいけないのだと、九郎は感じていた。
 顔は見えない。けれどきっと、あの寂しげな笑みのままで、彼女はそこにいるのだろう。
 理由は分からなくとも、その憂いを取り除いてやることはできなくとも。この場所にいたいのだと、彼女が言うのなら。

「……兎が融けるまで、だぞ」

「はい。兎が、融けるまで」

 振り向いた九郎の腕が、望美を引き寄せてすっぽりと包み込んだ。
 望美は抗わず、胸元に頬を摺り寄せてゆっくりと瞳を閉じた。

 雪兎が消えるまでの、ほんの一時。
 強がりも偽りもなにもない、ただの二人のままで。

 

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**ひとこと**
2周年記念・ご愛顧御礼の九望テキストです。結局甘々ラブラブは書けませんでしたorz
冬場なのでゲームベースだと屋島近辺か平泉。どちらでもいいんですけど、どっちかというと無印っぽい感じ。
人前ではケンカップルだけど二人だけの時は密かに仲良しだと萌える。(おまえの萌えは聞いてない)
背中合わせの九望が好きです。信頼し合ってる特別な異性だってことが伝わってくる。

現在はフリー配布は終了しております。