雨の距離

 

 この世界の色彩は時に、目に痛いほどの鮮烈さで。
 けぶる雨に沈む緑陰に慣れた自分は、いまだどうにも妙な居心地になる。





 店の扉をくぐったら、外は雨が降り出していた。今朝からどんよりとした曇天だったのが、ここに至ってついに堪えきれなくなった、という風情だった。

「あー、とうとう降ってきちゃった」

 扉を押さえたまま空を見上げていた九郎の後ろで、望美がぷーっと頬を膨らませた。
 出かける前の情報収集は抜かりない。本日の天気予報は降水確率90%、ちゃんと傘も持参している。であればこれも予測の範囲内の状況なのだが、せっかくのデートにも買い物にも、雨を歓迎したい要素は一つも含まれていない。
 黒く変色したアスファルトを恨めしげに見て、望美は息を吐いた。

「傘はあるだろう?」

「だって面倒じゃないですか、荷物も濡れちゃうし」

 なおも他愛ない文句を続ける望美の手から、九郎はあっさりと、店の袋を奪い去った。一つひとつはさほどの大きさでもないが、いくつもあるものだから、それなりの嵩になる。そのくせ重さはあまりない。その大きさと重さの釣り合いにも、いまだに時折戸惑ってしまう。

「あ。い、いいですよ、自分で持ちますから!」

「文句を言っていたのはどの口だ。いいから寄越せ、濡らさぬようにするから」

 そのまま九郎は傘を広げて行ってしまう。望美も慌てて、その後を追った。
 買った袋の中には念願の新しい水着も入っていたのだけれど。今ここで九郎にそれを指摘しても、真っ赤な顔で道路に放り出されるのがオチだろうなと思ったので、望美はその件については触れないことにした。





 ようやく追いついて、それで望美はまた少し、内心で膨れる。
 こうして二人で出かける時間を持つのは、嬉しい。並んで歩き、同じものを見て、それぞれに思ったことを言い交わすのが楽しい。けれどその満足感は、今日のような雨の日には、少しばかり小さなものになってしまう。

 九郎の一番近くに、いられない。
 彼の手に傘があって、自分の手に傘があって。晴れた日のように、その腕を取ることができない。

 彼の体温を感じることも、彼の真っ赤な顔を見ることも、大好きなのに。
 雨の日はそれを取り上げてしまうから、だから望美は雨の日があまり面白くなかった。

「……傘が、邪魔ですね」

 不意にぽつんと口にした望美の言葉に、九郎が首を傾げて隣の傘を見下ろした。

「お前、濡れたいのか濡れたくないのか、どっちなんだ」

「だって傘がぶつかって、九郎さんとくっつけないんだもん」

 互いの表情は傘で見えない。
 それでも咄嗟に固まった九郎の歩みを見て、望美はひそやかに微笑む。

「―――っ笑うな!」

「笑ってませんよ」

「嘘をつけ!!」

「顔も見えないのに何言ってんですか、嘘じゃないですー」

 笑い声をたててはいないのだから、そんな強弁を試みる。本気で信じこませたい訳でもない、ただ小気味よく交わすことを楽しむためだけの言葉。
 そんな他愛のない言い合いは、穏やかな時間の中だからこそ、やさしい。

「〜〜〜っ、うるさい、それなら顔を見せてみろ!!」

「はい、どうぞいくらでも」

 もはや仁王立ちになっている九郎に合わせて立ち止まり、望美は傘をくるりと回して振り返った。
 しとしとと、雨粒だけが二人の視界を通り過ぎていく。

 ―――あ。いいこと、思いついた。





 売り言葉に買い言葉ではあったが、見つめ合う状況に陥ってしまったことで、九郎は一層うろたえた。
 しかも言い出したのは自分からであって、この場合、望美に非はない。もとから頬の熱さを自覚してはいたが、それが更に温度を上げていく状態を情けなく感じていても、どうすることもできない。
 なんとかこの状況を打破する言い訳を捜していた九郎に、望美がちょこんと首を傾げた。

「九郎さん、前髪に何かついてますよ」

「……な、なに?」

「ちょっとかがんでください、取ってあげます」

 その言葉で、九郎の意識もすうっと落ち着き始めた。目の前の望美は至って普通どおりで、そもそも見つめ合っていたのが何故だったのか、その理由も今となってはどうでもよくなってしまった。
 彼女といると、いつもそうだ。諍うけれど、長続きしない。

「いや、どの辺りについているか、教えてくれるだけでいい」

「でも九郎さん、両手がふさがってるじゃないですか」

 望美に指摘されて、ようやく九郎はその事実に気づく。
 右手に望美の荷物、左手に傘。この上何かをするには、どちらかを手放さなくてはならない。望美から預かった荷物を濡れた道に置くのは論外だったし、傘を置こうにも、やはり荷物を濡らしかねない。自分が濡れることなど何とも思ってはいないが、ことが望美に関わるのなら話は別だった。

「……済まない、では、頼む」

「はい。―――ちょっと、失礼しますね」

 望美が差していた傘をたたみ、九郎の傘の中に入ってきた。
 その途端にふんわりと近くなる甘い薫りは、雨の湿り気の所為か、普段より僅かに濃い。
 白い手が、かがんだ九郎の顔に伸ばされた。

 そうして掠めるように頬に触れた、唇。





 硬直し、一瞬の後には二、三歩大きく下がった九郎の様子に、望美は笑いながら自分の傘を広げた。

「───お前には慎みというものがないのか!!」

「こんなこと、九郎さん以外にはしませんよーだ」

 彼女からの、自分だけの特別扱い。
 さらっとそんなことを言ってしまう無邪気な慕いの言葉に、迂闊にも、照れより先に独占欲を満たされてしまう。
 いかん、と九郎は己を叱咤し、気合を入れなおした。ここは男として厳しく釘を刺しておかねば、彼女のためにもならない。

「だ、大体、このように人前で……おなごのくせに、恥を知れ!!」

「いいじゃないですか、傘差してるんだし、そうそう見えませんよ」

「――――――っ」

 ぐうの音も出ないほどに九郎を言い負かした少女は、楽しげにくるくると傘を回した。水滴が跳ねるさまは、彼女の笑い声が目に見える形となって、辺りにきらきらこぼれ落ちているようだった。
 九郎はがっくりと肩を落とし、肺が空になりそうなほどの溜め息をついた。
 叶うならば今すぐ捕らえて、その小癪な唇を塞いでしまいたい。肩を引き寄せ細腰をかき抱き、身動きできないよう、腕の中に閉じ込めてしまいたい。

 けれど、そうするには。

「……傘が、邪魔だな」





 目に痛いほどの鮮烈な色彩が、この世界には溢れていて。
 それよりもっと眩しくいろあざやかな、無邪気で無防備な彼女の笑顔。

 

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**ひとこと**
80000Hit御礼の九望SSです。今回は諸事情により事前アンケートなしで、管理人の好きに書きました。
好きに書いてコレなのか…という壮絶なセルフ突っ込みを入れつつ、神子はこれくらい押せ押せなのが好きです(笑)。
つい先日もオフの九望トーク時、「神子の尻にしかれる以外九郎になにができるんですか」と超真顔で言いましたとも!
現代ED後を考えるのは、↑なイメージで鬼門に近いぶん、たまにチャレンジしたくなります(^^;)。

現在はフリー配布は終了しております。