まどろみの彼方

 

 この胸を引き絞られるような感情はどこからやってくるのだろう。





 目を開ければそこは無明の闇。耳を澄ませたところで、己の吐息のほかには、何も聴こえるものなどありはしない。
 夢見がよいはずもない。もはや自分でも数え上げることが不可能なほど、血染めの太刀を握り締める掌は馴染んだ感覚となった。我に返れば実際に太刀を手にしているではないか、と九郎は自らの愚かさに苦笑せざるを得ない。
 何も見えぬ、何も聴こえぬ、何もない場所。
 言ってみれば虚無を彷徨うような夢路は、戦の醜悪さをまざまざと見せつける。

 ふと、何かの音が耳に届いた。
 呻き声にも似たそれは、底冷えのするような温度に満ちていた。

 何も聴こえない───と思っていたのは、錯覚らしい。
 己が聴きたくなかっただけか、と九郎は自嘲し、音の響く方角へと足を向けた。夢の中と知っていながらの所作は、罪悪感からか諦念からか、己自身にも判然としなかった。

 恨めしいか。
 生き延びたかったか。
 ……俺を引きずり込みたいのか。

 音は怨嗟の声に他ならなかった。
 気づけば全身が血にまみれて滴り落ちる。己の血ではない、そのきつい臭気。

 九郎は当てもなく歩きながら、ぼんやりと思う。
 ……もう、慣れた。
 悪夢よりなお惨い現実を生き延びてきた。死線を幾度も潜り抜けてきた。だから今更、この程度では動揺などしない。
 慣れて、しまった。身も凍るような死の温度に。





「……さん、九郎さん」

 やわらかな声が、自分の名を繰り返し呼んでいる。
 それにようやく気づいた九郎が意識を覚醒させかけた瞬間、その声の主は何を思ったのか、そっと彼の額に小さな掌を当てた。

 ───現実がどちらなのか、一瞬、躊躇う。

「大丈夫? 汗、かいてる」

「…………、のぞみ、」

 掠れた声は上手く彼女の名を紡ぐことすらできず、それが九郎には苛立たしい。おまけに掌の感触は心地よいのだが、その所為で顔を見ることができない。視界がぼんやりと、暗がりに支配されている。
 だから掴んだ手首は、指が余って仕方ないほどに、細かった。

「俺は……眠っていたのか」

「はい。でもなんだか、苦しそうな顔してた……嫌な夢でも見てました?」

「夢……」

 夢。
 あれは、夢。
 けれど現実でもあった、夢。

 寒かった。とても、寒かった。いのちの熱が、どこにもなかった。
 だから。

「───きゃ!?」

 掴んだ手首を遠慮のない力で引き、倒れ込んできた少女の身体をそのまま受け止めて、九郎は安堵の息を吐いた。
 あたたかい、腕の中のいとおしいぬくもり。それが真実でさえあれば、どんな夢に囚われても、この現実に還ってきたいという願いに変わる。生きている彼女と生きている自分と、どちらが欠けてもこのぬくもりを感じることはできないから。

 ぎゅうぅ、と抱きしめてくる腕を、寝ぼけていると勘違いしたのか、少女は無邪気に笑う。

「まだ眠い? たまにはこんな、ゆっくりな休日もいいですよ」

「……ああ」

「あ、ごめんなさい。喋ってたらうるさいですよね」

「いや……構わない。好きなだけ、話していてくれ」

 彼女の声を聴いていられるだけで。
 彼女のぬくもりを感じていられるだけで。
 ───現実とも思えないような幸福が、この胸を溢れるほどに満たしていくから。

「…………? 九郎さん、どうしたの? さっきから、なんか、変だよ」

「そうか……」





 陽だまりの中で、ふたり寄り添ってソファに寝転んで。
 睦言のように密やかな声の響きは、途絶えることなく男の内を癒していく。
 髪を撫ぜる大きな掌に、少女はうっとりと瞳を閉じて、あったかい、と呟いた。

 ───あたたかいのはお前だ、という声こそが、ぬくもりに満ちていた。

 

BACK


**ひとこと**
70000Hit御礼の九望SSです。事前アンケート1位キーワード【ぬくもり】。無印ED後なイメージ。
生きてるってことはそれだけで、素晴らしい、あったかい、泣きたいくらい嬉しいことなんだよって感じでしょうか。
神子に出逢えたことで、九郎はやっとそのことを実感できたのかな、なんて思ったりして。
えらく短いんですが、書きたいイメージは詰め込めたので、ここまでにしておきます。

現在はフリー配布は終了しております。