きずあと

 

 居ても立ってもいられなかった。
 雲霞のごとき数の敵に囲まれても、一向に怯まずに太刀を構えるその姿を遠目に見て、真っ先に覚えたのは自分への怒り。

 どうして私、こんなところにいるの。
 どうしてこんなところで、危険な目に遭ってるあのひとを、ただ見ているの。
 まもるんだって、あんなに誓ったのに!!

「…………っ!!」

 仲間の引き留める声も手も振り切って、望美はがむしゃらに駆けた。
 ただただ、駆けた。哀しみも戸惑いも涙もすべて振り捨てて、ただひとりの命があればそれでいいのだと───届けられなかった書状を握り締めて誓った、たったひとつの願いを胸に抱いて。
 乱戦の中を駆ける少女。その異装、その唇から呼ばわる名。
 それが、的にならないはずがなかった。望美めがけて矢が幾度も放たれ、それをかろうじてかわしていく。間近に躍り込んで斬りかかってくる敵兵もたびたび現れたが、斬り合う時間すら惜しんですり抜けた。

 やっと、視界が開けた。
 黒っぽい鎧武者の向こうに見え隠れする、白絹。

「───九郎さん!!」

 そのひとの背後に迫った兵の利き腕に斬りつける。浴びた血潮も構うものか。
 どんなに恨まれても、どんなに悔やんでも、あなただけは生かすんだと誓ったのだから。

 振り向いた九郎の瞳が大きく見張られ、すぐに歪んだ。たった一瞬の変化も余さず見て取れる、そんな距離にまでたどり着けたことに、その瞬間まで九郎が生きていたことに、望美は安堵する。
 ああ。
 お願い、生きて。
 どんな罵声でもいい、叱責でもいい。生きて、私に、その表情を見せて。特別じゃなくても仲間のひとりでもいい、どうかそのぬくもりを、消してしまわないで。

 そのためなら私は、なんだってできるのだから。

「望美!? ───馬鹿っ、何故来たっ!!」

「馬鹿はそっちだよ!」

 勢いを殺さず飛び込み、ぴたりと互いの背をつける。
 戦場に立ち、背後を託す。それは命を預けることに他ならない。

 ああ。
 どうか私に、あなたをまもらせて。

「九郎さんが死んだら、勝ったってなんにもならないんだから!!」

「望美……」

 背から伝わるぬくもりに、望美は笑った。
 大丈夫。まだ、私の手は、このひとをまもれている。

「とにかく切り抜けましょう。二人で、生きて戻るんです」





「……なんとか、なったか」

 静けさを取り戻した浜に響く九郎の声は、感嘆と言うよりは呆れの色が濃かった。
 首領を討たれたことにより、怯んで総崩れになった平家方の囲みは、向こうから散った。太刀を構えたまま視線を巡らせると、雑兵など我先に逃げ出していく。さすがに名のある武士ほどの者ともなればそんな醜態は晒さなかったが、指揮官を失い部下も見る見る目減りしていく中で、最後まで踏みとどまれた者は結局のところ、いなかった。

 がらんとした浜辺に打ち捨てられた矢や刀が、つい先ほどまで確かに此処が戦場だったことを示す、ほんの僅かな証だった。
 その時になって突然、望美が膝から崩れ落ちた。

「望美!? 手傷を負ったのか!?」

 少女は答えず、ただ俯いて首を横に振った。
 当然そんな仕草で納得できる訳もなく、九郎もその場に膝をついて顔を覗き込む。と、見られまいとしてか、更に望美は深く俯いた。
 微かに漏れ聞こえる嗚咽。震える肩のなんとか細いことだろうか。

「ほっとしたの……間に合って、よかった」

 涙声さえ震わせて、それは直接、男の奥深くへ響く。

「あのままじゃ九郎さん、死んじゃうって思って……すごく、怖かった……」

 そのぬくみも潤みもすべてが、今この瞬間だけは己ひとりに向けられたもの。
 胸郭を満たして溢れそうになる熱になんと名をつければいいのか、九郎は一瞬だけ戸惑った。感謝もある、賞賛もある、ついでに自ら危険に飛び込んできたことへの怒りと己の不甲斐なさへの悔いもある。
 それだけ、なのだろうか、この熱は。

 分からないままに手を伸ばしかけ、あちこち裂けた桃の小袖とそこに染みた血痕に、ようやく我に返る。

「足をやられたのか? 見せてみろ」

「……ううん、平気。返り血、だから」

 ようやく顔を上げた望美が、泣き笑いとも呼べない表情を浮かべた。そうするとただでさえ年若な少女は一層幼く見えて、そんな彼女を血まみれの道に引きずり込んだ罪業の深さを、この後に及んでも九郎は苦く噛みしめる。
 信頼している。封印の力を当てにしている。窮地で背を預けるほど、腕を認めている。
 けれど戦の中で彼女が傷ついていくことは、何度目にしてもその度に激しく悔いる。

「……そうか」

 溜め息ついて更に手を伸べ、握り返してきた小さな掌を引いて立たせる。
 と、微かな声と共に、望美が眉をしかめた。

「望美?」

「ん、平気です。さっきちょっと、矢がかすっただけ」

 望美は何の気なしに答えた。
 それが九郎の顔色を変えさせるほどのことだと、露ほども思わずに。

「きゃっ……」

 ぐいと腕を引かれ、裂けた袖が肘の上まで捲り上げられる。白い肌に細く走った赤い血の筋はやけに目立ち、布に擦られたせいでじくりと疼く。
 改めて見ると痛みがぶり返すなあ、などと望美は呑気に思っていたが、次の瞬間、それどころではなくなった。

「…………!?」

 掴まれた手首が、痛い。
 力任せに強く握り締められているせいだ、九郎はどうにも加減というものを知らない。
 何故か、さっきよりもあたたかい。
 手首を掴むのとは別の腕が腰に回っているからだ、寄せ合った身は寒風を遮る。

 傷の痕が、とても、あつい。
 唇を押し当てられて、強く吸われているせいだ。

「───っ……」

 渾身の力で突き飛ばそうとしても、抱き込む拘束は強まるだけで。

「なっ、なにす……いっ! や、いた……っ!!」

「暴れるな。毒矢の危険がある」

「っ!!」

 苦痛と羞恥に震えながら、少女はその無垢の肌に初めて、想う男のくちづけを受けた。





 泣き声にも行為を止めなかった九郎が、ようやく力を緩めた時、望美はその場にずるずるとへたり込んだ。

「傷痕が変色してはいないから、杞憂とは思うが。戻ったらすぐ弁慶か朔殿に診せておけ」

 そう言いつつ拭った口元を汚している紅は、自分の血。

「ほら、急ぐぞ」

 沈着な態度は、賭けてもいい、絶対に自分のしでかしたことを理解していない。

「おい、望美。いつまで座ってる」

 苛立ったような声に、混乱の極みに達した少女は、ついに叫んだ。

「───い、いきなり断りもなく、なにするんですかっ!!」

 怒鳴られた側はぽかんと口を開けた。
 なにをするも何も、戦時の応急処置としてごく普通に対応しただけだった。傷口は出来る限り汚さぬよう縛り上げて止血する。矢などは毒を仕込まれている場合もあるので、かすっただけでも油断は禁物だから、解毒の薬草を当てるか、それが無理ならせめて、負傷してから時間をおかないうちに患部の血を吸っておく。
 何故これほど怒るのだろう。何故こいつはこれほど紅くなって涙ぐんでいるのだろう。

 そこまで考えて、ようやく。

「…………!!」

 その処置が傍目に見て、いや当事者である己と彼女にとってさえ、どういう行為だったのかを、鈍すぎる頭で悟り。

「す、済まないっ!! わざとではなく、そのっ!!」



 一瞬で望美以上に沸騰した九郎の弁解が、がらんとした浜に虚しく響いた。

 

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**ひとこと**
40000Hit御礼の九望SSです。事前アンケート1位【自覚なく迫る九郎(五秒後大赤面)】。
無印九郎ルート7章の屋島バトル。どんだけ無茶なんだろうねこの総大将と神子殿は。縄つけて本陣につないどけ。
「ついうっかり」とか「そんなつもりじゃ」とか、やっちまってから恥ずかしさに気づくというのが似合うCPだなぁと思ってます。
アンケートにお答えくださった方々、及びご訪問いただいた方々に、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました!

現在はフリー配布は終了しております。