| 告白した方が負け。 先にたくさん好きになった方が、負け。 誰かを想うことはいつだって、戦以上に真剣勝負。 だから、こんな些細なことだって、気になってしまうのです。 望美はしょっちゅう邸内を動き回っているので、他の人間にばったりと出くわすのは、よくあることだった。それが午前中で、その日初めて顔を合わせた状況であれば、澄んだ声で自分から朝の挨拶をしてくることも。 だからその異変に最初に気づいたのは、弁慶だった。 「おや望美さん。おはようございます」 「おはようございます」 声をかけてみれば、いつも通りに明るい返事がくる。機嫌が悪い訳ではなさそうだ。 けれどそれに続くべき一言が、今日はなかった。 「今日はちょっと、僕も九郎も外せない所用があるんです。申し訳ありませんが、僕たち抜きで探索に赴いてもらえますか」 「あ、はい、了解でーす」 望美はにこっと笑った。弁慶の方をきちんと向いて。 その隣にいる九郎を、まるっきり無視した形で。 ───ああ、また何か、喧嘩をやらかしてるんですね? そもそもいつもなら、望美は挨拶の時に、こちらの名前をきちんと呼ぶ。そこに九郎がいれば必ず、他愛ない話をしては笑ったり怒ったり、ともかくこんな風に無視した振る舞いなど、今までしたことはなかった。 弁慶が脇をちらりと見やると、九郎は怒っている様子はなかった。むしろ呆然としている。望美がどういうつもりなのか量りかね、対人関係においてはただでさえ鈍い頭が、ますます混乱をきたしているようだった。 それじゃ失礼しますね、と踵を返した望美の背に、呆けている場合ではない、とやっと悟ったのだろう、九郎の慌てた声がかかった。 「の、望美?」 ぴたり。 くるり。 「なんですか、九郎さん?」 足を止めて振り向いた望美は、きょとんとした顔をして九郎を見上げた。 思わず呼び止めたはいいものの、話題をなにも持たない九郎は、大きな瞳に見つめられて馬鹿のように口ごもるしかなかった。 「いや、その……」 何を言えばいいのか。 そもそも何故、呼び止めてしまったのか。 身の置き場がないような心地を味わいながら、ようやく九郎は適切と思える言葉をしぼり出した。 「……け、怪我などするなよ、皆に迷惑がかかるのだからな!」 隣で傍観していた弁慶は、思わず右拳で九郎の後頭部をはたき倒したくなった。まあ、いちいちそんなことをしていては、こちらの手がもたなくなってしまうので、馬鹿らしいからやらないが。 わざわざ呼び止めて言うことが説教か、と思う反面、だからこそ九郎なのだ。 むっと膨れるかと思って少女を見ていたが、意外にもはぁい、と素直な返事がきた。 「お仕事頑張ってくださいねー、九郎さん、弁慶さん」 鎌倉からの書面、京の実力者からの書面。山と積まれているのを、中身を確認しながら急を要する順に選り分けている弁慶の傍らで、九郎は広げた案件ごとに考え考えしつつ筆をすべらせた。こうして文机にかじりつくのは性根には合っていないが、これも名代の務めと思えば仕方が無い。 そろそろ午(ひる)の刻になろうかというところで、弁慶が不意に、朝の話を蒸し返した。 「で、一体今度は、何が原因なんですか」 「原因もなにも、何もしとらん」 どうせいつもの言い合いなんだろう、と明らかに決めつけてかかっている軍師の事情徴収に、総大将は言い返した。 「でも望美さんのあの様子、最初は明らかに、君を無視してましたよ」 「…………」 九郎の眉が寄った。さすがにこの鈍感でも、そのように感じていたらしい。 「───だが、怒っている訳ではなかったようだぞ」 「そう……なんですよね。それが不思議なんです」 弁慶の目にも、そのように見えた。 だとしたら、望美は怒りとは別の理由から、九郎を敢えて無視していたことになる。そして最後まで徹頭徹尾の無視ではなく、九郎が声をかけたら、普通に返事をした。まるで『九郎が視界に入っていなかっただけだ』とでも言うべき態度で。 それでも、気持ちのいいものではない。 「どうせ何かくだらないことでも考えているのだろう」 「おや。九郎は望美さんに無視されても、くだらないことだと思うんですね。それは凄い、僕にはとても無理ですよ」 「なっ───」 返信の書状をしたためていた九郎が明らかに動揺を見せた。寺育ちでそれなりに整った字を綴っていた筆がぐしゃりと押し付けられ、見るも無残な書き損じが出来上がる。あと少しで書き上げていたのに勿体無いな、と思いながら、弁慶は続けた。 「あの美しい瞳に僕を映してもらえず、あの澄んだ声で僕へ語りかけてもらえないなんて、僕なら想像しただけで胸が痛みます」 「ふざけたことを抜かす暇があったら出て行けっ!」 いきり立って怒鳴っても、怒りとは別の理由で顔が真っ赤なのでは、説得力はない。 ひとまず期待通りの反応を引き出せたので、弁慶はそれ以上はその話題を引き伸ばさなかった。まだ続けるのなら、九郎は午後いっぱい使い物にならなくなるだろう。 しゃあしゃあと結びの句を言ってのける。 「いやだな九郎、冗談ですよ」 「…………」 結局は弁慶も、このような仕事は退屈なのだった。 翌日、またしても望美は、九郎のことだけ綺麗に無視をしていた。 その翌日も、そのまた翌日も。 無視というのは正確ではない。九郎が声をかければ望美は普通に返事をし、ごく自然に会話が続いていく。しかもそんな時、何故だか望美は妙に機嫌がいいようで、今までなら突っかかっては言い合いになっていたような場面でも、はいはいと軽く受け流すような態度を取るようになった。 喧嘩ではないものの、どうにも不可解で仕方が無い。 望美が奇妙な応対をするようになってから十日後、ようやく九郎は意を決して、望美に正面から問いただそうとした。 「望美、少し話がある」 「え? あ、これから朔と出かける約束があるんで、その後でいいですか?」 先約があるのなら、そちらを優先させるべきだ。別に自分の用事が一刻を争うという訳でもなく、望美だって話自体を突っぱねている訳ではないのだから。 そう分かっている。分かっているのに。 ───今すぐ彼女の時間が欲しいと、思った。 「手間は取らせないから、今、話がしたい」 その言葉が口をすべり落ちてから、頑是無い童ではないのに自分は一体何を、と九郎の困惑は強くなる。 望美は少し首をかしげると、こくりと頷いた。 理不尽な要求に応えてくれることが有り難く、彼女の中で自分は少しでも特別な位置に置かれているのだろうか、と思う。 どうしてそう考えるだけのことが、こんなにも胸を騒がせるのだろう。 「その……お前、このところ、俺を無視していないか?」 「してませんよ」 即答である。こうもはっきり否定されてしまえば、九郎としても二の句は継ぎづらい。 実際、口もきかない訳ではないのだから、望美の言い分は正しかった。 「だが───」 どういう言葉を選べばいいのか分からない。 お前の姿を見かけるたび、また『その場にいないが如き扱い』を受けるのかと思うと、何か機嫌を損ねることを仕出かしてしまったのかと思い悩む。 お前の声で呼びかけてほしい。 以前のように、お前から───俺を呼んで、ほしい。 「…………」 九郎の脳裏で、何かが、ふと引っかかった。 望美はそんな九郎を見上げると、にっこりと笑う。 「無視はしてないけど、私から声をかけるのはやめてました」 「───何故だ?」 「九郎さんも感じたんじゃないんですか? こうしてわざわざ私に直談判するくらいだもの」 見つけて。呼びかけて。 好きな人からそうされるのは、格別嬉しいものだから。 自分ばかりが追いかけていると、不安になってしまうから。 「……お前の言うことはよく分からん。謎かけは好かない」 「じゃあ、分かるまで考えててください」 この答えは、人から教えてもらうのじゃ意味がない。 望美はもう一度笑うと、朔を待たせちゃう、と歩き出した。さすがに九郎も引き止める訳にはいかず、その後姿を所在なげに見送る。 ふと、望美が振り返った。 「ヒント! 私ばっかり好きみたいで、ズルいじゃないですか!」 望美の姿が回廊を曲がって消えた後、九郎はぽつりと呟いた。 「……ひんと、とはなんだ?」
了 |
**ひとこと**
10000Hit御礼の九望SSです。事前アンケート1位は【じれったい】でした…さすがヘタレ御曹司ですね。
じれったいというと切ない要素とか悲恋要素が次々と湧いてきたんですが、いやいや御礼でそれはマズかろうと自粛。
結果、ほのぼのとじれったいの中間みたいなノリになりました。じれったいというよりは、鈍い。九郎が。
アンケートにお答えくださった方々、及びご訪問いただいた方々に、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました!
現在はフリー配布は終了しております。