遙か3の九望であれこれ+α
シリーズタイトルは「Must not kiss of Lovers キスを嫌がるシチュエーション」でした。
叩いてくださった皆様、本当にありがとうございました!
そして超放置しすぎててすみません土下座。(掲載期間一年以上)
| Case.1 喧嘩中 その手には誤魔化されないんだから。 痴話喧嘩というのは厄介である。 そもそも無闇に争うのは疲れるものだし、『みんななかよく』など、集団の和を尊ぶ日本においては幼稚園や小学校低学年の標語レベルである。増して相手が自分にとって特別に大切な存在であるのなら、親しみくつろげる雰囲気を維持したいと思いこそすれ、それをぶち壊すような真似は歓迎したくない事態の筈である。 第三者にも理解できるような理由のある争いならば、仲裁の余地がない訳ではない。しかしこの類の争いに、そんな理詰めの要素を求めても無駄である。よって、それを仲裁しようなどという勇者―――あるいは愚者は誰もいないのだった。 その仲裁は確実に、無意味な徒労なのだから。 「おい、望美」 その声に、その名を持つ少女は相手を見るどころか完全にそっぽを向いた。彼女がこうして毛を逆立てた猫のような態度を取ることは、決して珍しいことではない。現在彼女の傍で困惑しつくしている朴念仁相手に限定するならば───という但し書きがつくが。 背けられた薄い肩を無為に眺めながら、九郎はほとほと困り果てていた。 別に彼は望美を怒らせたい訳でもなければ、口論したい訳でもない。しかし事実として、何かの弾みが予測不能の方向へ転がってしまうことは、不本意ながらよくある話だった。望美とこうして諍いを起こすのは、大体において九郎が配慮の足りないことを言い、望美がそれを早とちりすることがもっぱらの原因である。思い込みの強さと意地の張り合いが最大の理由なのだろうが、それを無理に押さえ込んだところで、それは己の求める彼女ではないし、彼女の求める己でもないのだろう。第一、そんな無理が長続きする訳もない。 では、媚びず偽らず、彼女の機嫌をどうにか元に戻すには、何を為せばよいのだろうか。 九郎は反芻する。望美が今まで口にしてきたこと、ねだられてきたこと。たった今言われたばかりの、愛らしい声がかたどる不満。 『九郎さんは私のことなんて、ほんとはどうでもいいんでしょう』 すっと、細い肩に大きな掌がかかった。 「───!?」 ぐいと力で引き寄せ、抗議のためか咄嗟にこちらを振り向いて薄っすらと開かれた───恐らく文句を紡ぎだそうとしていた───淡い朱を、同じものでそっと覆った。今までにも幾度か我慢しきれずに触れたことはあったが、こんなふうに唐突に重ねたことはなかった。そのためだろうか、間近にある翠の瞳が大きく見張られるのを、綺麗だとぼんやり感じていた。 そんな煩悩を一瞬にして中断させた、唇の痛み。 「…………っつ!」 思わず離せば、至近距離から鋭い視線と罵声を射込まれる。 「それで誤魔化そうなんてずるい! 九郎さん、私の言ったこと、まだ分かってない!!」 「…………」 望美が何にそれほど腹を立てているのか、その理由が未だに理解できていないのは事実だったので、九郎は返す言葉もなかった。 ひとまずこの痴話喧嘩において、口封じは有効な手段ではなかったようである。 (びっくりして一瞬流されかけたなんて、絶対言ってやんない) ***** Case.2 お酒 酒は呑んでも呑まれるな、っていうでしょ。 高館の中で九郎に割り当てられた居室を時折訪れるようになった望美は、その夜、珍しい光景を見つけて一瞬立ちすくんだ。声をかけようかどうしようか、思いあぐねている間に九郎が視線を向ける。どうした入らないのか、と物柔らかな声に促されて、望美はおずおずと室内に足を踏み入れた。 「……お酒、呑んでたんだ」 「ん? ああ」 「ひとりで?」 「ああ」 言葉少なに答えながら、九郎は手酌を繰り返しつつ、白銀の庭を眺めていた。それはとても静かで穏やかで、そしてどこか寂しい光景であるように、望美には思えた。 九郎がこんなふうに酒を呑んでいる姿を、望美は今までにも幾度か目にしたことはあった。宴などでは多くの雲上人や将兵と酒を酌み交わす機会もあっただろう、けれどそれを望美が見たことはない。彼女が見た九郎の飲酒の姿は、いつも仲間の内輪での場においてだった。気心の知れた者同士で交わす、裏も駆け引きも気にしない杯。常に寄りがちな眉根がゆるくほどけて、とても楽しそうに笑っていた。 ───今はもう、遠く道を分かった人も、そこにいた。 「座らないのか?」 「……うん」 望美は九郎のすぐ脇に、ぺたりと寄り添って腰を落とした。杯を持っている九郎の左腕に身を寄せ、頭を広い肩にもたせかける。九郎は首を傾げたようだったが、その重みとぬくもりを振り払おうとはしなかった。 「寒いね」 「冬のさなかだからな」 「だからお酒、呑んでるの?」 「……ああ、確かにな。酒で温まるという手もあるか」 九郎が寒々しいのはからだではなく、きっとこころのほうなのだと望美は思う。 寒いことを忘れたくて、たった一人で杯を重ねる。 なんて寂しい紛らわせかた。 「───私がいるよ」 「望美?」 「私がずっと、九郎さんのそばにいるから。それだけじゃ、だめ?」 見上げた九郎の瞳が、不意にふわりと微笑んだ光景を、望美は見つめていた。 やがてその瞳がゆっくりと───近づいてくる。いつの間にか、こちらの頬に添えられるように伸ばされていた掌。 「……望美……」 つん、と酒の匂いが望美の鼻についた。 「…………っ?」 重なる寸前で制してきた小さな掌に、九郎は幾度か瞬いた。 神子はむくれた表情で、しかし頬の血色だけはやたらと良いように感じる。 「……酔っ払ってる初めてなんて、やです」 (万一、朝には忘れられてたなんて、絶対イヤ) ***** Case.3 怪我 不可抗力なんだもん、こればっかりは。 抱き締めることは嫌がらない。頬への軽い接吻も、嬉しそうに微笑む。 けれどここ数日、唇を重ね合わせることだけは、望美は頑なに拒むのだった。その理由など九郎にはさっぱり分からない。立腹したり愛想を尽かされているのなら、そもそも抱擁の時点で拒否反応があってもいい筈で、しかしそんな気配はまったくない。 嫌われていなければいいのだ―――とは九郎も思うのだが、実際問題として、それ以上の行動を起こせないのは厄介だった。何しろ雰囲気というものを即座にぶち壊す能力ばかりに長け、互いに口を開けば喧嘩に発展する確率がいまだ半々という状況。それでも強引に言葉を封じてしまえば、彼女は時折こちらに流されてくれることもあるのに。 もしやそういった男の事情を見抜かれて怒っているのではないか、とも考えるのだが、望美に限ってそれはないと思う。今までさんざん彼女に『鈍い』と非難され続けてきたが、九郎に言わせれば望美のほうこそ今までよくまあ事もなく過ごしてきたな、と感心するほど鈍感で無防備だ。もちろんその功は望美本人ではなく、彼女を影に日向に護ってきた隣家の兄弟二名に帰せられるべきものである。 ともあれ、九郎にとっての関門は厳然とそこに立ちはだかるのだった。 腕の中に収める、そこまでは大丈夫だ。問題はそこから先。 「……望美」 名を呼んで顎を掬い上げれば、望美はふいと顔を振ってそれを拒んだ。ここ数日に見慣れてしまったその仕草は、痛みとなって九郎の内側をつきりと差して回る。 「俺は、何かお前を怒らせたのか?」 口数も少なくなった。今までは放っておいても立て板に水のごとく囀っていたのに。 口論の回数が減ったのは、望美の口数がめっきり減ってしまったからだ。 「不満があるなら教えてくれ。言われないと、俺はまだ分からんらしい」 望美はふるふると首を横に振った。そのままぽすんと九郎の胸元に頭を埋めてくる。甘えているのだとはっきり分かる仕草、だからこそ唇だけを拒絶される理由が分からない。 「望美……」 困ったように呼ぶ声音に、望美は内心でやや複雑な感情を持て余す。 九郎が自分のことを真剣に考えてくれている。理由を告げないままなのは申し訳ない気もするのだが、こんなふうにぎゅっと抱き締めてもらっているのは心地よい。普段はいつの間にかなし崩し的に、そこをすっ飛ばしてその先へもつれ込んでしまうことも多いから。穏やかに互いの温度を確かめ合う時間が図らずももたらされている、それが嬉しいのも確かなのだ。 「何か言ってくれ、望美」 拘束する九郎の腕がきゅうっと締まった。 そんなに力いっぱいハグされたらますます喋れないじゃない、と思うそばから、望美の頬はゆるんでいく。 優しくて可愛い九郎さんに免じて、このへんで許してあげようかな。 「……あのね、九郎さん」 「なんだ」 「私ね、この前ちょっと口の中を噛んじゃって」 「…………は?」 「喋るのもまだ痛くって。だからちょっと、キスするのはやだなあって」 「……………………」 深々とした溜め息のあと、やがて望美の耳元に囁かれた『馬鹿かお前は』という声は、かつて聴いたことがないほど弱々しかった。 (だってディープキスとか痛くて無理だし) ***** Case.4 微妙な空気 ……キスだけ、なら。 思いを伝え合っている相手と同じ寝床で眠る。それは十中八九、『眠る』だけではない。 男の人って頭の中はそればっかりなのかな、と望美は不思議にすら思う。今日は疲れたとか明日は早いとか、いろいろと考えて躊躇うことはないのだろうか。もっとも、個人差もあるだろうから、すべての男性がそうがっついているという訳でもないだろう。ただ、望美の相手に限って言えば、どうやらその疑いが濃厚のようだった。 「望美」 「いや。……キスだけ、ならいいけど」 そんなおあずけくらった犬みたいな目つきをしてもダメなんだから。望美は抱き寄せてきた九郎の胸板を両手で押し返し、ぷいと横を向いた。 別に喧嘩をしている訳ではないし、九郎の腕に身を任せるのが厭になった訳でもない。ただなんとなく、そういう気分になれない。昼に不慣れな細かいことを長時間していた日などは、何も考えずにゆっくりと眠りたいと思うことがある。ただそれだけの理由なのに、それが九郎にはどうも正確に伝わらないのだ。『何か怒っているのか』『俺はまた何かしたのか』の質問攻めに遭って、余計に疲れることになる。 今日はゆっくりしたいの。 それだけなのに、どうして分かってくれないのかな。 ぼんやりと考える望美の耳に、九郎の溜め息が響いた。 響いたと言うより、直接吹き込まれた。ぞわりと背筋が震える。犬や猫のように毛があったら間違いなく逆立っていた。 「ななななにやってんですか!?」 「くちづけただけだが」 返事は耳の中に直接響いた。耳朶を食まれ耳殻を濡れた熱になぞられ、ぬるりとした厚みのあるものが這い回る音が、からだの内側にびりびりと届く。 「くちづけなら、いいんだろう?」 「ちょ……っ!!」 九郎の言い分は正当だとは到底思えなかったが、明らかに間違いでもなかった。 望美は自分の失言を悔やみながら、せめてもの抵抗に空いている自分の唇を噛み締めて、僅かでも声を殺そうと躍起になるしかないのだった。 その儚い抵抗が潰え、少女が切ない吐息をこぼすまで、あと僅か。 (犬と狼は先祖が同じなんだっけ) ***** Case.5 嫉妬 そりゃあもう驚いたのなんのって。 「……ずるい」 ぽつりと呟かれた望美の声に、九郎は首を傾げた。 そんな反応を意識する様子もなく、望美はティーカップに視線を落としたまま何やらむくれている。何がずるいのだろう、茶は同じものを飲んでいる筈なのだが。もしや自分の飲んでいるほうが美味そうに見えたのだろうか、と九郎は相変わらず的外れなことを考えていた。 「交換するか?」 ほら、とカップを差し出してみると、望美はやっと瞳を上げてくれた。 「……なんでそうなるんですか」 「だがお前、ずるいと言っただろう」 「ええずるいですよ九郎さん、なんであんなウブすぎる反応するくせに、キスはやたら慣れてる感じなんですか」 「は?」 目を丸くした九郎を見やり、望美は深々と溜め息をついた。 九郎が大層奥手なことはいやというほど知っている。だから自分が積極的に押していくくらいじゃないと駄目なんだろうな───と思い込んでいた望美にとって、ファーストキスは衝撃の一言に尽きた。そりゃあそうだろう、手を握ることすら真っ赤になる人が、重ねた途端に濃厚なキスを仕掛けてくるなんて、一体誰が予測するだろうか。今までずっと、恋愛面では九郎の優位に立っていると思っていた。それが一瞬にして崩れ去ったあの衝撃。 いや、この際、望美の衝撃はどうでもいい。問題はそこまで経験を積んでいるということである、この恋愛不全症とでも呼んでやりたいくらいの朴念仁が。いつ、誰と、どこで。九郎だって恋人の一人や二人いたのかもしれないし、あの世界での立場を考えれば、そういうお誘いが山とあったのかもしれない。 けれどそれを面白く思える筈がないのも、望美としては無理のないことだった。 なんでそんなに慣れてるの? 今までいっぱい、女の人と遊んできたんだ。 ……ううん、遊んできたなんて言い方は失礼だよね。あなたはいつだって、何にでも本気で真正面から向き合う人だから。 だから余計にもやもやしちゃうんだ……。 私はあなたの昔の恋人と比べて、どうなのかなって。 いつの間にか再度ティーカップに落ちていた望美の視界に、ふ、と影が差した。 「お前、また妙なことを先走っているだろう」 すっと額に触れた熱。 耳の脇に添えられた大きな掌が、くしゃりと望美の髪を掴むように撫ぜる。 「心底いとおしいと思えば、手順など知らなくとも深くなるさ」 寄せた額の触れ合うこつんという音がした。 ごくごく近い距離の、見交わす視線。 「───本能だからな」 そして何を言う間もなく、望美の言葉は奪われてしまうのだった。 (やっぱりずるいと思う) ***** Case.Another おそと だからもう少し学んでくれ。 「九郎さんのけち! 意気地なし!!」 そんな叫びと共に望美の背が遠ざかっていくのを無為に見送るのも、もはや何度目になるのか数えることはやめた。あいつの要求にどうあっても応えられない以上、安易に追いかけてその場限りの口約束をしてやることはできない。だから俺も、この話題で決裂した時だけは、どうにも望美としばらく距離を置く以外の方法が見つからない。 大体、あいつの要求に問題がある。戸外で接吻をねだるなど。 確かにあいつがねだる場所は、人前ではないかもしれない。もしくは周囲に他人がいても、俺たちが何をしているのかは分かりづらいような状況なのかもしれない。 だがな、戸外は戸外だ。そんな場所で接吻などできるか。 そこで男が止まれる訳がないだろうに。 あいつは俺のことを鈍いと言う。あいつ以外の相手からも今まで散々言われてきたから、確かに俺はそういった機微に敏いほうではないのだろうと思う。 だが俺に言わせてもらえば、あいつの鈍さも相当だと思う。よくあれで今まで妙な男にどうこうされなかったものだ……とそこまで考えたところで将臣と譲の存在に行き着いた。つまり望美自身の配慮や注意というものは皆無だということか。ますますもって度し難い。 「……まったく、少しはこちらの身になってくれ」 ほとほと肩を落としたい気分で、俺は足を向けた。 さて今度はなんと言い訳したものやら、と思い巡らせながら、望美が駆け去った方角へ。 (唇を許すことは肌を許すことと同義なんだぞ) |