2006.08.19-2006.11.01のWeb拍手御礼

遙か3の九望で抜粋任意のお題10個
シリーズタイトルは「たったひとつのあいのうた。」でした。テーマは無印。
叩いてくださった皆様、本当にありがとうございました!

お題配布サイトさま【憂星】

 

ないものねだり

 ふと、目が覚めた。
 しんと冷えた空気、松明のはぜる音、吸い込まれそうな夜空に浮かぶ星はどこまでも澄んでいて、眠りに落ちる前と寸分も変わっていない光景が、そこにはあった。

 ───合わせた背からぬくもりを分けてくれるひとの、存在も。

「…………っふ、」

 だから望美の心は一層痛めつけられた。
 全部全部、夢ならば良かったのに。目覚めたらいつもの京邸だったら良かったのに。怖い夢を見たの、嫌な夢を見たのと、朔に泣きついて忘れることができたのに。
 きっと彼女は優しく甘やかしてくれる、しょうがない人ねと言って、いつもの穏やかな微笑みをくれる。白龍はきっと、神子の気が乱れているよと頭を撫でてくれる。みんなが私のそばにいて、みんなが笑っていて。
 誰ひとり、欠けることなく。

 ───だれ、ひとり。

「……っ、…………」

 背後の温度が、ふと動いた。けれどその時の望美には、そんなことはどうでもよかった。
 私のせいで。私のせいで、先生が。この戦が。源氏の、負けが。

「無理に声を咬むな。傷に障る」

 ばさりと布地にくるまれるのを感じた瞬間、その布ごとそっと引き寄せられた。
 鋭利な線を描く鎧は、金属なのに、頬を寄せればあたたかかった。それは着けているひとのぬくもりを吸っているだけだったのだろうが、望美には生命そのものの温度のように思えた。

「───俺は何も聴いてない。余所にも聴こえない」

 ぽんぽん、と後頭部に軽く掌を当てられた。
 あたたかかった。

 生きて、いた。

 九郎に被せられた大紋の裾を咬みしめて必死に嗚咽を殺しながら、望美はこの世界に紛れ込んでから初めて、強くつよく、血を吐くほどに願った。

 ───闘い抜くための力が欲しい、と。


(福原敗戦)

*****

この声はもう届かないけど

 それは刹那の時だったはずなのに、いやにゆっくりと、意識に刻み込まれた。
 焼け落ち、みしりと音を立ててくる梁。真下にいる神子は気づかない。どこもかしこも炎に包まれて、幾度も戦火を潜り抜けた嗅覚は、それが人為的な原因───油を撒かれているせいだと悟る。ならば何処へも逃れようがない、よしんば逃れたとて刃の切先が待ち構えているだろう。この場が終焉になることに変わりはない。
 そう分かっていた。戦場に生きてきた者として。

 それでも、この娘だけは。

「───望美っ!!」

 手加減をしてやれる状況ではなかった。思い切り身体ごとぶつかって突き飛ばすと、小柄な少女は悲鳴を上げて吹き飛んだ。それでもその先に彼女の神が立っていなければ、九郎はそんな賭けには出なかった。
 一瞬の目測どおり、神が己の神子を受け止める。
 それを視界に映し、僅かに安堵した。

 そして。

「──────っぐ、ぁ……っ!!」

 まず知覚したのは、ひどく重いものに背を殴打される衝撃。
 次いで炎を押し当てられた皮膚がじゅうと煙を上げ、胸の悪くなるような異臭を放つ。意識のすべてが一気に霞み、煙にまかれた視界が更にぼやけていく。苦痛だけがはっきりと思考を侵食し、己の最期を悟った。
 それでも。
 それでも、いい。

 彼女がこんな無残な最期を迎えるよりは、ずっと。

「九郎さんっ……!?」

 ああ。不思議だな、望美。
 もう俺には何も見えない、何も聴こえない。
 なのにお前の声だけは───こんなにはっきりと、心に響く。

「九郎さん! 九郎さんっ!!」

「神子……駄目だ、近づいては」

「白龍! 離してっ、九郎さんが、私のせいで九郎さんがっ!!」

「神子───もう、九郎は……」

 そう、だな。
 もういいんだ、望美。
 お前をせめて護りたかった。それが先生へのせめてもの償いだと思った。叶うことならば無事にお前の世界へ帰してやりたかった。俺が不甲斐ないせいで、そうしてやれないこと……済まなく思う。
 望美。お前が気に病むことなど、何もないんだ。お前だって一応は女なのだから、火傷など負ったら大変だろう。
 望美。泣かなくていい。無理とは知っているが、願わくば、生き延びてくれ。

 望美。
 のぞみ。

 ───のぞ、み。


(炎の京)

*****

戻らない日々より消せない記憶

 どん、と背に衝撃を受けて、九郎は咄嗟に身を強張らせた。

「…………」

 視線を下に降ろせば、自分の腰にかきついている桃色の小袖。鎧越しだというのにその甘いぬくもりは、ふわりと全身を包み込むように、余すところなくそのやわらかさを伝える。

「……おい」

「…………」

 こいつは自分が女人だという自覚があるのだろうか、と九郎は思った。
 大声を上げての口論などしょっちゅうで、そういう時は自分も、相手が女性だなどということを忘れている。場合によっては望美が自分を張り倒すようなことさえあり、彼女との口論に臨む九郎の気構えはもはや果たし合いに近い。
 けれど、こんなふうに。
 背を向けた、その瞬間。

 ───身も世もなく縋りついてくることが、ある。

「望美」

「だめなんです」

 ぎゅ、と。
 小袖から覗く白い掌に、力がこもる。

「負けちゃ、だめなんです。誰かが死ぬのはいやなんです」

「……それは、そうだろう」

 別に今更望美に言われるまでもないことだった。
 戦をする以上は勝たねばならない。それが九郎の、『鎌倉名代九郎義経』の存在している意味そのものであるはずだった。

「いやなの。……いや」

「望美……?」

 頑是無い童のようにただ厭だと繰り返す少女の名を呼び、男の掌はしばらく躊躇った末に、震える相手の手をそっと取った。
 その小ささもやわらかさもすべてが、背に顔を埋めている望美が、紛れもなく己よりか弱い女という生きものなのだと主張していた。

「───死なないで」


(亡くした過去)

*****

穏やかに舞い散れ

 その空間に、音はなかった。

 男の手には刀、娘の手には扇があった。相対するように、または揃って対のように、彼らの動きは取りとめもなく続いているようで、なのに根底では調和していた。
 示し合わせた訳ではない。ただ己の身体が動くままに任せているだけ。

 ───それでも調和は崩れない。

 幻のようだ、と男は思った。
 刃を打ち合わせるでなく、扇を手にした娘を前に、その舞の中に己が迎えられて、共に興じる。みやびごとなど縁遠いものだと思っていたのに、娘のひとさしが傍らに在ることを感じるだけで、何故か困惑もなく動きが読めた。

 夢のようだ、と娘は思った。
 猛々しく勇ましく刀を振るう男の顔ならば、幾度も見た。なのに同じ刀を手にしていて、今の男の表情はどうだろう。満たされて穏やかな、そんな顔だってできるのだ、彼は自分で認めようとはしないけれど。

 男が不意に、仕掛けた。
 娘はそれをふわりとかわし、扇を僅かにかざして見せる。
 互いの衣の袖が行き交わされ、秋の木漏れ日に浮かび上がった。

 男は願う。
 どうか娘の心のままに、のびやかな心のままに、すべてが在るようにと。

 娘は願う。
 どうか男の穏やかな笑みが、いつも浮かべられる運命が来るようにと。

「───!」

 どれほど続けていたのだろうか。
 いつまでもこうして続けていたいと想うのはどちらも同じだったが、疲労が積み重なったのだろう、娘が咄嗟に足をもつれさせてよろめいた。男は躊躇いもなく刀を───男が何よりも誇りに思っているはずの刀を放り捨て、空いた腕に華奢な身体を受け止めた。

「…………」

 娘はそっと、抱き寄せられた胸元に頬をすり寄せ、瞳を閉じた。
 男はそっと、さらめく髪に顔を埋め、立ち昇る薫りに酔いしれた。
 紅葉の舞う中、彼らの姿は一対の絵のようだった。

 その空間に、音は必要なかった。


(紅葉の吉野)

*****

最後の嘘は何よりも優しく

「行け」

 許してくれ。

「俺は大丈夫だ」

 許してくれ、望美。

「お前が兄上にその書状を渡してくれれば」

 渡してくれれば───お前はここから離れて、仲間の元へ戻れる。追っ手がかけられるのは必定だろうが、あいつらならばきっと、お前を護って落ち延びていける。
 だから何度でも繰り返そう。お前がここを離れていけるように。

 この上なく残酷な……優しい、嘘を。

「きっと───誤解は解ける」

 だから、望美。

「……っゃ、いやです……!」

「望美……」

「こんなとこに九郎さんを置いていけるわけない! いやですそんなの、なんで!?」

 怒っているのか。ならばもっと、いつものように威勢良く俺を怒鳴りつけてくれ。
 そんな涙混じりの顔で声で、俺を見つめないでくれ。

「…………っ」

 込み上げる熱を必死で呑み下すのに手一杯で、俺は何も言えなかった。
 望美。
 望美。

 ───許せ、望美。

 重ねていた手を振りほどき、寄せていた額をぐいと押しつけ、腕を届くところまで必死に伸ばし、髪ごと鷲掴んで引き寄せて。

「───んぅっ」

 ずっと焦がれていたそれは、ひどく甘く、やわらかかった。
 思えば俺は何度もお前と衝突してきたな。何度お前を傷つけてきたことか、自分でも覚えていない。でも、それでも今よりはきっと、ましだ。このままではお前までも否応なしに巻き込んでしまう。
 それだけは。

 咬みつきそうになるのをどうにかこらえ、そっと啄ばんで、離した。

「く……九郎、さん……」

「行ってくれ」

 さあ。
 最後の、嘘を。

「───大丈夫、だから……」


(腰越)

*****

鮮やかな傷跡

 この戦に臨むのは、三度目。
 この場所に立つのは、二度目。

 望美は前方を見据えた。急峻という言葉がこれほど似合う場所もない、鋭く切り立った山肌は崖と呼んで差し支えなかった。ざわめきともどよめきともつかないものが周囲の兵たちの口から発せられる。
 それを諫めるでもなく、じっと自分の背を射ている九郎の視線。

「勝てます」

 振り返り、望美は告げる。
 この言葉を口にするのは、二度目。

「ここから奇襲したら絶対に勝てる。九郎さん、どうする?」

 挑みかかるようにも見える望美の姿に、九郎はゆっくりと瞬いた。

「……お前、」

「私の言葉、信じますか?」

 その言い方は卑怯だ、と九郎は思う。
 己自身に関してであれば、一度仲間と認めた相手を無用に疑うことなどしない。それは将としての資質云々以前に、彼の気質の問題だった。
 けれど今は戦時。己は総大将であり、戦の趨勢と無数の命を背負っている。

 望美がふっと微笑んだ。
 鮮やかに美しい、そして鋭い痛みを秘めた色だった。

「───私を信じて、くれますか……?」

 信じてくれなければ、あなたは死ぬの。
 あなたが信じてきたお兄さんの命令で、あなたは死ぬの。
 死んでしまうの。

「…………」

 九郎は無言のまま歩み寄り、望美の目じりに静かに指を這わせた。その時になってようやく、望美は自分が涙をこぼしていたことを知った。
 真っ直ぐに見交わした、互いの瞳。
 欺瞞など一切含まれない、そこにあるのはただ、凛とした意思。この娘の瞳の美しさに賭けて、それは神託に等しかった。

 大きく息を吸い込み、よく通る声で、九郎は告げた。

「───信じよう」


(三度目の福原)

*****

鈍い痛みと下手な言い訳

 心というのはどうして、自分のものでさえ意のままにならないのだろう。
 今までのようにそばにいて顔を見て声を聴いていたい。そう願うのと同じくらい、近づきたくなかったし顔を合わせられず話しかけられることを極度に恐れた。
 相反する心が、ずくんと疼く。
 喪った時のような鮮烈すぎる痛みではなかったが、錆びた鋸刃でぐちゃぐちゃになった傷口のように、じくじくと沁みて治るどころか悪化する痛みは、望美の手に余るものだった。

「望美」

 ほら、名前を呼ばれるそれだけで、こんなにもびくりと背がすくむ。
 折悪しくその場には他に誰もおらず、そんな逃げ場のない状況でわざわざ声をかけてくる九郎が、望美には恨めしかった。

「……はい。なんですか?」

 様子がおかしいことは隠しようもなかった。
 でも、それを本人から直接指摘されるのは、堪えられなかった。

 九郎は自分と目を合わせようとしないままの望美を見下ろし、小さく息を吐いた。
 どうやらよほどひどく怒らせてしまったらしい。約束を取りつけた側が急に反故にしたのだから、それも仕方の無いことだとは思う。だが、いつまでも沈んだままの彼女を見ているのは、こちらも気分がいいものではなかった。

「先日の外出の件だが───」

 瞬間、目に見えて少女の肩が跳ねた。
 思わず言葉を切った九郎の前で、俯いたまま、望美の声が絞り出される。

「き、気にしてませんから、本当にっ!」

「……だが、お前」

「いいんです、九郎さん忙しい人だもの。それじゃあ失礼しますっ」

 脇をすり抜けていく、その細腕を掴んで引き留めることもできた。
 けれど九郎はそうしなかった。あれほど怯えて震えている娘を、無理に引き留めていては、心にも無い乱暴な言葉をぶつけて一層傷つけてしまうかもしれなかった。

「───未熟、だな」

 己も、あの娘も。
 感情を繕うことが不得手で、うんざりするほど下手な言い訳しかできず。

 それでも、踏み込んではいけない領域が、ある。

 吹き抜けた風の冷たさに、九郎は肩をすくめて歩き出した。
 晩秋は駆け足で去り、じきに冬が訪れようとしていた。


(すれ違い)

*****

純愛なんて

 少なくとも私は清らかな神子なんかじゃないと思う。

「お、お、おま」

 盛大にうろたえて照れてるのが分かる。しがみついた九郎さんの身体の奥で、心臓がバクバク言ってるのもちゃんと伝わってる。私の背に回りかけた腕が、触れてもいいのか戸惑ったように上げては降ろされを繰り返してることも、全部知ってるの。
 それでも、ね。

「いやなら振り払ってください」

 それは半分以上……ううん、ほとんど全部、賭けだった。
 九郎さんが───今の九郎さんが私のことをどう思ってるのか、そんなこと私は知らない。
 私に分かってるのはただ、自分自身の気持ちだけ。

 ───あなたが好き。

 カチコチに固まってた九郎さんが、やがてふーっと大きく溜め息をついた。しがみついて半ば首にぶら下がっている状態の私を支えるように、くっと腕を回して持ち上げてくれる。
 見た目の上では一応、『抱き合ってる』と呼べる形に落ち着いたことに、私は自分が賭けに勝ったことを知った。

「……振り払う訳がないだろう」

「なんでですか」

「な───そこまで言わせる気か!?」

「言わせる気ですとも」

「だっ、大体お前こそどうなんだ! にょ、女人からこんな真似をして、慎みというものを」

 説教モードが発動しかけたけど、それを無視して私は言った。

「好きです」

「っ!!」

「見くびらないでください。九郎さんが好きじゃなきゃ、こんなことしてません」

 あなたが好きじゃなきゃ、こんなことしていない。
 遠くから眺めてそっと胸に秘めて、綺麗な笑顔で見送ることなんて、できっこない。そんな純愛ぶった真似ができるなら、最初からこんなめちゃくちゃな嫉妬なんて、してなかったよ。

「好き」

「望美……」

「大好き」

 首に回したままの腕に一層力を込めて、私は精一杯の背伸びをした。
 最期のあなたから貰ったくちづけを、今この瞬間の生きているあなたに返すために。


(屋島)

*****

私の分まで幸せに

「吉野山」

 願うことはなあに、と私の白い神様は言った。
 神子の願いならなんでも叶えるよ、と。

「峰の白雪」

 駄目な神子でごめんね。
 あなたのことを一番に考えてあげられなくて、ごめんね。

「踏み分けて」

 だって、もう。
 私の心には、たったひとりしかいないから。

「入りにし人の」

 神子であることより。
 女であることを選んでしまったから。

「あとぞ悲しき」

 あのひとのことを想うだけで、私の狭い心はいっぱいに溢れてしまうから。

「しづやしづ」

 ねえ、九郎さん。
 私の言葉をあなたが聞くのは、いつでしょう。

「しづのをだまき」

 その時にはきっと、私はいない。
 あなたのそばにはいないのでしょう。

「繰り返し」

 でも、それでもいいの。
 あなたが生きていつか幸せになれるなら、それでいいの。

「昔を今に」

 幸せに。
 ただそれだけを、いつまでもいつまでも願い続けるよ……。

「なすよしもがな───」


(舞殿)

*****

ありふれた言葉をください

「九郎さん」

「ん?」

「大好き」

「…………っ」

「ふふ」

「……笑うなっ」

「だって、真っ赤なんだもん、可愛い」

「…………」

「ひゃ!?」

「…………」

「……心臓の音、すごいですよ?」

「煩い」

「あったかぁい……」

「…………」

「うふふ」

「望美」

「はい?」

「───好き、だ」

 それはある休日の午後。
 恋人たちの間でひっきりなしに交わされる、ありふれた甘い囁き。


(ED後)

 

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