愛とイジメと祝福を

 

  Scene1. 朔が頼まれたこと

 朔が九郎に呼び止められたのは、そろそろ陽も落ちようかという折のことだった。
 望美たちが帰るために京の神泉苑を目指すのはいいとしても、朝夷奈の方角に抜けていたため、迂回して海から船で西を目指すという方針が固まったばかり。とにかく鎌倉に押さえられていない港まで出るのが先決である、という訳で、多少の強行軍は覚悟しなければならなかった。となると、野宿では身が持たなくなってくるので、危険を承知の上でも宿を取ることになっていた。
 白河の関を越えて北上し、ようやくヒノエの言う港が見えてきた、その日の夕刻。

「何でしょうか?」

 珍しいと言っていいことだった。九郎が自ら朔に話しかけてくる、というのは。
 朔の見るところ、九郎は女性というもの全般に対して、どう接したものかと持て余している節があった。少なくとも朔は九郎から、行軍を乱したなどの事由で咎められたことはあっても、怒鳴られたことや、まして言い合ったことなどない。なるほど女性というものは、男性に較べれば涙腺が緩いものだし腕力も体力も劣る。戦のことにしか能のない彼としては、一体どう扱えばいいのか分からなかったに違いない。
 九郎が自らをつくろわずに接する女性は、たったひとりだけだ。

「頼みがあるのだが」

「私に、でよろしいのでしょうか」

 朔はちらりと前方を気にしながら問い返す。
 仲間に囲まれて明るく笑う望美の姿が、そこにはあった。

「ああ、朔殿にしか頼めない」

 九郎は真剣な面持ちをしていた。自然と朔の表情も引き締まる。
 わずかな沈黙がその場に落ちて。

「───今宵の宿は、望美とは別室で休んでもらいたい」

 紡がれた言葉に、朔は一瞬瞳を見開き、次いでぱちぱちとまばたいた。

「…………」

「明日からしばらくは船旅になる。歩かねばならない距離は、短いだろう」

「…………」

「よろしいだろうか?」

「……はい、分かりました」

「かたじけない」

 にこりと笑んだ九郎が立ち去った後も、朔はしばらくその場に佇んでいた。
 どう言ったらいいのだろうか、こういう場合は。一応彼なりに気を遣っていると言うべきなのかもしれないが、そもそもわざわざ彼女をひとりにしろと要求する時点で、何を意図しているのかは丸分かりである。第一、彼自身はどうやって、あの妙な部分でかまびすしい男たちの集団から、余計な勘繰りを受けずに忍んでいくつもりなのだろうか。

「……望美、頑張ってね……」

 神に嫁した過去を持つ神子は、対である少女に向けてぽつりと呟いた。
 明日の朝はさぞ、大嵐が吹き荒れるだろう。九郎はともかく望美だけは何としても、その被害から自分が護らねば、と朔はかたく心に誓った。

 もちろんそれは、愛情あふれる嫌がらせの嵐。

 

 

  Scene2. 男部屋で企まれたこと

 夜半に微かに響く、衣擦れの音。それは八葉たちが休む大部屋の戸を開けて、そっと廊下へ滑り出ていった。はたり、と閉じる、小さな音。
 その足音が十分に遠ざかり、もはや聞こえなくなったところで。

「……バレバレすぎるんだけどさぁ」

「ま、奴にしちゃ、あれでもよくやってる方だろ」

 ヒノエのぼやきに将臣が笑って応じた。たった今出て行った男が、何処へ何をしに行くのか、分からない者はこの部屋にはいなかった。もしかしたら白龍はよく分かっていないのかも知れないが、神と神子は通じ合うそうだから、この後の望美が何を思っているのかは伝わるだろう。

「あけすけ過ぎて、突っ込む気にもならないね。あー、姫君もホント、悪趣味だぜ」

「あれだろ、わざわざ朔に頼んでたんだろ? 馬鹿丸出しだよなぁ」

「───兄さん、ヒノエ。煩いよ、寝つけないじゃないか」

 たまりかねた譲の声が割って入る。彼にしてみれば、ずっと抱いていた恋心がとうとう玉砕する瞬間に居合わせたとあって、歯噛みと慟哭を必死に押さえ込むので精一杯だった。その上こんな猥談もどきを聞かされるなんて、それこそ拷問である。

「いーじゃねーか、他に面白れえことなんてねーんだしよー」

「どこが面白いんだよ!」

 そりゃお前が失恋して百面相してんのが、という兄の心の声は、幸いなことに弟には通じなかったようだった。

「望美が無理にヤられてるなら、白龍が気づくだろ、平気だって」

「兄さんっっ!!!」

「譲の方がよっぽど煩いじゃん」

 くくっと笑ってヒノエが指摘する。譲はそれきり、むっつりと黙り込んだ。

「……ま、いいんじゃねーか? あいつがそれで幸せなら」

 将臣の一言は、その場全員の心理を簡潔に代弁していた。

 まったく、幸せになってほしいのだ、あの少女には。彼女がどれほどの苦難に堪え、どれほどの悲嘆に暮れ、それでも決して諦めなかったのか。だからこそ、今自分たちはここに居る。彼女を幸せにするのは彼女自身が選んだ相手だけ、あの不器用なほど真っ直ぐな男だけ。

 素直に祝福してやるのは、かなり悔しいけれど。

「そうだ思い出した、俺たちの世界じゃ、オイシイ風習があるんだぜ」

「へぇ……内容は?」

「花嫁と花婿が離れた隙を狙って、周りの野郎どもが花嫁にキスできるんだよ」

「兄さん、なにバカなこと言ってるんだよ!!」

「なんだよお前だって堂々とできんだぞ、オイシイじゃねえかよ」

「きす?」

「ああ、口づけ。ただし頬限定な」

「ふーん。頬ってのはちょっとつまらないけど、いいねそれ、乗った」

「───ヒノエ。神子にそのような悪ふざけは……」

「なんだったらお前もすれば?」

「わ、私は、そのような……っ」

 途端に騒がしくなりかけた部屋に、静かな声が響いた。

「ふふ。君たちは本当に悪趣味ですね」

 鶴の一声にも似たそれは、暗闇で発言者の顔は見えないのに、見慣れてしまったあの微妙に怖い笑顔をすぐさま連想させた。
 全員の声がぴたりと止む。

「……それじゃあんたの分も、オレが姫君にしといてやるよ」

 やがて応戦した甥っ子の不敵な言葉に、笑い含みの声は答えた。

「お気遣いは無用ですよ。僕もどうやら悪趣味なようですので」

 

 

  Scene3. 愛すべき者たちへ贈る騒動

「おやお帰りなさい、九郎」

 明け方になってから大部屋へ戻ると、妙に気配の怖い弁慶の笑顔に出迎えられて、九郎は思わず冷や汗を流した。単でそのまま忍んでいき、一夜を明かしたものだから、こちらに戻らないと装束がないのだから仕方ない。だがそれは手抜かりではなかったか、と、目の前にある旧友の笑顔は否応なしにそう思わせるものだった。
 ごくり、と唾をのむ。いいか、立ち合いは、怯んだらそこで既に負けだ。

「……あ、ああ」

「朝もまだ早いのに、どこへ行っていたんですか?」

 弁慶の容赦ない一撃は、初めから遠慮なしに急所を狙い済ましていた。

「っ」

 当然ながら『望美のところへ忍んでいったその帰りです』と正直に答えられるはずもなく、妙にうろたえ口ごもった挙句に、九郎は真っ赤になりながら怒鳴る。

「け、剣の鍛錬だ!!」

 ───単でかよ。しかも剣、ここに置きっぱなしでかよ。

 全員があまりのお粗末さにそう内心でツッコんだが、九郎本人は気づいていない。
 まあ今はここまでにしておいてやろう、と弁慶はうっそり笑った。
 この後に、もっと楽しい余興があるのだから。

 

「お、おはようございますー……」

 望美が朝餉の席に顔を出したのは、一番最後だった。まあいろいろと疲れていたせいもあって、明け方にとろとろ眠った後、うっかり寝過ごしてしまったのだ。それでも普段なら朔が起こしてくれるのだが、今日に限ってはそれはなかった。
 いつもよりもやや遅い時間。けれど仲間たちは全員揃って膳に手を着けず、望美を待っていてくれた。

 全員、揃って。

「───……」

 目がぱちりと合って、お互いにぱっと逸らす。気まずさと恥ずかしさは最大級だ。
 朔が務めて気軽に、座るよう促した。

「いただきます」

 全員で挨拶し、朝餉を取る。ときおり朔や白龍と会話を交わしながら、望美は何かがおかしい、と気づいた。なんだろう、と考えて、食卓を飛び交う会話のなさに行き当たる。
 こういう時こそ周囲のざわめきに紛らせてしまいたいのに、何故か男性陣は判を押したように、誰も何も話さない。

 先に限界を超えたのは、望美ではなく九郎だった。

「し、少々思い出したことがあるので、しばし席を外す!」

「あ、九郎さん……」

 立ち上がり、部屋を横切る後姿は、首筋まで真っ赤だ。望美もそれ以上はいたたまれなくなり、見送るのをやめて俯く。
 だから不穏当な空気に気づくのが遅れた。

「姫君?」

「───なに、ヒノエく」

 頬になにかが押しつけられた。自分の視界をかすめる、柔らかい赤毛。

「いない隙に、だろ?」

「…………!!??」

「ヒノエっ!!」

 譲の怒鳴り声が遠くで聞こえる。
 望美はあまりの不意打ちにかっちりと固まり、思考回路が働いていなかった。

「では僕からも、望美さん」

「──────!!」

 反対側の頬に、やはり柔らかな感触。

「ははっ、お前らさすがに手が早えなあー」

 譲くんがこんなこと言う訳ない。
 言うとしたら、面白がって吹き込むとしたら。これは、そう。

「───ま、さおみ、くんっっ!!」

 理解すると同時に硬直が解け、望美の手から白湯の入った湯のみが宙を舞った。

「っと! バカお前、ここ宿だぜ、汚すなよ」

「ばっ、ばかはどっちよ───! 余計なこと吹き込んで、大きなお世話っ!!」

「祝福だろうが。素直に受け取っとけ」

 なおも殴りかかった望美の腕をあっさりと掴み、将臣はニィと笑う。
 その顔がずいと近づき、自分の視界に影が差した。それを知覚した、その瞬間。

 

「やっ、やだやだ! 九郎、さん……!!」

 

 咄嗟に呼ばわったのは。
 たったひとりの、いとしいひとの名。

「───望美!?」

 悲鳴を聞きつけて飛び込んできた九郎の目に映った光景は、単細胞な彼を逆上させるに十分すぎるものだった。
 すぐさま駆け寄って望美を引き剥がし、自分の腕に閉じ込めて。
 力一杯に叫んだ、その言葉は。

 

「俺の妻になにをする、将臣!!」

 

 ───ああ言っちゃった……。

 常識を一応はわきまえた者たちが等しくそう思っている中、弁慶のとどめが炸裂した。

「おや、望美さんは君の許婚ではなかったでしょうか。いつから奥方に?」

 九郎はぴたりと固まった。当然、抱き寄せられた望美も。
 いつからですか。はい、つい昨日の夜からです。

「……ば、ば、ばかあああぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 大絶叫と共に、望美は九郎を全力で突き飛ばし、ばたばたと部屋を逃げ出した。

「───望美!!」

 慌ててそれを追う九郎を見やり、朔はゆっくりと立ち上がる。
 その手にひらめく、舞扇。

「───兄上、譲殿、敦盛殿、リズ先生、白龍。ちょっとどいていてください」

「さ、朔……その、なるべく、穏便にね?」

「努力はしてみますわ」

 これほど恐ろしい妹の笑顔を見るのは初めてだ、と景時は涙ながらに思った。

 

 しあわせにおなり。
 たくさんの祝福と感謝を、嫌がらせに隠して。
 私たちの大切な友人たちへ、愛を込めて。

 

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**反転コメンツ**
お題補完SS【つまどひ】のおまけ話で、冷やかしの傍観者たちにオモチャにされる九望。
このお題シリーズは一貫して激シリアスモードだったのに、最後の最後でギャグ落としにしてしまった…おおおぉぉ。
男部屋のシーンでは全員会話してはいませんが、当然みんなちゃんと起きててばっちり聞いてます(爆笑)。
ふと気づいた、リズ先生の食事時!? マスク、マスクどうなってるのマスク───!!