憂いの言の葉

 

   有川 譲

 屋島での戦いが始まった時、先輩の様子は落ち着いていた。最近までひどく落ち込んでいたから、俺はそれを見て少しだけほっとし、同時に唇を噛んだ。

 あなたの心を揺らすのは、もう、あの人だけなんですね。

 分かりきったことを繰り返す俺は、卑怯者だ。そんなことは知っている。
 告げなかった。俺はあなたに何ひとつ、自分の本音を告げてはいなかったのだ。だから先輩、あなたはこれからも、何も知らなくていいんです。

「ここから先は譲くんと別行動だって」

 行宮を攻落するためにも、総門を迅速に落とさなければならない。俺は正式には源氏軍ではないけれど、弓兵が多数必要とされる場合には、師に従って弓部隊へと加わっていることが多かった。
 先輩が俺を見た。俺を、真っ直ぐに。

「お願いね、譲くん。気をつけて」

 先輩は俺を真っ直ぐに見た。だから、俺も見返して、そうしてそれに気づいた。
 吹っ切れたように、でも何かをひどく思いつめたような、あなたの瞳に。

「犠牲なく勝てる戦いなんてないから。だから、一人でも多く、生き延びて」

「───はい」

 俺は、間違っていたのだろうか。
 あなたは何故、そんな痛々しい瞳をするんですか。
 あなたをあの人に任せようとしたのは、間違いだったんですか。

 立ちすくむ俺にもう一度、気をつけて、と口にして、あなたは戻っていく。
 誰か、この不安を打ち消してくれないだろうか。
 あなたが遠い。とても、遠い。

 ───生き延びて、と言ったあなたが、生を望んでいないように見えた。

 

 

   平 敦盛

 陰の力がこごっているのが分かる。それは私が人ならぬ身だから。
 壇ノ浦の海は蒼く穏やかに、しかしそれは仮初めの姿でしかないことは、荒れ狂う陰の力の存在がはっきりと主張している。神子と龍神の持つ陽の気さえ、この圧倒的な偏りの前には力を殺がれる。

 船べりから岸を見た。ここを最後に訪れたのは、いつの日のことだったろうか。
 平家が怨霊を操るのは大罪、それは重々承知している。けれどだからと言って、平家のすべての所業があやまちだとは、言わせない。私はそれを自身で証明したくて、神子に連れて行けと願ったのかもしれず、神子はそれを見抜いた上で、なおも私を仲間として許してくれたのかもしれなかった。

 海鳥の声が響く。翼のあるものを羨んでも、人は所詮、それには成り代われない。いや、誰であろうと、自分以外の存在には、成り代われない。
 神子、あなたは唯一のひと。私たちの要となり支えとなる、唯一の。あなたはあなた以外の誰でもなく、神子があなただからこそ、八葉という枠を超えて響き合うものがこの胸にあるのだと、どうしたら分かってもらえるだろう。
 私は海鳥の在りかを探そうと、上空に視界を巡らせた。逆光にしばし目がくらみ、それがおさまったとき、舳先に佇む神子と九郎殿を見た。

 ───言葉なく寄り添う二人の姿は、まるで絵巻物のようだと思った。

 いろあざやかに。いろうつくしく。
 哀しい結末であるほど胸に響く、と言いながら読み聞かせてくれた乳母の言葉は、この先の悲惨な戦いだけを暗示しているのだろうか。

 

 

   ヒノエ

 死ぬなこいつは、と思った。
 よりによって神子と敵対する還内府が八葉だったってのは、さすがにシャレにならない展開だったけどね。考えてみれば望美は別に、源氏でも平家でもない。同じ世界から一緒に来たっていうのなら、将臣だって譲だってそうだ。だからそれは、追求しても仕方ない。

 けど、九郎は別だろ。
 源氏の総大将が、鎌倉腰ぎんちゃくの見張ってる前で、敵の総大将を討たずにわざと逃がしただって? そりゃあお前、頼朝にどうぞ殺してくださいって言ってるのと同じだ。熊野の烏をなめないでほしいね、あんたが勝つたびに冷え切っていく鎌倉の態度、知らないとでも思ってたかい?
 あんたは信じてないのか、それとも信じたくないのか。

 ───あんたは弟だなんて、思われちゃいないぜ、九郎。

「今回のことは、すべて俺の判断だ。俺が責任を取る」

 つか、当然だろ、大将ってのは全部をひっかぶる立場なんだから。
 けど……ハッキリ言って、今回のことは話がデカすぎる。九郎が罰されるだけでなく、オレたちにも望美にも、捕縛の手が及ぶとしか思えない。
 嫌な勘ほどよく当たるってね。ほら、遠くの腰ぎんちゃくども、動き出したぜ。

 どうする気だい? 白龍の神子姫様。
 お前の選んだ男は、とんでもない大馬鹿野郎だぜ。だけど悔しいことに、どこまでも人の情を捨てられない、だからこそ眩しいまでに周囲を惹きつける男だ。

「……九郎さんのせいじゃない。将臣くんを殺されてたら、私、九郎さんを斬ってたよ」

 望美の声は静かに、海に散った。
 神託を告げる神子姫。できればお前の声でだけは、それは聞きたくなかったよ。

 

 

   白龍

 神子の姿が、人の視界からは見えなくなった、その瞬間。
 膝をついた。人の身すら支えられないほど、急激に力が抜けていった。

「……っくぅ、はっ……」

「白龍!?」

 うずくまった背に当てられる、かろく小さな、温かい掌。朔だ、と分かった。
 それはどうして、私の神子の手ではないのか?
 神子、神子、私の神子。あなたの心が泣いている。引きちぎられそうに泣いている。

「大丈夫、どこか怪我でも?」

 かぶりを振るのがやっとだった。言の葉など出てこない。声に、ならない。
 熱いものが溢れる。私の目から、溢れる。
 これは、なに。

「泣いているの、白龍……?」

 涙。これが、涙。
 神子、教えて。人はみなこんなにも、激しい想いをかかえて涙を流すのか。
 これは神子の痛み。神子の涙。神子の代わりに私に宿る、神子のこころの一端。

「……済まない」

 九郎の声がする。もう一度必死に、かぶりを振った。
 違う、違う。これは九郎の痛み。九郎の慟哭。
 九郎、痛いよ。あなたがそんなに静かだから、あなたのこころが代わりに私を嘆かせる。

 この涙は、この嘆きは、あなたたちのこころ。
 いたいよ。みこ。くろう。

 

 

   武蔵坊 弁慶

 鎌倉へ連行される船の中、僕たちは誰ひとりとして口をききませんでした。
 それも道理です。今回のことをある程度は予測していたとは言え、僕だってそんな気にはなれません。
 むしろ九郎が鎌倉殿に捕らえられたこと、それ自体はさほど打撃ではないのです。だってそれは予測できていたことですから。

 ───彼女が、僕たちから引き離されるとは、考えていなかった。

 甘いと言えばそれまでです。でもそれだけ、望美さんは僕たちをまとめる存在で。
 九郎にとって、決して失えない、なくてはならないひとだった。
 ……だからこそ、ですか。僕は本当に甘かった。
 鎌倉殿。あなたは本当に、九郎のすべてを叩き潰すおつもりなのですね。
 それは正しい。敵に勝ちたいなら、完膚なきまでに砕かなければならないのだから。

 押し込められた船室の窓から、外を睨み続ける九郎は、見知らぬ者のようでした。

 君を初めて見る思いがします。
 君はいつも兄上大事で、すべてが鎌倉を中心に回っていた。だからこそ僕は、そんな君に表立って意見するのを躊躇い、結果として敵の先制を許してしまった。
 でも、今の君に、それはない。
 望美さんが、彼女を想う君の気持ちが、君を変えた。

 九郎。望美さんを想うなら、覚悟を決めてください。
 君の敵は、平家なんかじゃない。
 君が誰より慕ってきた、頼朝公なんです。

 

 

   有川 将臣

 その知らせを聞いた時、ああやっぱりな、と思った。
 二年ばかしだったが、これでも一門の運命なんてデカいもんを背負って、あれこれと駆け引きしてきたんだぜ。少なくとも俺は、あいつらよりも冷静に、頼朝を見てきた。
 奴にとっては絶好の機会、絶好の口実。これを見逃すようなアホじゃねえ。
 それにな、望美。お前にゃピンとこないかもしれないが、こっちの世界で龍神の神子っつったら、そりゃあ大層な噂の尾ひれがつきまくってるんだぜ。そのお前が、軍才に長けた要注意人物と一緒に戦い抜いてきたとあっちゃ、これも頼朝にとっては目の上の瘤だ。

「───行かれるのでしょう」

 ぎょっと背後を振り返ると、尼御前が静かに微笑んでいた。

「……すみません」

 まったく、バカだあいつら。こんなデカすぎる借りを押しつけたままなんて。
 そうだ。俺はあいつらに大きな借りがある。それを返すまで、死なれる訳にはいかない。
 尼御前は頷き、俺に向かって深々と頭を下げた。

「将臣殿。平家のために今まで尽くしてくださったこと、不遜ながら清盛公に成り代わって御礼申し上げます」

「尼御前……」

「お行きください。我らはもう、十分です……」

「───俺こそ、今まで、ありがとうございました」

 さようなら。優しさを捨てきれなかった、消えゆく一族よ。
 俺は俺の大事なものを護りに行くから。
 護れるかどうかは分からない。救える力などないのかもしれない。

 でも、それでも。

 

 

   梶原 景時

 オレの手はね、これ以上ないってくらいに汚れてる。
 それでもこんなオレの手で、大事に想うものを掴めるんだろうか?

「俺を止めるのが役目なのだろう? 撃ってでも止めればいい」

 九郎。そうだね。それがオレの役目だよ。
 君も分かってるよね。役目だから何でも割り切ってやれるもんじゃないってこと。
 分かってるはずだ。君はそれを、望美ちゃんから教えてもらったはずだよ。

「どうした、撃たないのか?」

 オレを見る九郎の目は、こんな時でさえ、どこまでも澄んでいた。憎しみはなく、怒りすらなく、ただ強くオレを見ていた。
 オレは静かに銃を下ろす。

「景時……?」

 さようなら、母上。
 オレはもう、この純粋な魂を見捨てられない。それを救った少女を見捨てられない。

「───分かった。手を貸すよ、九郎」

 さようなら。さようなら。親不孝者のオレを許してください。
 オレの血塗れの手でも、欲してくれるひとがいる。救い出せる、力になる。
 冥府の先で逢えたら、その時は思い切り叱って、またオレを貴女の息子にしてください。

 オレは、手を差し出した。
 九郎が、頷いた。

 

 

   リズヴァーン

「荼吉尼天と融合していたか……!」

 神子がこくりと息を呑んだ。それを九郎が傍らで支える。
 神と戦う。神殺しと呼ぶのか、生き延びるためのやむを得ない仕儀か、いずれにしてもその事実は確かなものになりそうだった。
 空気が、大地が、ねじれて吠える。圧倒的なその力。

「───大丈夫だ。そばにいる」

 九郎がそう呟いたのが、私の耳に入った。
 一瞬驚き、そしてしっかりと頷いた神子は、それまでまとっていた憂いがすっきりと消え、本来の澄んだ瞳を取り戻していた。
 かたく繋がれた、手。
 お前が心を強く持てば、為し得ぬことなど何ひとつ無い。
 八葉が満ちている。お前がはぐくんできた絆は、常に私たちを導く。人の情は甘さかもしれず、しかしそれゆえに柔らかな光となる。

 互いの命を、想いを、すべてを───預けあう、私の愛弟子たちよ。

 誇りなさい、お前たちが探し当てたものを。
 信じなさい、互いの誓いを。

「神子、九郎、行くぞ」

「はい!」

「分かりました、先生!」

 

 

   梶原 朔

 私の声が、聞こえるかしら。
 私の祈りは、届いているかしら。

 あなたたちが去ってから、私を取り巻く世界はとても寂しく見える。
 可笑しいわね、私はもともと尼僧、静寂を好みこそすれ、寂しいと感じてしまうなんて。
 でも本当に……空気の色が、違って見えるの。

 あなたたちって本当に、見ているこちらがもどかしかったわ。いつも喧嘩をして、ぶつかり合って、それでも決して互いから離れない。それがどんなに素晴らしい奇跡か、どちらも分かってはいなかったようね。
 すれ違った想いは、行き場を失って寂しさを抱く。それがこごって、怨霊を生む。
 あんなに一途で眩しい想いがそうなってゆく様なんて、私はとても見ていられない、見たくないと、心の底から思っていたわ。
 だから本当に、嬉しいの。

 しあわせに。
 誰よりも幸せになってね、お願いよ。

 遠く隔たった時空の果てで、いつまででも祈り続けるから。

 

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**反転コメンツ**
お題vol.10前後の九望を、九望以外のメインキャラ視点で。屋島〜終章オムニバス。
屋島のオリジナル展開だけで3話消費しちゃったので、終盤の展開を全然書けなかったのが心残りでした。
なのでリベンジ。再度、メインキャラ全員にご登場願っての『他キャラ視点の九望』。
相変わらず場面ブツ切りですが、見守る側のそれぞれの気持ちを込めて。これにてお題補完は完結です、ありがとうございました!