想う、ということ

 

 幾百の、幾千のことばをつらねても、きっと語りつくせない。
 それだけの想いが今、苦しいほどに身体中を駆け巡って、息が詰まった。

 

 

 鎌倉の大路を、九郎は望美を抱えたまま疾走する。
 今は御家人と斬り合う時間すら惜しく、わらわらと追ってくる者たちを交わし、時には生垣を飛び越してやり過ごした。偶然入り込んだ廃屋には納屋があり、そこへ身を隠すことで、間近に迫っていた追っ手をひとまず撒くことにする。
 やっと、息をする感覚が戻ってきた。腕に抱く少女の他愛ない重みと共に。

「……くろう、さん」

 呆然と、望美は呟いた。
 なんてこと。あなたは、あなただけは、ここに来てはいけなかったのに。

「怪我はないか、望美」

 地面に降ろされて、ようやく自分の足で立つことを許されても。
 今の望美には到底、それだけの余裕はなく、九郎の支える腕に縋りついたままだった。
 頼朝に向けられたあの叫びは、一体どういうこと。

『ならば俺は源氏を捨てる』

『俺の許婚だけは、返してもらう』

 頼朝と敵対することが九郎にできるとは、望美は思わない。いつだってこのひとは、肉親の情愛を全身で求めていた。たとえ自分があの場でそのまま斬られていても、哀しみはすれど、彼に頼朝を恨むことはできまい。人質という枷がなくなれば、九郎は自由に逃げられたはず。
 それでよかったのに。よかった、はずなのに。

 ───嬉しいと思ってしまう私を、どうか許してください。

「望美?」

 訝しげにかけられた声を、俯いて聞いた。とても、顔を見る勇気はなかった。
 こころが、あふれ出してしまいそうで。

「……ありがとう、ございます。もう、大丈夫……」

 もう、十分。あなたの優しさは、もう十分、与えてもらったから。
 だからこれ以上、甘い誤解をさせないで。
 ぐ、と唇を咬んで、望美は濡れはじめた瞳を止めようと、瞬きを繰り返した。

「もう、いいから。別々の方向に逃げれば、少しでも追っ手、減らせます」

「───望美?」

「大事なひと、いるでしょ? 九郎さんが幸せにしなきゃいけない、ひとが」

「お前、何を言っているんだ?」

「私のことはもう大丈夫だから。だから、そのひとと、早く」

 九郎の声が段々と低くなっていったことに、余裕のない望美は気づかなかった。
 とにかく九郎だけでも、早く鎌倉から逃げてもらわなければ、こんな馬鹿げた危険を冒した意味すらなくなる。ここでぐずぐずと立ち止まっている訳にはいかない。

「逃げて」

 だから、望美にとっては、いきなりのことだった。
 きつく抱きしめられて、言葉を奪われたのは。

 

 

 九郎は面白くなかった。ありていに言えば怒っていた。激怒していたと言ってもいい。
 とにかく腹が立った。攫うように求めた少女は、自分の話をまったく聞いていない。
 その上、なにやら途方もなくずれた話を、やたら思いつめた表情で口にする。

 ───ふざけるな、と思った。

 自分があの場で何を詠ったのか、分かっていないのか。
 あれは、恋歌だ。
 この娘は衆目を憚らず、己の危険を顧みず、自分への想いを高らかに詠い上げた。なのに一転、今は何故か自分を拒もうとする。女心は分からんと常々思っていたが、ここまで不可解な仕打ちをされると、疑問よりむしろ腹が立つ。

 その想いに、震えるほどの歓喜を覚えたこの心を、捨てろと言うのか。

「っ───」

 板塀に抗う身体を押し付けて貪った。
 少女と交わす口づけはいつも、無理を強いてばかりだ、と思う。
 けれど、止めない。望美の心がどう在るのか、知ってしまえばもう止められない。

 背中に回りかけた小さな手は、しかし自分の袂を掴んで必死に押し返し、この期に及んでなおも拒もうとする。

「───お前を」

 唇は触れ合わせたまま、言葉を交わせるだけの隙間を許す。こぼれる言葉は激情をくっきりと浮き上がらせて、怯えさせたい訳ではないのだ、と必死に自分を戒めた。

「お前を手離せと言うのなら、いっそ死ねと言ってくれ」

「……くろ、さ……?」

「俺の顔を見たくないなら、いっそお前に斬られて果てる方がまだ幸せだ」

「な、なに言って……!」

「そばに、居たい」

 触れ合ったままの唇が、びくりと震えた。なんて愛しい、その柔らかさ。
 もう一度深く重ねて、名残惜しく顔を離す。望美は呆然と、迷子よりも心細げな顔をして、九郎をただ見上げた。

「───だって。だって九郎さんは、結婚したいひとが、いるんでしょ?」

「……は?」

「好きなひとがいるって、言ってたじゃない!」

 混乱の極みにある望美は、もはややけっぱちで叫んだ。追っ手を撒いている最中に大声を上げられ、九郎は慌てて掌を望美の口に押しつける。

「馬鹿、見つかるだろ。……だからお前、さっきから何を言ってるんだ」

 だいたい自分は、望美に伝えたはずだ。お前が好きだと。
 屋島の浜辺で、好きなひとがいるだろう、と叫んだ望美に、いる、と答えた。

「…………」

 はた、と九郎の動きが止まった。ついでに思考回路も停止した。
 いる、とは言った。言ったが。

 ───望美のことだと、言っていなかった……?

「…………ッ」

 今度は一転して真っ赤になっていく九郎に、望美もさすがに首をかしげる。

「九郎さん?」

 駄目だ。とてもではないが、顔を見られない。目を合わせたら羞恥で死にそうだ。
 咄嗟にそう判じた九郎の腕は、望美の身体を引き寄せてぎゅうと抱き込む。

「九郎さん!?」

「あれは……お前の、ことだ」

「───え」

 二人の脳裏に、あの夜のやり取りが蘇った。

 

『好きなひと、いるくせに』

『ああ、いる』

『それを言うのは、私にじゃないでしょう?』

『お前のそばに』

 

「…………」

 望美の頭にも、徐々に血が昇っていく。
 なんてこと。じゃあ自分たちは完全に、思い込みと思い違いで立ち往生していたのか。しかも何やら勢いに任せて、告白まがいのことまで何度か口にしたような気がする。

「わ、わたし……っ、あの、その、九郎さ、」

「───望美」

 ぎゅ、と。九郎の腕に力が加わって、望美は思わず言葉を途切らせた。

 

 

「俺はお前のそばに居たい。どこまでも共に在りたい」

「……九郎さん」

「だから、離れろなんて、言わないでくれ」

 見交わした、本当に久しぶりに胸のつかえもなく見交わした瞳。そこに浮かぶ複雑な色とこころは、互いの心に深く沁みた。
 甘いだけではない、幸せなだけではない。追い求めて、必死に手を伸ばして、血を吐くほどに苦しみ哀しんで、それでも諦められなかった、たったひとつの願い。
 たったひとりと決めた相手にだけ見せる、こころからの、真実。

 想う、ということの、そのぬくもり。

「───うん」

 

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**反転コメンツ**
お題vol.10直後で、やっとこさ神子が『九郎のお姫様の恋人』についての誤解を解くシーン。遅すぎやねん!
書いてみてつくづく一言、「このバカップルー!!」。九郎だけじゃないよ神子も鈍すぎるよこのシリーズ。
ところで逃亡中ですよ。のんびり告白ぶっちゃけタイムを満喫してていいのかお二人さん。
「好き」という言葉を九郎に言わせずに(ゲームで一度も言ってない)誤解を解くのにこだわりました。