あきらめない

 

 一番に想うものは捨てられない。
 だから捨てられる。一番じゃないものは全部、全部。
 何より欲しいと思うのは、お前の笑顔、お前のぬくもり。
 それを失うくらいなら、俺の負うべきものすべて、捨てても惜しいとは思わない。

 

「お嬢さん、大人しくしていてくださらないと、怪我をしますよ」

 政子さまが微笑む。望美の喉元に刃を突きつけたまま。
 望美の表情に恐れはなかったが、唇を引き結んでじっとこちらを眺めていた。
 なぜ。
 なぜあいつが捕らわれなくてはならない。
 還内府を討てなかったのは俺、兄上のご命令に背いたのは俺。あいつは何も関係ない、なのにどうして。

「……望美っ!」

 後頭部に当たる固い銃口の感触も、制止する弁慶の腕も、何もかも忘れて叫んだ。
 なぜ、ですか。
 俺を疎ましく思うのはともかく、なぜ俺以外の者まで巻き込むのですか。
 俺からすべてを奪い尽くさないと、あなたは満足できないのですか。

 ───兄上。

「九郎義経一味の捕縛、完了いたしました」

「そう。ご苦労様です」

 刃はすっと離れていった。躊躇いのないその動きは、絶対的な優位。
 それでもとにかく望美から凶器が遠ざかったことに、全身の緊張が僅かながら解ける。

「お嬢さんにはわたくしと共にいらしていただきますわ」

 その言葉は、その場にいた誰にとっても意外だった。
 俺にも望美にも、おそらくは鎌倉直属の御家人たちにとってさえ。俺たちを取り囲む人垣がざわつき、それでもあいつに危害が及ぶことを考えると、包囲を破ろうとは思えない。

「……どうして、わざわざあなたが?」

「それが鎌倉殿のお望みだからです」

 望美の問いかけに、政子さまが答えた、その御名。
 源氏の棟梁、俺の兄、武家を統べるべきかの人の尊い名を耳にして。

 初めて、憎いと思った。

「本当に、可愛らしい子たちですこと。あなたも、九郎も」

 政子さまは望美を見つめ、俺を振り返り、くすくすと声を立ててお笑いになった。
 それに答えた望美の声は、どこまでも凛とした響きで。

「あなたから見れば、そうかもしれません。でも、それでも、この気持ちを恥じたりはしない」

「まあ。わたくし、そんなつもりで申し上げたんじゃありませんわ」

 潮風が流れた。その先にいる、望美。
 俺の、俺だけの、比売神。
 やめてくれ。そんな顔をして、俺に語り掛けないでくれ。
 そんな、神託をくだすような、迷いのない瞳で。

「───九郎さん」

 それでも俺の目は、お前に吸い付いて離れない。
 やめてくれ。見たくない。そんな儚いお前の笑顔を見たくない。
 その表情はあまりにも、覚悟を決めた武士のそれに似すぎていた。

「死が二人を、分かつとも」

「…………っ!」

 その瞬間、望美は後ろ手に拘束されて、政子さまの船へと追い立てられていった。
 俺は何を叫んでいたのだろうか。言葉になっていたのか、自分でも分からない。
 ただがむしゃらに、届かない腕を、伸ばした。

『あなたのそばに。九郎さん』

 そう言ったのは、お前ではなかったのか。
 あれほどに離したくないと願ったその存在は、あっけなく奪われた。

 望美。俺は今まで、源氏もお前も手離したくないと、手離せないと思ってきた。
 けれど俺の手は多くを支えられない。たったひとつしか、選べない。
 それなら、望美。

 ───俺はお前のそばに居たい。

 生まれて初めて、自分のためだけに抱いたその望みを、あきらめたくない。

 

 

 

 

 一番に想うものは捨てられない。
 だから捨てられる。一番じゃないものは全部、全部。
 何より守りたいと思うのは、あなたの命、あなたの幸せ。
 それが叶えられるなら、私の持てるものはすべて、投げ出します。

 

「ですが九郎があなたを気にかけているなら、九郎はきっと、来るでしょう」

 政子さんの声は歌うように、牢の中に響いた。私はぎゅっと唇を咬む。
 大丈夫。九郎さんはきっと逃げてくれる。私より大事なひとがいるんだから。
 あんなに嫉妬したそのひとに、今は感謝したいくらいだ。だってそのひとのおかげで、九郎さんは私を助けようとするよりも、自分の幸せを優先させてくれる。

「……九郎さんは、来ませんよ」

 政子さんは私を見て、小首をかしげた。

「お嬢さんは、九郎の気持ちをご存知ないのかしら?」

「知っています。だから分かる、九郎さんはきっと、逃げてくれる」

「…………」

「もし万一、九郎さんが来るとしたら、それは」

 ───あのひとが優しすぎるから。

 九郎さんは優しいひとだ。一度仲間と認めた相手を、見捨てられないひとだ。
 だから私が足枷になるくらいなら、このまま死んでしまうほうがマシだ。

 政子さんはじっと、私を見ていた。やがて朱色の唇を開く。

「───お嬢さんは、九郎を好いているのでしょう?」

「……はい」

「九郎に伝えられずとも良いのですか」

「…………」

「逃げて欲しいと思うなら、伝えなくては、九郎は来てしまうかもしれませんよ」

 いつか、そのうち。九郎さんは来るかもしれない。
 私がここにただ捕らわれている限り、その危険は日が過ぎるほど高まっていく。
 その想像はあまりに九郎さんの未来に起こりうることで、私にそれを止める手段は、もう残されていない。

「だとしても、私には伝える手段なんて───」

 くす、と空気が震えた。顔を上げると、政子さんは笑っていた。
 馬鹿にするとか優越感だとか、そんなものではない、ごく自然な微笑みだった。だから私は不思議なことに、敵愾心も苛立ちもなく、静かな気持ちでその表情を見上げていた。

「お嬢さん。明日あなたが舞えば、それは九郎に届きましょう」

 明日。私が、舞えば。

「あなたの想いを歌に舞に織り込めば、それは噂となって、九郎の耳にも入りましょう」

 九郎さんに、伝えられる?

「───明日を、楽しみにしていますわ。可愛らしいお嬢さん」

 牢の中で、私は再びひとりになった。政子さんの言葉が頭をぐるぐると回る。
 来てしまうかもしれない。いつか九郎さんは、来てしまうかもしれない。
 だめ。
 それだけは、だめ。

「……まだ、できることが、ある」

 私は伝えなきゃいけない。来るなと、九郎さんに伝えなきゃいけない。
 逃げて。私のことは忘れて、生き延びて、しあわせに。
 この想いは叶わなかったけれど、あなたを守るための勇気を私にくれる。

 ───命だって、賭けられる。

 あなたが生きる未来のため、私にできることが残されているなら、あきらめたくない。

 

 

 

 

たったひとつの贅沢なわがままを、叶えて欲しいと、思う。
どうかこの想いだけは、否定しないで。
応えてほしいとは言わない、愛してほしいとは請わない。
だけど、あなたを想うことだけは、許してほしい。

 

『しづやしづ しづのをだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな』

 

『源九郎義経、白龍の神子を、迎えに参った』

 

言葉にすれば言い尽くせず、想いにすればただひとつの、その真実を。

 

【10.あきらめない】了

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**反転コメンツ**
お題連作vol.10【あきらめない】語り手:九郎・望美。なんか政子さんが大活躍(笑)。
基本はゲーム沿いの展開で、つまらんと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、ここまで書いたのは自分のためなので満足。
じれったさの積み重ねがあってこそ、九望は恋愛感情以外の部分でも強く結びついてるな、と思いました。
ここまでお付き合いいただいてありがとうございます。補完SSも併せてお読みいただければ、望外の喜びです。