余裕なんてない

 

 なにを。
 なにを言ってるんだ、お前は。
 どうしてお前はそんなにも、自分を傷つけてまでも前に進もうとする?

 

 

 望美の叫びは夜の砂浜に響き、すぐに打ち寄せる波の合間にさらわれていった。言い放った内容の勇ましさにくらべ、その表情はあまりにも痛ましかった。見つめたその先で、必死に嗚咽をこらえているのか、時折小さな呻きが聞こえる。震える小さな肩。

 たまらなかった。

「……っ!?」

 引き寄せる。泣き顔を見ずに済むように、後頭部に掌を添えて胸に押し付けた。
 お前を泣かせるものなどこの世から消し去ってしまえればいいと思う。それなら俺自身が消えればいいのかと思い、けれどお前のぬくもりを感じられるところに居たいと願う、どこまでも愚かな自分の心を持て余した。
 望美が腕の中でもがいた。こいつにしてみれば必死の力なんだろうが、まるっきり手ごたえはなく、こんな瞬間にも、女であることを思い知る。

「……放して」

「断る」

 逆に拘束する力を強めると、やわらかな身体はあっけなく反り返った。
 労わりもなにもない、そんなものを与えてやれる余裕など何処にもない。

「っ!? い……ッ、や、くるし、九郎さっ……」

「───こんなに」

 こんなに脆い身体をしているくせに。
 そんなことも知らず、今までずっとお前の腕に護られてきたのか、俺は。
 憤りで胸が重く、それはそのまま腕の力に変わって、もう羽交い絞めていると言っても差し支えない状況だった。余りに自分が情けなく不甲斐なく、それでもせめてお前を守りたいと思っているのに、それすら伝えられずにこうして縛りつけて。
 望美がこくりと息を呑んだのが、腕の中から伝わってきた。
 力の差、技量の差。そんなものじゃない、お前を止める理由はそんなものじゃない。

 ただ、俺が。
 お前を。

「く、ろ……?」

 呆然と掠れる声をつむぐ唇の端に、血が滲んでいるのが見えた。
 ああ、なんて。
 なんて似つかわしくない傷なんだ。
 言い争いのさなかについたその傷は、俺がこいつにつけたも同然で。

 ───その瞬間、何もかも、脳裏から消えた。

「───っ!!」

 詫びるより先に身体が動き、その血を拭うことしか思いつかなかった。
 自分の、唇で。

 傷口は熱を持っていて、其処を舐めると痛みを覚えるのか、望美は暴れた。抱き込んだ身体はびくりびくりと、水から引き出された魚のように跳ねる。強張った全身が拒絶を示していると分かっていても、腕をほどけば逃げられると知っているから、放してやることはできなかった。
 錆びた金臭い味覚が舌先をつたう。けれど何故か、奇妙に甘く。ふと触れた熱いものが喉奥へと逃げていく。その正体を不思議に思い、絡め捕らえて引き寄せてみれば、小さな柔らかさは、いま同じものが触れ合っているのだと分かった。

「ん、ん───っふ……」

 甘い。
 声も傷もその血すらも、お前はひどく、あまい。
 だから傷ついてほしくない。お前のその味は、俺だけが知っていればいい。

 

 

 くったりと、抗うのを止めた望美を確認し、唇をはなした。
 閉じていた瞳は、涙とともに開かれて、俺を責める。

「……っんで、なんで、……ひどい……!」

 酷いのは重々承知だ。最初から最後まで、これは俺の身勝手だから。
 お前の従軍を認めたのも。
 お前を戦わせて、その力に頼ってきたのも。
 お前が傷つく姿を見たくないと、俺だけのものにしたいと思ったのも。

 全部、俺の勝手な願望の所為だから。

「ひどいよ! 好きなひと、いるくせに、なんで九郎さん……!!」

「ああ、いる」

 ───お前だ。

 結局、認めない訳にはいかなかった。俺は情けなさに自嘲する。
 もう俺は、戦の勝利だけを目指して駆けられない。もう、この想いを捨てられない。今まで誰も居なかった、心の中の空虚な場所。そこにお前が住み着いて、振りほどこうとしても逃れられない。
 形にすることを避け続けてきたのに、所詮は無駄な足掻きだった。

「ひどい……ッ」

 望美は酷い酷いと繰り返すばかりで、俺はそれを黙って聞いているだけで。
 波音だけが寄せては返す。
 斬りつけてでも止めればいいと、お前は言った。
 いっそ本当に、からだを奪って足腰立たなくしてやろうか。そうすればこいつも、しばらくは大人しくしていてくれるだろうか。
 そう考えている自分に気づけば、更に自嘲は深くなる。武士の誇りは何処へ行った。相手の心を踏みにじってまで、躯の欲を満たしても、後に残るものは何もないのに。

 触れることすら避けてきたのは。
 きっとこの手を放せなくなると、心のどこかで知っていたから。

「───誓えるか」

「え……?」

「どんな乱戦になったとしても、俺のそばを離れないと、誓えるか」

 傷ついてほしくない。誰の目にも触れないところに隠しておきたい。
 そう願うそばから、離れたくない、と浅ましいこころは叫ぶ。
 お前のためを考えるならば置いていかなければならないのに、俺の心はそうしたくないと、一瞬でもお前と離れたくないと、叫ぶんだ。

 もう一度、顔を寄せて。

「誓えるか、望美」

 額が、触れた。

「…………」

 ふるりと、やわい身体が震えた。ごく近い場所で潤む瞳を、じっと見つめる。

「───るい……」

「望美?」

「ずるい、こんな、九郎さんのばか……っ」

 先刻の酷い酷いと繰り返した口調とは、微妙に異なるその響き。
 わななく唇をもう一度塞ぎたい衝動にかられたが、こぼれ落ちた涙を見ると、それを拭うほうが先だと思った。
 相変わらず俺の両腕は望美を拘束するのに手一杯なので、まろい頬に唇を這わす。思ったとおりに涙も甘い味がして、神子というのはやはりどこか普通の人間とは違うものなのか、とえらく阿呆なことを考えた。

 一度閉じられた瞳は、次に開いたときには、ほんの僅かに笑みを乗せていた。

「……九郎さんの背中を守るために、私はここまで来たんです」

 俺を真っ直ぐに射抜く、その美しいかがやき。

「誓い、ます。だから、どこまでも、ついて行かせて」

 なんて。
 なんてきれいな、女だろう。

 ───いとしい、という言葉の意味を、俺はやっと知った。

 

 

「もし斃れるなら」

「ええ、一緒です」

「───そばにいろ。何があっても、離れるな」

「……死が二人を分かつまで」

「なんだ、それは?」

「私の世界での、誓いの言葉……」

「……そうか。ならば望美、死が二人を分かつとも」

「───とも?」

「ああ。どこまでも共に」

「───本当に、九郎さんて、ひどい人……。それを言うのは、私にじゃないでしょう?」

「……何を、言っている?」

「ううん……いいの、それでも嬉しい……」

「望美?」

「死が二人を分かつとも」

「…………」

「あなたのそばに。九郎さん」

「ああ。お前のそばに」

 

 ───お前のそばに居させてくれ。俺の、比売神。

 

【9.余裕なんてない】了

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**反転コメンツ**
お題連作vol.9【余裕なんてない】語り手:九郎。7章屋島の3部作最終話。鈍感は鈍感なりに頑張った?
と言うか、頑張りすぎて暴走状態に陥るのを止めるのに手こずった(爆笑)。いやその九郎、ここ野外だから思いとどまって!
そしていまだにすれ違いカンチガイのまま屋島〜壇ノ浦を突っ走っていきますこのシリーズ。じれっ隊最高潮。
途中で額コッツンの動作は、九郎は覚えてないけど望美は覚えてる、あの例の牢屋イベント。やっぱり萌えですアレは。