額合わせ

 

 私の世界ではね、知らずに犯してしまった罪は、軽くなるんです。
 でも、そんなのは嘘。
 だって、私が知っていれば。ほんの少しでも知ってさえいれば。
 こんなことには、ならなかった。

 

 

「九郎さん……」

 暗く湿った牢に、呼びかけた声は茫洋と響いた。
 望美は身震いする。それは寒く居心地が悪いからというだけの理由ではなく、ここに捕らわれているひとの心を想うと、押しつぶされそうな恐怖を感じるからだった。

「よく、牢に入れてもらえたな」

 九郎がほのかに笑みを見せた。けれどそれは、かつて望美が見たこともないような弱々しい笑顔で、かえって彼の苦痛を浮き彫りにするだけの表情だった。
 詰めていた息を、なるべくゆっくりと吐く。そうでなければ叫び出してしまいそうで。
 望美は格子の前まで歩み寄ると、ぺたりとその場に座した。

「おいっ……そんなところに座ったら、汚れるだろう」

「うん」

「ここは冷える。風邪でもひかれたらかなわん」

「うん」

「聞いているのか? 望美」

「うん」

 言葉の無駄を悟ったのか、九郎はもう一度だけ微笑んだ。

「……仕方のない奴だな」

「うん……」

 だから望美も、必死に笑おうとした。
 けれど、どうやったら笑えるのか、分からなかった。

 

 

「兄上への書状をしたためた。これを鎌倉の兄上に渡してほしい」

 九郎が懐から差し出した書状を見て、望美の瞳から涙がこぼれた。
 それを受け取ったら離れなくてはならない。九郎と、離れなくてはならない。こんな寂しい場所に彼一人、残していかなければならないなんて。

「……っ九郎さん、分かってるんでしょ? ほんとうは、分かってるんでしょ!?」

 ───鎌倉殿が許しを与えることなど、有り得ないと。

 望美の悲痛な叫びに、九郎の眉も一瞬、歪んだ。
 分かっている。望美の言葉通り、本当はずっと前から気づいていた。どれほど源氏の勝利のために身を砕いても、むしろ彼が勝てば勝つほど、鎌倉との距離が遠ざかっていったこと。だからと言って自分に、戦う以外の何ができただろう。分かっているから気づかない振りをして、前へと進むしかなかった。
 本当に不器用な生き方しかできないのだ、自分は。けれど一層つらいのは、そんな自分を案じ、信じてくれる少女にまで、こんな哀しみしか与えてやれないこと。

「望美」

 格子越しに手を伸ばし、いつもしていたように、望美の頭を撫でてやる。さらめく手触りは九郎の指に、甘いぬくもりを宿した。

「比売神の言霊だ……口にすればきっと、真実になる」

 ───だから、言わないで。

 望美が顔を上げた。涙に濡れた頬は痛々しく、それがすべて自分のために流されたものなのだ、と気づくことは、ひどく九郎の心を騒がせた。九郎のために、九郎のためだけに泣いてくれるひとなんて、望美と、彼女によってもたらされた仲間たちくらいしか、思い当たらなかった。

「……わか、た……ごめ、なさっ……」

 この優しい娘をこれ以上、ここに留めてはいけない。九郎はそう思う。
 だから、この時間がいつまでも続けばいい、と願う自分の想いにそっと蓋をした。

「これを読んでいただければ、兄上の疑念も晴れるはずだ」

 また溢れそうになる涙を、口から飛び出そうになる頼朝への弾劾を、望美は必死で飲みくだした。九郎さんは言ってほしくない、と言った。私の言葉は真実になる、と。
 だから、わななく唇が紡いだ言葉は、心とは正反対のものだった。

「うん……きっと……そうだね」

 望美の髪を繰り返し梳く九郎は、静かに微笑んだ。それが本当におだやかで嬉しそうな、優しい笑みだったから、望美はそれ以上の言葉が出てこない。
 二人の葛藤を打ち切るように、御家人が退出を促してきた。

「九郎さん。私、もう行かなきゃ……」

 髪を撫でる指が、止まった。やがてそっと、名残惜しげに離されていく。
 望美は瞬間、我を忘れてその手にしがみついた。

 

 

 格子を隔てて掴んだ九郎の手は、冷たかった。かたく骨ばった指も、心労のせいか心無し細くなったようで、今更に望美の心には強い哀しみが湧き上がる。

「九郎さん……待ってて……」

 絶対、絶対、あなたをこんなところで死なせないから。あなたが書いた手紙、頼朝さんを脅してでも読ませるから。
 無理だと口にしてしまったら、ここから立ち上がれなくなる。だから。

「ああ」

 九郎がゆっくりと、格子に向けて顔をかたむけた。望美もそれに応える。
 二人の額が、触れた。

「俺の運命は、お前に託したんだ」

 ああ、どうして。
 どうしてあなたはこんな時まで、そんなに私を信じているの。
 私は私を信じられない、なのにどうして。

「お前は、あたたかいな……」

 涙よ、どうかこぼれないで。
 優しいこのひとが哀しんでしまうから、どうか、今だけは。

「……九郎さんが、冷たいんだよ」

「そうか……」

 ───触れ合った額は、互いの想いでひりつくようだった。

 抱きしめ合うことも叶わず、二人でただ、祈る。
 互いの身が離れても、どうか魂だけは、このひとのそばに在れますように。

「本当に、お前はあたたかいな……」

 さようなら。さようなら。許してくれ。ごめんなさい。
 言葉にすることすら許されない想いは、額と指のぬくもりに、託した。
 このぬくもりを手放す瞬間が、永遠に来なければいい。

 とても虚しい、けれど心からの祈り。

「望美、忘れないでくれ」

 瞳を閉じたまま、九郎はつぶやく。

「お前がもたらしてくれたもの全てが、俺にとっては代えがたい宝だ」

 やはり瞳を閉じて聞き入る望美に、その言葉はあまりに哀しかった。

「───ありがとう」

 

 

 お前を最後まで哀しませてしまって、済まない。
 けれどお前に逢えたことで、こんな俺の生き様でも、十分すぎるほど報われる。
 だから、本当に。
 ありがとう。

 

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**反転コメンツ**
腰越状を入手する牢屋イベント(十六夜版)。これだよこういうのが欲しかったんだよイベントー!
MIXJOYで3のコンプデータ使ってたもんですから、まさかあの場所にあんなスチルが出るなんて思ってなかった!!
しかしあそこって牢なんだよね。格子の隙間があんなでかくていいのか?(笑)
九郎の頭がポニテごと余裕で外側に出てるぞ。手が出るのがやっと、くらいに考えてたので、意外っちゃ意外。