手が届かない

 

  3-1.独白 リズヴァーン

 戦が始まる。数多の生命があっけなく失われていく、狂宴が始まる。
 神子。私は今度こそ、お前を守りきる運命を選べたのだろうか。

「軍奉行が到着するまでに、夜営の準備は整えておけ。出立直前になったら馬の口を手拭で押さえろ。蹄の音も極力立てないよう……あ、これは、先生!」

 指示を出し続ける九郎が、私に気づいて駆け寄ってきた。そんなところは昔から少しも変わらず、今もまた私の言葉を待って、一心に顔を覗き込んでくる。
 九郎に言うべきことは、ただひとつしかない。

「神子を守れ、九郎」

「は……? 先生、望美がなにか?」

 神子も私も、源氏ではない。本来はこの戦に身を投じる必然はない。
 だが神子は戦わねばならぬ。ならば九郎、お前も神子を守る力であらねばならない。

「それがお前の運命だ」

「……先生のおっしゃる意味が分かりません。俺が未熟だからでしょう、申し訳ありません」

「分からずとも良い。忘れぬように」

「はい、承知いたしました! 俺もあいつに言っておかねばならんことがありましたし」

 神子。お前の心が、運命を決める。
 お前は───この運命のお前は、すでにあの力を手に入れているのだろう。怨霊のひしめく宇治川で、臆することなく剣を振るい、私を師と呼んだ。
 お前は選んだのだな。運命と呼ばれる大いなる流れと戦うことを。

 ならば私は従うまでだ。お前の真名のまま、その望みのままに。

「しかし先生、あいつは一体いつ、先生に師事したのですか? 譲の話を聞いた限りでは、俺たちに出会う直前に、京へたどり着いたようなのですが……」

「答えられない」

 私に……今の私に、神子の剣を導いた記憶はない。それは別の運命の私であろう。
 この胸はまだ、痛みを感じるのだろうか。神子の命があればそれで良いというのに、神子との記憶が欠けたことに気づくたび、訪れるこの空虚をなんと呼べばいいのだろう。

「───あ、先生、九郎さん!」

 神子と譲、龍神がかたまって会話を交わしていた。私に気づくと同時に駆け寄ってくるその姿は、九郎に似ていると思い、心中密かに笑んだ。

「望美、譲。お前たちは本格的な戦は初陣だ。慣れぬ者を最前線に出す訳にはいかない。今回は歩兵と共に、後方からついて来い」

「九郎さん?」

「生き残りたいのなら、聞き分けろ。何かあった時に、守ってやれるとは限らん」

 神子はじっと九郎を見ていた。九郎だけを、真摯に見上げていた。

「……それじゃあ、九郎さんが危ない時にも、守れないでしょう?」

 妙な沈黙がその場に満ちた。動じていないのは私と、龍神くらいのものだった。

「先輩、何を言ってるんですか! 俺は反対です、ただでさえ夜の戦場なんて危険なのに」

「譲に分かることが、どうしてお前は分からないんだ。いいから後ろにいろ」

「いやです。怨霊が出るんでしょ? 封じるなら、後ろに引っ込んでたら話にならない」

 神子の心は美しい。決断したものの美しさと強さは、常に私を導く望月の光だ。

「何かあったとき、手の届かない場所にいるのは、絶対にいや」

 そのまま神子と九郎は押し問答を始めた。私は止めるでもなく、まだ幼い弟子たちの言い争いを聞く。それは何故か、こころよい生命の歌となって耳にこだました。
 ふむ、そろそろ日が暮れてきたな。神子が休む時間を削られてはいけない。

「神子には私がついている。神子の望む通りにしなさい」

「先生!?」

「先生、ありがとうございます!」

 神子。お前の望むままに生きなさい。望むことを成しなさい。
 そして、最後まで生き延びなさい。

 そのためなら、お前の救ったこの命、捨てることになったとしても惜しくはない。

 

 

  3-2.提案 武蔵坊 弁慶

 望美さんが拾いものをした、と聞いたので、僕が様子を見に行ったんですよ。そうしたら相手は知った顔だったので、少々の驚きがあったのは確かです。でも仕方ありません、それが戦の世の常ですから。

「君ひとりで看るのは大変でしょう、手伝いましょうか?」

「ごめんなさい、でも、私……」

 僕の言葉に、望美さんは頷いてくれませんでした。
 どうやら先ほど九郎と言い合ったときに、自分が最後まで面倒を見るのだと啖呵をきったことを、気にしているようです。本当に、可愛らしいひとですね。

「いいんですよ。何かあったら呼んでくださいね」

 望美さんは甘いのです。そして九郎は一本気すぎて固い。
 まったく、二人とも、戦には向かない人間だと僕は思いますよ。だから僕が匙加減をとっている訳なんですが、こんなに気苦労が多いのは誰のせいなのか、本人たちは気がついていないんです、やりきれませんね。

「どうした弁慶、早いな。望美のところに行ったんじゃなかったのか?」

 傷病兵の看護に充てられた陣幕に戻ると、何故かそこには怪我などしていないはずの九郎がいて、間の抜けた顔で訊いてきました。

「追い返されてしまいましたよ。彼女ひとりで看護したいんだそうです」

 ……九郎。苦虫を何匹まとめて噛み潰しているのか、訊いてもいいですか。
 僕はちょっと福原に潜り込んでいたので知らなかったのですが、どうやら後白河院に向かって、九郎が望美さんと許婚だという大芝居を打ったそうなのです。よくもまあこの甲斐性なしの朴念仁が、咄嗟にそんな気の利いたことを言えたものだと、僕は感激のあまり涙が出る思いでしたよ。

「君の許婚は、情けの深い女人ですね」

「な、何を言っている! 今は関係ないだろう、そんなこと!!」

 真っ赤ですよ九郎。張ったりをかますことくらい、出来るようになって欲しいものですが。

「……あいつはいらん情をかけすぎるんだ。それが命取りになると、気づいていない」

 君がそれを言いますか。
 まったく、君ほど甘い総大将など、この国のどこを探してもいないでしょうに。

「で、どうして君がここに? 矢でも掠りましたか」

「いや……」

 途端に横を向きます。
 九郎は都合が悪くなると、人の顔を見ようとしなくなるんです。おまけに顔は夜目にも分かる赤さで、ははぁこれは彼女に関しての話だな、と僕は思いました。
 分かっても、先回りして言ってはやりません。そこまで甘やかしていたら、九郎はいつまで経っても自分から言おうとはしなくなります。
 僕の視線に耐えかねたのか、唸るような声がようやっと絞り出されました。

「……あいつ、どうせ看病で夜通し起きている気なんだろう。弁慶、お前、後で薬湯でも煎じてやってくれないか」

「分かりました。さ、手当ての邪魔ですから、もう行ってください」

 予測どおりの言葉を聞き、僕は九郎を追い出しにかかりました。だって予測が外れていなければ、そう遅くないうちに、望美さんが九郎を探そうとするからです。
 だから彼女が見つけやすいよう、人目につくところにいてもらわないとね。

「九郎。迅速に撤退できるように、手はずを整えておいてください」

「分かっている」

 

 

  3-3.喪失 有川 譲

 手が震える。今更になって、人を殺したという事実が悪寒となって足元を這い上がる。
 ひとを、ころした。それは本来であれば、最も重い罪になるのに。

「……譲くん、大丈夫?」

 俺ははっとして、震える手を握りこんだ。少しは誤魔化せたのだろうか、あなたはじっと、静かな目で俺を見ている。

「俺は、なんとも。先輩こそ大丈夫でしたか? どこか怪我なんて」

「してないよ。心配してくれてありがとう」

 すっかり夜は更けていた。ここは三草山だと言うから、てっきり激戦になると思っていたのに、先輩の意見がきっかけで、大規模な戦いにはならずに終わった。むしろ道すがら出てくる怨霊と戦っていただけで、それは京での毎日とあまり変わらなかった。

 違っていたのは、そこに人間が混じっていること。

 少なくとも京で、白昼の路地で、俺たちを殺そうと襲い掛かってくる人間はいなかった。兄さんが勝手に抜け出した時の落ち武者たちも、勝ち目がないと分かると、あっさり逃げ出していったから、人間を相手に戦ったことはなかった。殺し合いをしたことなど、なかった。
 平家の陣を下見に行く途中のことだった。草をしだく音を聞いた瞬間、咄嗟に弓を放っていた。それは何も間違っていない。あなたを守り、自分自身の命を守るためには間違っていない。そして俺は何とはなしに思い込んでいたのだ、相手は怨霊だと。

 俺が射抜いたのは、ひとだった。

 頚動脈に突き立って首の裏側に飛び出た鏃は、確かに俺が放ったものだった。身につけた鎧を見れば、平家武者だというのはすぐに分かった。

『斥候、ですね。譲くん、よく仕留めてくれました。ありがとうございます』

『うんうん、すごいよ譲くん! 上達が早いね〜』

 弁慶さんや景時さんがそんな言葉をかけてきたが、俺は自分のしたことの重さに、呆然と座り込みそうになった。
 俺は、分かっていなかった。
 戦うというのは、それはつまり、ころしあうことなのだ。

「先輩は……どうしても、戦うんですか?」

 俺が気づけなかったのは、得物が弓だから、というのもあるだろう。遠くから矢を放ち、敵を射抜き、師ほどの上手であればその姿すら見えない位置から相手を倒す。この手は血に染まることはなく、命を奪った感覚を直接に味わうことはない。
 だけど先輩。あなたは剣で戦っている。斬りつけ、貫き、返り血で染まって。

 気づいていないはずがない。ひとをころす、その重さに。

「うん」

 はっきりと、これ以上ないくらいにはっきりと、あなたは頷いた。俺は泣きそうになる。
 こういう表情のあなたは、俺であっても、兄さんであっても、決して説き伏せることなんてできないと、分かってしまうから。

「譲くんの言いたいこと、分かるよ。でも私は、それでも戦うって決めたから」

 先輩。俺はあなたを守りたいんです。
 なのにあなたは一人で、俺の手の届かない場所に立とうとしている。

「守られてるだけの怖さを、私はもう、黙って受け入れたくないの」

 先輩。あなたは、一体どうして。
 どうしてそんなに、綺麗に笑えるんですか。
 何も感じないはずがないのに、どうやって乗り越えてこれたんですか。

「何かを守ろうとするなら、何かを失うしかないんだと思う」

 あなたを。守ろうとするなら。失うしか。
 ───俺の命を失うしか、ないんでしょうか。

 月は静かに俺たちを照らしていた。
 先輩の名前と同じ名をもつその月は、俺の問いに答えてはくれなかった。

 

【3.手が届かない】了

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**反転コメンツ**
お題連作vol.3【手が届かない】語り手:リズ・弁慶・譲。3章三草山オムニバス。
て言うか先生…九郎があれだけ犬懐きしてるのに、先生内ランキングでは神子以外、九郎とその他は同レベルっぽいよ(笑)。
弁慶は弁慶でアレだし、譲はそもそも許婚イベントの時点でものっそい反感持たれてるよきっと!
頼朝に限らず、常に青春片道キップ状態だよな、九郎の人間関係は。せつなすぎる。