競り

 

 望美は膝の上に広げた絹地をじっと見ていた。
 瑠璃の目にも鮮やかな色彩は、此処での呼び名になぞらって与えられたものだった。

「…………」

 あと僅か。あとほんの少しだけ針を運べば、それは縫い上がる。生き延びるためには仕方の無いことだと、女主人に拾われた時に骨身に沁みた。此処を出たとて行くあてもなく帰る場所さえないことは、皮肉にもあの若武者との訪問で、まざまざと思い知った。
 分かっている。覚悟もしてきた、つもりだった。

 なのにどうしても、手が震えて動かない。

「しっかり、して」

 せめて声だけは震えないように、低く押し込めた声で、望美は己を叱咤した。
 ひとは、慣れる生きものだ。どんな境遇であったとしても、それに触れ続ければいずれ慣れ、在ることを当然のことだと信じて疑わなくなる。

 朝から晩まで、身を粉にして田畑の実りを得るための労働。それが村ごと焼き払われて此処に来たばかりの時も、寝る場所から食べるものから、郷里での暮らしとはまったく違っていた。漆の塗られた椀や箸など初めて触れるものだったし、増して白粉など、話に聞くだけで見たのは生まれて初めてだった。下働き程度の仕事ごとき、田畑の世話をしてきた娘にとっては夢のように楽な仕事と言えた。
 いつの間にか、それにも慣れた。暮らし向きには決して困らないことが保障されている、ならばその対価に身を売ることも仕方が無いのだと思うことにした。どのみち村で暮らしていたとしても、よくは知らない男衆の誰かに嫁いでいたのだろう。中には好いた惚れたでお目当ての男衆の嫁に納まる者もいたが、望美はそういった方面にも特に熱心だった訳ではない。いずれ誰かのもとに嫁いで子を産む、その相手は、言ってみれば誰であろうと大差などありはしない。嫌っている相手でさえなければ、誰でも構わない。

 そして今、それを厭だと叫ぶ自分の声を、望美は心の中に聴く。

 厭だ。
 誰でも構わないなど、そんなのは嘘だ。

「……ふふ、そんな、馬鹿みたいなこと……」

 唇からこぼれる言葉は、心の叫びとは正反対のものだった。
 だって、そうするしかない。諦めるしかない。いまさら此処を出たとしても、早晩野垂れ死ぬのがおちだ。死ぬのが怖いと思う訳ではないが、あの惨状の中を生き延びた自分が自ら命を捨てるような真似をすることは、廃村に打ち捨てられたままのむくろに到底顔向けできるものではない。
 だから、諦めれば、いい。そうすればいつかまた、慣れる。

 あのひとを慕うこころを、捨てて。
 買われる相手に、からだを開いて。

「───お恨みいたします」

 望美はそっと、左手の指を唇に当てた。
 いつか九郎が針を刺した傷の手当てに、躊躇もせず口に含んだ場所だった。

 ───こんな想い、知らなければ、もっと楽だったのに。

 

 

「確かに承った。兄君によろしゅうな」

「私などには勿体無きお言葉、恐悦至極に存じます」

 深々と平伏すると、上座の男は機嫌よく笑った。

「なに、わざわざ弟君がおいでとは思わなんだでな。ご丁寧に、こちらこそかたじけない」

「───次の動きは」

「しばらくは息を潜めねばなるまいよ。弟君を無為に引き留めるのも申し訳ない」

 手ぶらでさっさと帰れということか。
 そう判断し、九郎は内心で臍をかんだ。交渉にとことん不慣れな己が心底情けなくなったが、恥じるより先に今は食い下がらねばならない時だった。

「いえ、お気遣いなさらず。我が兄より、しかと御身のお護りを言付かっております」

「弟君の武勇の誉れは名高いとか。勝ち戦を捨てても、というのは穏やかではないな」

「当分は小競り合い程度、大きな動きはございませんでしょう」

 たった今自分でそう言ったではないか、と九郎は相手の目を見据えた。
 上座の男から、今はもう笑みはあらかた消えていた。

「……なるほど? 動きたくても動けぬ、という訳か」

「仰せの通り、ご慧眼恐れ入ります」

 再度頭を下げてしばらくのち、ち、と微かな舌打ちの音が響いた。

「───分かった。今日中には返事をしたためるゆえ、しばしお待ちいただこう」

「有り難きお計らいにございます」

 九郎は控えの間で返事を待とうと考えていたが、密書をしたためるのに間近で待ち構えられては敵わん、と言われ、しばらく京の町を散策することにした。活気がある中にもどこか素朴な市の立ち並ぶ界隈が物珍しく、僅かな会見の間に溜め込んだ鬱憤が、ゆるやかに晴れていくような心持ちを覚えた。
 腹の探り合いというのは、どうにも自分には向かない。それが必要なことは分かるが、何度渦中に身を置いたとて、好ましいと思えるようにはならなかった。

「こればかりはな……何とか返事だけは引き出したから、いいものの」

 一人ごちて歩く見目の整った武士に、ときおり客引きの声が道端からかけられる。
 その声に曖昧に頷きながらも、歩みを止めなかった九郎の視界の端に、美しい蒼が飛び込んできた。思わず足を止めた九郎を見て、広げたむしろの上に座っていた老人が、脈有りと判断したのか、にっと笑いかけてきた。

「兄さん、お武家さんだね。しかもこの辺りじゃちょいと見ない顔だ、遠くから来たんだろ」

「……分かるものなのか?」

「そりゃあね。今の京に、兄さんみたいな武家らしい武家なんぞ、いやしないよ」

 老人の言葉に苦笑し、九郎は先ほど目に留まった蒼の在りかを探そうと、むしろの上に眼差しを走らせた。
 それは、簪だった。小ぶりながらも丁寧な造りで、深い深い色合いの蒼い宝玉───恐らくは瑠璃が、控えめな金細工の中央に嵌め込まれていた。その宝玉の名が九郎に与える意味は、とある娘に出逢ってから、がらりと変わった。

 思わず簪を手に取った九郎に、老人は更に機嫌よく笑いかけた。

「誰ぞお目当てのお姫さんに土産かい。そりゃあいい、きっと喜ばれるよ」

 土産。
 お目当ての、娘に。
 投げかけられた言葉の意味を、しばらく間を置いてから理解した瞬間、九郎の顔がぼっと火を噴いたように赤らんだ。確かにこの簪を見て、望美のことを思い描いていたのだが、こんな風に揶揄されるのはどうにも耐え難い羞恥に襲われる。

「───っな! そ、そういう訳ではっ」

「あ? じゃあ何かい、兄さん自分で使う気なのかい?」

「そんな訳ないだろうっ!!」

 ぜぇぜぇと肩で息をしている九郎を見て、老人はからからと笑った。

「兄さん照れすぎだよ。で、買ってくれる?」

「……貰おう。値はいかほどだ?」

 

 

「よいでしょう。縫い上げた見習いの為すべき手順は、飲み込んでいますね?」

「……はい」

 女主人は頷き、別の見習いの娘を呼んで、目の覚めるような瑠璃色の絹地を手渡した。

「足は大丈夫?」

「はい。それほど長いものでないなら、十分に舞えます」

「そう。では、今宵に備えて準備をなさい。世話をお願いね」

 言葉の最後は見習いの娘に向けて、女主人は立ち去っていった。
 その場から動かない望美の様子を窺い、娘はおずおずと声をかけた。

「あの、お姉さま?」

「…………」

「───瑠璃太夫、さま?」

 耳にざらついた違和感を残す名で呼びかけられ、望美はようやく身じろいだ。

「あ……あぁ、ごめんなさい。じゃあ、白粉をたくのを手伝ってもらえますか」

「はい。お姉さま、良いお客に競り落とされますよう」

 此処では遊女としての仕事を始める際、客を座敷に集めてその娘だけを出すことになっていた。『初物』であることを伝え、欲しいと思えば客が言い値をつけていく。最も高値を述べた客に買われるそれが競りのようだと、遊女や見習いたちは口にした。

 まさしく、競りだった。売りものは、身ひとつ。

「───ありがとう。あなたは此処に来て、どのくらい経つの?」

「五日ほど前です。あたしを食わせる猶予はないから、親に売り飛ばされました」

「そう……」

「あはは、お姉さまがそんな顔することありませんよ。あたしだって恨んじゃいません、こうでもしなきゃ、みんな揃って飢え死にするしかなかったんだもの」

 からりと笑う娘の声は明るかったが、瞳の端には微かに光るものが滲んでいた。

「……そう……」

 皆、同じだ。此処にいる女たちは誰もかれも、寂しさを抱えて生にしがみついている。そのために見知らぬ客と肌を合わせ、一時の慰めを与え合う。

 ───そこに感情は、要らない。

 

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**反転コメンツ**
普通に野ざらしにできるのはここまでが限界かなぁ(^^;)。次あたりからヤバめになってきます。
九郎はどこまでおつかいに手間かけてるんでしょうね…すれ違いすれ違い〜♪(鬼や)
えーと今後こちらでは、さらにワンクッション注意書きのページを設けて、性的描写のあるシーンは省いたものを置きます。
会員制行きの話を読まなくても支障がない形にまとめられるよう、頑張りますね。