距離

 

「お前、ちゃんと食っているのか」

 背負った娘のあまりの軽さに、九郎は驚いた。もともと男女の体格の差はあり、九郎から見れば望美など小柄に見えるほどだったし、それでなくても華奢な体つきをしているのは、一目見るだけで知っていたつもりだった。
 けれど、実際に感じたその重みは、足を踏みしめるまでもなくあっけないもので。

「は、はい。皆さまに良くしていただいております」

 嘘を言っているつもりは、望美には毛頭なかった。
 実際、この村で暮らしていた頃ならば、凶作の折などはまともな食べ物などないのがごく当然だった。それを思えば、三度三度の食事に事欠かず、見習いの者と言えどもそれなりに身奇麗な着物を与えられるのだから、暮らし自体は恵まれるようになったと言ってもいいくらいで。

 ───そのために毎夜貫かれる、からだとこころ。

「あの……やはり、お捨て置きくださいまし。お武家さまのお手を煩わせたなどと、主に申し訳が立ちません」

 九郎は一向に歩みを緩めない。
 それで望美は降りるすべを持たないまま、背負われているしかない。

「断る」

「九郎さま」

「俺がそうしたいんだ。お前が気にすることじゃない」

「…………」

 次第にぼうっとする頭を抱えて、それ以上の反論が望美には浮かばなかった。
 足首からのじくじくとした痛みが全身に広がる。いくら庇われて目立った傷を負っていないとは言え、軽い打撲や打ち身、そして潰されそうになった恐怖からくる衝撃は、荒事になど慣れていない娘の身にはきつかった。
 足首が腫れていることが、熱の集中した痛みで分かる。同時に意識にも霞がかかる。

 ことり、と背後のぬくもりが力を抜いて凭れかかってきたのを、九郎は感じ取った。

「───望美?」

「…………」

 遠慮からか強張っていた身体が、抵抗を見せぬまま他愛ない重みを伝える。
 押しつけられるやわらかさに思わず足を止めかけたが、必死に己を叱咤して堪えた。

「望美……眠ったのか?」

 耳元にかかるようになった望美の吐息の熱さに、九郎は相手の異変を確信する。
 負傷に伴うさまざまの体調の変化には慣れている。生死の境を生き抜く将兵でさえそうなのだ、増して戦いになど出ないごく普通の娘である望美が、足首の負傷以外に不調を訴えてもなんらおかしくない。

 なんにせよ、眠ることは消耗した心身を癒す効果がある。起こそうとは思わなかったが、負傷の具合を早急に検めねばならないことは確かだった。ちらちらと舞う雪は降り方が強くなってきており、それを凌ぐことも必要だった。
 だから、しばらく街へと続く山道を歩み続ける道中に、うらぶれた廃屋を見つけて。
 九郎は心底、安堵した。己のためではなく、背負った娘のために。

 

 

 中は相当埃っぽかったが、戸外で雪に降られるがままよりはましだった。
 散らばった藁屑の上に華奢な娘の身をそっと横たえても、目覚める気配はない。負傷と冷えから来る負担のせいで、やはり熱があるようだった。呆れるほど細い足首に手を這わせれば、はっきりと分かるほど熱を帯びている。

 そこまで見て取った瞬間、ぎくりと九郎は身を強張らせた。

 背に乗れと言った。無理に歩かせる訳にはいかないのだから、真っ当な判断だった。
 けれどそのせいで、望美の着物は裾がかなり乱れてしまっていた。質素な着物はそれだけ重ね着の枚数などないのだから、捲れ上がった布地の下に見え隠れするのは、滑らかにしろい肌。もともと顔や手でさえ色の白い少女の、日になど当たらないその部位は、いっそ艶めかしいほどに青白い。

 何よりまずいのは、その体勢だった。
 仰向けに横たわった望美に意識はなく、着物の裾をしどけなく乱し、九郎の手にされるがままになっていた。背負われていた形をそのまま残しているせいで、ほっそりとした脚は男を誘うように開かれていた。そして、足首を検分しようとしていた九郎からは、ほんの僅か視線を上げるだけで、まだ誰にも触れられていない肌を下から覗き込むような形になってしまっていた。

 乱れた布地の奥に在るはずの蕾は、もう花ひらく瞬間を待っているのだろうか。
 布地が花びらのように思えた。一枚一枚、剥いでいった先に在る、男を知らぬ無垢な華。

「…………っ!!」

 慌てて視線を逸らし、それだけでは飽き足らずにぐっと強く瞳を瞑る。
 それでもひとたび視界に焼きついてしまった光景は、脳裏にまざまざとよみがえっては動悸を一層煽りたてた。

 ───そんな、つもりではない。

 九郎は必死に己に言い聞かせた。
 望美は足首を痛めているのだ。だから歩かせる訳にはいかなかったし、眠っている彼女を起こさずに負傷の具合を検めようとすれば、こうして横たえて看るしかない。あられもない姿を盗み見るような真似をしてしまったのは事実だが、決してそのように意図していた訳ではなかった。

 だが、普段は色事になぞ疎いのに、こういう時に限って妙に頭が回ってしまう。
 この細い脚が、割り開かれて己の腰の脇で支えられていた。その奥にひっそりと息づいている華が、布越しとは言え、無防備に男の腰に擦りつけられていた。吐息は耳元に幾度も甘く吹き込まれ、くたりと凭れてきた瞬間からずっと、肩甲骨のあたりに押しつけられていたやわらかな二つの膨らみ。

「───く……っ」

 想いを自覚している以上。
 否応無く、誤魔化しようもなく、躯は正直に反応する。
 告げられる日など決して来ないのだと知っていても、湧き上がる欲情の存在を無視することは不可能だった。

 努力して殊更にゆっくりと息を吐きながら、九郎は昂った熱を鎮めようとした。
 まだ街までは距離がある。この娘をどうにかして自分が運んでやらねばならないことには変わりない。自分で歩かせる気など更々ないし、捨て置いて自分だけが先に帰るなど論外なことにも変わりはない。
 だから。

「…………、ふ……」

 鎮まれ。
 ……鎮まれ、彼女を想うならば。

 薄暗い廃屋の中に息づく、ふたつの命のぬくもり。
 それらはしばらく、どちらも動こうとしなかった。

 

 

「その役目、是非に私にお申しつけください」

 戻った遊郭では、既に兄と取り引き相手の密談が始まっていた。やはり道中の天候に難儀したが、夜間にまで到着がずれ込む事態にはならずに済んだらしい。
 取次ぎを依頼された密書を手に戻ってきた兄に向かい、九郎はそう頭を下げた。

「……お前が出る必要はない」

 棟梁の弟を遣わすほどの内容ではない。
 兄がそう判断したからこその答えであり、その判断は常に先を見越した怜悧さに基づいていることは知っていた。

「お願いいたします。せめて目に見える形で、兄上のお役に立ちたいのです」

 それでも九郎は重ねて申し出た。
 そうせずにはいられない、理由があった。

 兄の鋭い眼差しを、真正面から九郎は受け止めた。

「───ならば命じる。確かに届けよ」

「はっ」

 書状を押し頂いて懐に収め、立ち上がった。
 一刻も早くこの場から離れ、頭と躯を冷やしたかった。身の内に渦巻く浅ましい欲が鎮まるまで。

 望美のいる、この遊郭から。

「京は遠い。道中心せよ、気取られるな」

「心得ましてございます」

 

BACK         INDEX         NEXT


**反転コメンツ**
書きたかったシーンがやっと書けました…本懐を遂げるってこんなに清々しい気分になるんですね!(大袈裟)
ちなみに書きたかったのは、九郎が神子を背負って欲情するシーンでした(殴)。
九郎、自ら名乗り出ておつかい旅行です。これで少なくとも京が舞台じゃないことははっきりしたな(笑)。
これ実は次の展開への導入です。神子の客取りカウントダウンはもうすぐそこまで…!