| 呆けたように座り込んでいた娘が、ふらりと立ち上がった。 かなりの時間が経ったようにも思えたし、さほど間を置かなかったようにも思えた。小さな身体の動きに合わせて揺れる髪はしっとりと湿り気を帯び、膝をついていた着物の裾は雪混じりの泥で少し汚れていた。 「どこへ行く?」 蹲っていた家屋の残骸から離れていく望美に、九郎は躊躇した末、そう声をかけた。 「社(やしろ)へ参ります。少しでも……安寧を、祈りたいのです」 そうは言ってもこの惨状では、社とて丸焦げではないのか───と九郎は訝しむ。実際、丘の上から一望したこの村の成れの果てに、まともな建物など何一つ残ってはいなかったのだから。 「この村はもう、死人(しびと)の住む場所でございます。どうぞ、九郎さまはお戻りを」 「馬鹿を言うな! どうしてお前を放って帰れるか」 その言葉があまりにも真っ直ぐに放たれるから。 ───大丈夫。勘違いは、しないから。 「ご心配なさらずとも、足抜けなどいたしませんよ?」 「……っ」 あまりに不似合いな言葉を、微笑みながら口にする。 俯く望美に近づいて、その髪をそっと撫でた。 「……そんなことを、案じている訳じゃない」 「九郎さま……?」 ───結局、最初から惹かれていたのか。 「これほどに冷えて、お前、凍えそうじゃないか……」 「…………」 無言のまま、見つめ合った。
「これは……」 言ったきり、九郎の言葉は続かなかった。 「馬鹿かお前は! いつ崩れるか分からんだろう」 「だからこそ、今のうちに御参りを果たしたいのです。この村の御霊に安かれと」 社殿は柱があちこち焼け焦げへし折れ、今にも崩れ落ちてきそうな有様だった。さらに九郎の武士としての目は、貼られていたであろう装飾の貴金属が、根こそぎ剥がされていることを見て取っていた。社殿の脇にある材木の山は穀倉庫だったのだろう、焼かれただけでは到底説明できないほどに打ち壊され、原型を留めない瓦礫と化している。 強奪、略奪。それらを直接に命じたことはなくとも、この非道もまた武士の所業であるという事実に、九郎は頭部を殴打されるような手ひどい衝撃を覚えた。 望美の微かな呟きが、その場に響いた。 「民草は額に汗して、日々の糧を得ております」 はっと背中を凝視するも、娘は振り返らなかったので、その顔は窺えなかった。 「糧を得、税を納め……それでも、戦があれば、こうして何もかも失ってゆく」 公家のために、武士のために。 「九郎さまお一人の所為ではございません。それは最初から分かっております。けれど」 農民の実りを掠め取って生きている。 「───お武家さまは、私たち民草に、何を返してくださるのですか……」 返す言葉もなく、九郎は唇を血が滲むほどに噛みしめた。 「望美……」 何と言ったらいいのか分からず、それで名前を呼びかけた九郎は。 「……!?」 咄嗟に周囲を見渡しても、特に異変はない。 ぱきり、と。 娘の頭上にある入り組んだ丸太の梁が、焼け焦げた木屑を撒き落としていた。
「───望美っ、そこから離れろ!」 「えっ……?」 ぎしっ。 「っ!!」 「きゃあっ」 説明したり迷ったりしている余裕はないと判断し、九郎は一息に間を詰めると、望美を突き飛ばして覆いかぶさる。 九郎がそっと、伏せていた身を起こす。 「……無事か?」 「───は、はい……」 望美は視線をあちこちにさ迷わせ、狼狽しながらも何とかそう返事をした。 「ありがとうございま───ぁっ……」 九郎に続いて身を起こしかけた望美が、不意に眉をしかめた。 「望美!?」 護りきれなかったのか、と九郎は悔やんだが、ざっと眺めわたして確認してみても、華奢な娘の身体も着物も、梁の下敷きになってはいなかった。 「あ、あの。少し、足首を捻っただけだと思います」 「捻った……済まん、俺が加減なく突き飛ばした所為か」 「いいえ。そうでなければ私、潰されておりました。御礼を申し上げねばなりません」 望美の言葉に九郎は嘆息し、その場に背を向けてしゃがみ込む。 「ほら」 「え?」 「乗れ。これ以上ここに居ては危険だろう」 もしかしなくとも、背に乗れということなのか。 「と、とんでもございません! それほど痛めてはおりませんから、どうぞご心配なさらず」 「適当なことを言うな。いいから乗れ」 「九郎さま!」 「───望美」 不意に色の変わった九郎の声音に、望美は思わず言葉を途切らせた。 「……これくらいは、せめてさせてくれないか」 「九郎さま……」 「それに、怪我をしたお前の足に合わせていては、夕までに戻れないぞ」 それは確かにその通りだったので、望美にはそれ以上の反論ができない。 ───だめだよ、誤解しては。 ぎゅっと袂を握り締めて内心で繰り返し、望美はおずおずと足を踏み出した。
続 |
**反転コメンツ**
語句説明:『足抜け』とは、要するに遊女が男と一緒に店を逃げ出すことです…確か。
遊郭特有の表現なのか、それとも従業員の夜逃げ全般に使われる言葉なのかは不明ですが、まあそんな感じ。
なんだか書きたいシーンがまたしても延びたんですけど(笑)!! なに、これは書くなっていう天のお告げなのか!?
まあそれは冗談ですが。つ、次こそリベンジ…。