違い

 

 ふと寝返りをうったことで、目が覚めた。どうやら本当に眠ってしまったらしい。

「───あ、お目覚めですか」

 少女のやわらかな声に迎えられて、九郎はぼんやりと瞬いた。身を起こせば、ぬくもりを吸った掛け布がずり落ちる。それをかけてくれたのだろう望美は、すでに芸妓の着物を脱いでおり、常と変わらぬ姿をしていた。
 そのことに妙にほっとしつつ、九郎は口を開いた。

「……今、何の刻だ?」

「丑の刻でございます。あの、言伝てがございます」

「俺に?」

 此処にいる間に自分への言伝てがあるとすれば、それは兄からのもの。にも関わらず寝こけていたのかと思うと、己の不甲斐なさに、鬱々とした気はさらに重くなった。
 先を促そうとはしない男に、少女は唇を閉じて許しを待った。

「…………、どんな」

「今宵は源さまがこちらでお休みになられるので、皆様もそのように、と」

「…………」

「明日、いえ、もう今日ですわね、今日いっぱいのご滞在だそうです」

「───そうか」

 交渉が大詰めを迎えていることは、兄の言葉を聞けば分かっていた。交渉とはすなわち駆け引きであり、こちらの要求を単純に押し通していけばよいというものでもない。加えて、冬が近づきつつあるこの季節では、思わぬ悪天候に道中難儀することもある。確証はないが、恐らく交渉相手が今宵は此処を訪れなかったのだろう。

 そこまで考えて一つ息を吐いてから、九郎は不意にぎょっとした。
 此処へ泊まったことは一度もない。兄の交渉が終わるまでの限られた時間を、望美をそばに置いて過ごしていただけで、用が終われば長居などしていなかった。
 けれど。今宵ばかりか、今日一日を此処で過ごすということは。

 この娘を前に、何時込み上げるか己にも分からぬ衝動を、押し殺し続けねばならない。

「ですから、まだごゆっくりとお休みになられても、構いませんよ?」

「……だが」

「お疲れのご様子ですし、どうぞお休みを」

「お前は、休まないのか?」

 望美はふんわりと微笑んだ。見ていた九郎の鼓動がとくんと一つ、不自然に跳ねる。

「言伝てをお伝えいたしましたので、私ももう、休ませていただきます」

 

 

 灯りを落とした室内に響くのは、二人ぶんの静かな吐息だけ。
 一方は穏やかなことこの上ない寝息だったが、もう一方は寝息になってはいなかった。

 ───寝られるものか。

 天井を見上げていた仰向けの姿勢からごろりと横を向きながら、九郎は内心で呟いた。
 もちろん、二人が休んでいる褥は、多少離れた位置に別々に敷かれたものだった。しかし少女とは逆の方向に身体ごと向きなおったというのに、九郎の意識は厭でも後方の華奢なぬくもりへと集中してしまう。それでも、不自然に紅い顔やもつれる舌を持て余してしまうよりは、暗くなって会話を交わす必要がなくなるほうが有り難かった。
 何度か寝返りをうつも、ひと寝入りした所為もあってか、睡魔は一向に訪れない。次第に馬鹿馬鹿しくなり、九郎はそっと身を起こした。窓からは意外に明かりが入り込んできており、余所の部屋からの賑わう物音───閨の睦言の響きが、多少伝わってくる。

 少女を見やれば、寝顔は一層幼かった。
 そんな娘に己が働きかけた暴挙を思い起こすと、背筋を悪寒が這う。

「望美……」

 小さく名を呼んでも、目覚める気配はなかった。
 それに僅かに力を得て、剣を握るための大きくごつごつと節くれだった掌が、そっと紫紺の髪に伸ばされる。散らばったそれをゆっくりと梳き、引っ張らないように注意を払いながら、その一房を持ち上げて唇で食んだ。
 途端に鼻腔に広がる甘い薫りに、全身を貫く熱に、九郎は瞳を閉じる。
 認めてしまうことを避けていた。恐れてすらいた。認めてしまえば、知られてしまえば、訪れた自分に対して望美が向ける澄んだ微笑を、やわらかな時間を、失ってしまうことになるから。
 それでも、誤魔化し通せる自信がもう、ない。

 

 ───欲しいと叫んで躯を駆け巡る、この熱を。

 

 かつて自分は少女に言った。『子供に手を出す趣味はない』と。
 確かにそのときの九郎にとって、それは紛れも無い本音だった。稚児趣味の者もいない訳ではないが、そんな性癖を自覚したことなどなかった。ならば見習いである彼女をそばに置いておけば、他の遊女たちにうるさくつきまとわれないだろうという目論みしかなかった。それだけの意味しかないと思っていたのだ。

 何処で何を読み誤ったのか。
 心根の強い娘だった。良くも悪くも武家の世界しか知らなかった九郎に、思いきり横面を張るような言動をしてのけた。そのくせ、ふとした折に見せる笑みや仕草はいとけなく、そうかと思えば印象的なまでの艶を帯びて舞う。望美の見せるすべてが不可思議で、あとどれだけの姿を隠しているのかと思うと、それを残らず引きずり出してやりたくなる。
 組み敷いて蕩かせば、どんな声で啼くのだろう。涙は蜜はどんな味がするだろう。まだ男を知らないその躯の中は、どれほど狭く熱いのだろう。

 知りたい。
 それは生まれ持った性ゆえの、肉欲。

「……愚かな」

 髪を握り締めた手には、いつの間にか白くなるほど力がこもっていた。
 九郎はそのさらめく糸を解放すると、ゆっくりと息を吐く。何にせよ、望美に己のこんな胸のうちを知られる訳にはいかない。手を出さないと言明したからには、それを覆すことなど武士の意気に反することだったし、第一彼女は遊女とは言え、まだ見習いだ。いずれ客を取る日も来るのだろうが、まだそのときではない。少女の躯も心も、まだその覚悟を決めていない。
 ふと、本来の意味での遊女と客としての望美と己の在りかたを、九郎は思い描いた。けれどその在りかたは、九郎が望む意味での情交とはかけ離れていた。

 この華奢な躯が欲しい。熱を交わらせて融け合いたい。
 けれどそれ以上に強く欲しているのは、望美自身の心だった。

「…………」

 無理な話だ、と九郎は自嘲した。ふっと短い溜め息が漏れる。
 最初から、尋常な出逢いではなかった。自分は武家で客で、望美は明日をも知れぬ身の上で遊女見習いで。たとえ自分がいくら関係ないと告げたとて、少女のほうではそれをうかとは信じまい。立場の違いとは、そういうことだ。時に言葉は通じず、心も通じない。

 ───心の無いままに躯をつなげても、意味は無い。

 九郎は再び、窓の外に目を向けた。
 何処かの部屋から漏れてきたのだろう、悲鳴のような女の嬌声が、微かに耳に届いた。

 

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**反転コメンツ**
うだうだ悩む九郎と全然気づかないで眠りこける神子。自分で書いておきながら九郎が可哀相になってきた…(笑)。
でもプッツンくるまでは、青臭いことで死ぬほど悩むのがこのヘタレのチャームポイントだと思うんですがどうでしょう皆様。(聞くな)
遊郭の実態なんて全然調べないまま書いてるんですが、コトが終われば泊まらないで帰るのが一般的なんですかね?
ここでのあにうえご一行は「仕事がらみできてるのでさっさと帰る」という方向で考えております。