芸妓

 

 華美な刺繍の絹地を差し出すと、女主人はあらと目を見張った。

「どうしたのです、その指は」

 言われて望美は、自分の左手に目を落とした。
 九郎に手当てをほどこされたままの指は、いささか不器用ではあるが、応急処置のために彼の着物の切れ端がぐるぐると巻かれていた。

「あ……指を針で突いてしまいまして」

「そんなことは分かっていますよ、貴女は本当に不器用なんですもの」

 溜め息と共にそう言われてしまえば、望美としては小さく縮こまるしかない。
 女主人は着物ではなく少女の指をじっと検分していたが、やがてああと頷いた。

「弟君ね? それは、どう見ても極上の絹ですもの」

「……は、はい」

「まあまあ。まさかあのお堅い弟君がねえ」

 納得して再び着物に視線を向けた女主人に、なんと言えばよいのやら分からず、望美はただ黙って俯くしかなかった。

「───よいでしょう。貴女の場合、仕上がりまで、あと半月というところでしょうね」

 びくりと震えた細い肩を、女主人は見て見ぬふりをした。
 此処にいる娘たちが特段不幸だ、という訳ではない。争いに巻き込まれて命を落とす者、明日の蓄えすら喰い潰して餓死する者、日照りや長雨に田畑の実りは容易に左右される。よしんば実りが期待できたとしても、付近で争いが起こればあっさりと奪われ火を放たれていく。それが、大多数の庶民───農民の暮らしだった。

 それを女主人はよく知っていた。そのまま放っておけば、路頭に迷った者たち同志が奪い合いを始めかねないこと、そうなればいずれは全員が殺されるなり餓えるなりで死んでいくこと。その状況からせめて命だけでも永らえるためには、娘たち自身が持つ価値を切り売りするくらいしか方法がない。
 すなわち、己の躯を売りものとし、春をひさぐこと。

「半月……」

 掠れる声で、望美はその日数を繰り返した。
 絹地が形になるたびに覚悟はしてきたが、そんなにも具体的な日付を挙げられると、やはり脚ががくがくと震え出すことを止められない。

「心積もりをしておおきなさい」

 絹地を渡してそれだけを告げると、女主人は踵を返した。
 娘たちに対して、自分に感謝しろなどとは思っていない。ただ、此処を出たところで行く宛てもないのなら、遅かれ早かれ死ぬだけだ。夜盗なぞに目をつけられれば、どのみち殺される前に躯を奪われる。
 ならばせめて、命と生活の保障だけでもされている、此処にいるほうが身のためだ。

「ああ、それと。今夜からお座敷に出るようにね」

「は、はいっ」

 遊女は単に春を売るだけではなく、座敷に華を添える芸妓としての役割もある。客を取るようになったばかりの娘にとっては、そこに並ぶ客から自分の馴染みを見つけるための場でもあった。そのために娘たちの誰もが一芸を持っており、望美のそれは三味線よりも舞に秀でていた。
 廊下に取り残された少女は、ぎゅっと華美な着物を握り締めた。その途端に、忘れかけていた指先の痛みが、ずくんとぶり返す。

「───九郎さま……」

 

 

「申し訳ありません。見習いの瑠璃は先日から少々、夜にも働かせております」

 丁重に頭を下げられつつ告げられた言葉に、九郎は瞬いた。

「繕いなら今までにもやっていたが……それとはまた違う仕事なのか?」

「はい」

 余計なことは一切口にしないのが、花柳界の掟である。
 女主人の微笑みも態度も、些かも普段と変わらぬものだったから、九郎はそれ以上の追求をしなかった。
 それにしてもどうするべきか、と九郎は内心で困り果てた。別の遊女を買えばそれで済む話なのだが、その選択肢は最初から脳裏にちらとも浮かばなかった。大体、それができるのなら、最初から見習いなど相手に求めていない。

 彼女以外の女と、時を共に過ごす必要などない。

「……遅くまでかかるのか?」

 女主人が瞳を丸くした表情を見やって、九郎は胸のうちで呟いたはずの声が、無意識に己の口から出てしまっていたことを知った。

「───っ、いや、そのっ」

「じきに引き上げてくると思いますが。……本当に、弟君は一途な方なのですわねえ」

「〜〜〜っ!!」

 ころころと笑う女主人は、珍しく九郎の兄の世話を別の遊女たちに言いつけると、先に立って九郎を二階の一室へいざなった。

「お待ちいただくなら、こちらにて。お武家さまを下働きの部屋に、お一人で放っておく訳には参りませんもの」

「……かたじけない」

 女主人の告げた理由は、道理が通っているように九郎には思われた。
 だから望美との時間を過ごしに来た自分が、その部屋に通された意味を、それ以上考えようとはしなかった。

「御酒をお持ちいたしましょう」

「いや───酒はいらん」

「そうお堅いことばかり仰らずに。もてなしの意向を汲むのも、お客人の意気ですのよ」

 見習いに部屋が与えられるということが、何を意味しているのかを。

 

 

 舞い終えた仕草のままにひるがえる裳裾を、酒が入って浮ついた客が面白半分に引く。

「なかなか見事。お前は私が買おう」

「お許しくださいまし。私はまだ、見習いの身ゆえ」

「なに、座敷に華を添えるには十分ではないか。褥でも華を咲かすこと、できるだろう」

 酔った相手はしつこい。それは分かっていたが、実際に酔客の相手をするのが初めての望美は、機嫌を損ねずに上手くかわすすべなど持っていなかった。
 困りきった妹分を見かねて、やや年かさの遊女がするりと割って入った。

「あれまあ、悔しい。私よりもその見習いのほうがよろしいと仰るのですか?」

「───おっ、天神太夫! いやいやお前さんの艶っぽさに敵う芸妓なんざ、いやしねえ」

「あらお上手ですこと。ならば佐藤様が今宵の私を慰めてくださいます?」

 遊女がちらりと望美に目配せをする。ありがたくも申し訳ない気持ちで小さく頷きを返し、望美は急いで座敷を後にした。あのまま留まっていたら、別の客にまで目をつけられる。
 もう部屋に戻って寝てしまいたい、と思った。着慣れない絹地など脱ぎ落とし、化粧も結い髪もさっさと取り払って、何も考えずに眠りたい。どうせそんな生活は、あと僅かな日々しか残されていないのだから。

「瑠璃」

 女主人に呼び止められて、望美ははっとしたように足を止めた。

「……はい。何でしょうか」

 仕事着を縫い進めるのは、昼間に終わらせていた。毎夜座敷に出ることが決まっているだけに、仕事の量自体は減らされて、その意味では楽になっていた。
 身体は、楽になった。
 けれど心は、日増しに重くなる。

「源さまの弟君がおいでですよ。貴女の部屋に通しておきました」

「え!?」

 彼らは毎日欠かさず来るという訳ではなかった。遊郭として以外の用があって来ているらしいのは薄々感じていたが、もちろんそれについて問うたことはない。ただ、九郎は飽くまでも兄の供として来ていたから、兄が来ない日は彼も当然ながら来ることはなかった。
 部屋に通されたと知って、望美はうろたえた。彼女が自分の部屋を与えられてから、九郎が此処を訪れてきたのは初めてだった。

「御酒を用意させましたけれど、終わったのならお待たせしないようにね」

「…………、はい」

 

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**反転コメンツ**
神子の仕事始めまでカウントダウンです(爆)。お座敷の客と先輩遊女は特にイメージキャラはいません。
いや…本当は先輩遊女はシリン姐さんのイメージにしたかったんですがいえいえ何でもありませんよ気のせい気のせい。
九望と言えばやっぱり舞もキーポイントですよね! 楽器弾けるような繊細な指はきっとしとらんよケモノ神子だから!
それにしても私はどうやら自分で自覚している以上に、政子さんが大好きらしいです(笑)。