誇り

 

「お前はいつも縫い物をしているな」

 何度目かに訪れてきた九郎が、ある日そう言った。心底真面目な表情で。
 望美は小さく笑うと、手にしていた布地を膝の上に広げた。女主人の許可を得た上でこうして過ごしているとは言え、見習いに与えられる仕事の量に変わりはない。ことに手先のあまり器用でない少女は、夜通し起きて針を動かさねばならないこともしばしばだった。

『お針仕事をしながらの同席でも、お許しくださいますか?』

 ひどく真剣な顔をして何を言うかと思えば、少女が懇願してきた内容のいとけなさに、九郎はひとしきり笑ってそれを許した。今宵の布地は簡素なもので、九郎の目にも、彼女が自身にまとう着物を縫っているのだと分かった。

「……見習いでございますから」

「下働きと同じように、俺には見えるが」

 それでも彼女は、下働きではなく、いずれ客を取るための見習いなのだ。
 そう考えると、己の心の臓がぐいと何者かに掴まれるような心持ちを、九郎は持て余す。それを憐れみだと九郎は思った。刀を振るう自分たちの影で、力のない者たちが悲嘆に暮れる。自分にとって、その分かりやすい象徴こそが望美であって、だから彼女の境遇を憐れに思うのは自然なことなのだ。
 その感情がどこから生まれるものなのか、突き詰めて考えようとはしなかった。
 この時は、まだ。

「望美」

「はい、九郎さま」

「お前が此処に来たのは、いつ頃だ?」

「え……?」

 針を動かす手を、望美は止めた。止めずにはいられなかった。
 此処に来た頃。両親を、住む家を、生まれ育った村を、いちどきに喪った頃。それはまだ生々しすぎる記憶として、望美の全身に刻み込まれている。

「…………」

「二月ほど前───ではないのか?」

「っ!」

 びくりと震えた華奢な肩に、やはりそうかと九郎は深く嘆息した。

「ならば俺の所為だな」

 

 

 二月ほど前、兄の命で、この町からほど近い場所で小競り合いを制した。規模自体はさほど大きくもなく、勝ったこちらの被害は軽いものだったが、落ち延びていった敵の武者くずれが、方々の村に略奪を仕掛けて火を放ったと聞いた。
 恐らくは彼女も、そのために生きていくよすがを失くしたのだろう。

「俺が……武家が、憎いか」

 すっかり手を止めて俯いてしまった望美は、小さく震えていた。肩を引き寄せてその震えを止めてやりたい、と思ったが、手を伸ばすことは九郎にはできなかった。
 彼女は憎む権利がある。
 ささやかな営みを奪っていった落ち武者を、武家を───九郎を。

「そうならば、話相手を無理に務めずとも……」

「いいえ」

 少女の膝に広がった布地に、はたりと雫がこぼれ落ちていくのを、九郎は見つめた。

「憎むのはつらいことでございます。自分をもっと苦しめることでございます」

 布地の染みはどんどん増えていく。それに従って少女の声が湿り気を増す。

「生き残った私がいつまでも苦しみに囚われていたら、死んだ両親に申し訳が立ちません。真実不幸なのは、生き残った者ではなく、生き延びられなかった者です」

「…………」

 言葉に詰まった九郎の前で、望美は顔を上げた。
 その拍子に、白い頬をつぅと雫がつたい落ち、それがひどく美しいと思った。

「私を憐れに思ってのお召しなら、九郎さまこそ、このような見習いを相手にするのはお止めくださいませ」

 凛と前を見据えて。
 初めて瞳を見交わした時そのままに、真っ直ぐに澄み切って美しく。

 誇りの何たるかを、武家でもない年下の娘に示されて、九郎は声を失った。

「───お姉さまがたのどなたかをお呼びいたします。御前失礼を」

 居住まいを正して畳に額をつけ、望美がすいと立ち上がろうとした。
 その時になってようやく、固まっていた全身が息を吹き返し、九郎は咄嗟に少女の小袖を掴んで引き留めた。

「ま、待て!」

「お話であれば、お姉さまがたの方がお上手です。お戯れはお許しくださいませ」

「望美っ!!」

 ぐいと引き寄せる。小さな悲鳴と共に、小柄でやわらかなぬくもりが腕の中に転がり込んできて、ふわりと甘い薫りを鼻腔に感じた。
 けれどその時の九郎に分かっていたのは、望美に詫びて許しを貰えぬうちは、自分自身を許せないと感じている、その罪悪感だけだった。どうしてそこまでこの娘に拘る必要があるのか、その理由など気づいてもいなかった。

 ひどく単純な、その理由に。

 

 

「……埒もないことを言った。済まん」

 望美は答えず、ただ黙って九郎の腕の中にいた。
 それでも九郎にとっては十分だった。振り払われてしまえば、さすがにそれ以上の無体を強いる気にはなれない。彼女と自分の差異を挙げればきりがないほどで、そしてどれを取っても、自分のほうが彼女よりも強い立場だった。
 強者の力は、弱者を護るためにこそ在る。
 決して、己の欲を満たすために、無理を強いるために在るのではないはずだった。

「お前は強いのだな。武家の俺などよりも、ずっと強く美しい心を持っている……」

「…………」

「本当に、済まなかった」

 自分の髪を梳きながら詫び続ける九郎の声が、望美の中に染みとおっていく。
 別段、腹を立てたのではなかった。ただ、彼とてやはり武家だから、庶民の真実の悲惨さなど分かっていないのだ、と理解しただけだった。それは九郎に責任があることではなかったし、筋違いの憐れみならば受ける必要はないと思った。
 そうでなければ誤解してしまう。

 彼が、自分自身を、気にかけているのだと。

「……いいえ。私こそ、出すぎたことを申し上げました」

 互いの身を寄り添わせる、ひととき。
 遊郭であればすぐに訪れるはずのその時を、二人はこの日、初めて迎えていた。触れた場所からぬくもりと、それ以上の相手の優しさを感じながら。

 

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**反転コメンツ**
『しおらしげな神子もたまにはいい』とかほざいた舌の根も乾かないうちに、めっちゃ強気神子が降臨した(爆笑)。
うん、やっぱ神子は九郎に対して言い返すくらいのバイタリティが欲しい。勢いとか乱暴さとかはゲームほどなくてもいいけど。
この九郎は基本的に坊ちゃん育ちです。本当に明日のメシにも困る状況なんて経験したことないし、だから庶民の気持ちは分からない。
理解しなくてもいいとは思ってないけど、まだまだ勉強不足。それを神子がはっきり指摘した形です。