よひよひに

 

 好きでもないくせに。

 

 

「先輩、甘いの好きでしょう?」

 譲がそんな言葉と共に差し出してきた椀からは仄かに湯気が上がっていた。望美が中を覗き込むと、とろりと白いものが満たされている。くんと嗅ぐと米の芳香がした。人工のどぎつさに麻痺しきっていた五感は、突如放り込まれた戦乱の世界で鋭く磨かれている。望美の場合はその長さに逆鱗で巻き戻した分も加わるから尚更だ。

「甘酒を作ってみたんです。もち米を使ってよく寝かせたから、甘みが深くなってると思うんですが」

「ありがと、いただきます。……ん、おいしーい」

 儚い甘さは頼りなく舌の上に融ける。それでも甘いと確かに分かる。じんわりと染み渡る癒しに望美の頬は綻んだ。
 この世界にあって甘味は貴重品だ。甘蔓や蜂蜜は容易く庶民の手に入る物資ではない。伝手を頼って入手できるのは今の源氏───望美たちが身を置く勢力が流れを我が物としつつあるからだった。

「あれ? そっちのお鍋と湯呑みは何?」

 甘酒とは異なるものが入った鍋を見つける望美の目敏さに、譲は苦笑した。食べ物に対する執着心が旺盛であることは、幼馴染みゆえに熟知している。だからこそ先日、夕餉を要らないと言ってきた時は心配したのだが。体調を崩したのだろうかと気をもんだ。
 それがきっかけの一つともなり、それを作ろうと思い至ったのだった。譲はそんなことを考えながら鍋を持ち上げ竈から降ろした。火にかけすぎて煮えきってもよくない。

「玉子酒です。景時さんたちが夜遅くまで忙しそうなので、風邪の予防がてら寝酒に勧めてみようかと思って」

「へえ……」

 言いつつ望美の気配がそわそわと落ち着かないものになる。譲の苦笑が深くなった。

「こっちも味見してみますか?」

「いいの?」

「ええ、ちょっと待っててください」

 言いながら譲は玉子酒を仕上げ、まず望美の空になった椀にそれを注いだ。それから湯呑みに注ぎ分け、盆に載せる。鶏卵への拒否反応がないことはプリンで確認済みだ。男性陣は総じて甘いものも酒もいける口であるので、突き返されはしないだろう。
 その間に一気に椀を傾けた望美は、ぷは、と息を吐いた。

「ふわー……なんか、甘酒とはやっぱり違うね」

「そりゃ、本物の酒を使いますから。甘みは砂糖がないので蜂蜜です」

「そっかぁ。んん、身体がぽかぽかしてきた感じ〜」

「甘酒も玉子酒も、寒い夜の定番ですしね。じゃあ俺、みんなにこれを届けてきます」

「あ、いいよー。私が行くよ。譲くんはここの後片付けとかもあるでしょ?」

「えっ……あ、先輩」

 譲の返事を待たずに望美は盆を奪い取った。そのままくるりと背を向け厨を出れば、照明器具などない暗がりに細い背はすぐに呑まれて見えなくなる。
 その足取りが覚束ないものではなかったかどうか、見定める時間は譲にはなかった。

 

 

「お届けものでぇ〜す、ハンコくださぁい」

 場違いな声に九郎は半眼を眇めた。意味自体が不明瞭な上、現状では諍いを起こして避けられている筈の相手からかけられる言葉ではないと思う。
 九郎が振り向く間にその声の主は勝手に房の中へ入り込んでいて、脇にちょこんと膝をついた。手に持っている盆の上には湯呑みが一つ。黄色い液体からほわりと白いものが立ちのぼる。なんだろうかと内心で首を捻る気配を読んだのか、望美が口をひらいた。

「譲くん特製の〜、玉子酒でぇす! 九郎さんが最後だけど、まだ冷めてないよ」

 ───妙な間延びを随所に挟みつつ。
 九郎は更に首を傾げつつ、ひとまず盆から湯呑みを取り上げた。彼女が作ったものでないなら、口に入れても支障はないだろう。

「酒なのか? たまご……黄色いのはそのせいか」

「はい〜。蜂蜜入りだそうです。たまご入りだし、あれこれってオトナの蜂蜜プリン?なんちゃってぇ」

 ほにゃほにゃと締まりのない笑顔を晒す望美はどう見ても酔っていた。それを捕まえて説教する気にならなかったのは、そんなふうに無防備に緩んだ態度の彼女を見るのが久方ぶりだったからだ。己が下手を打った所為なのだが、このところとみに避けられるようになっていた。詫びて話をしようとしても、なんのかんのと見え透いた理由をつけて逃げられる。
 それに比べれば。正気でないとしても、こうして己にも笑みを見せてくれるのなら。
 望美の上機嫌を打ち砕く苦言など、口に出す気にはなれなかった。少なくとも今は。

「そうか」

 湯呑みを置いた盆は、望美が今も抱えているものではなく、最前から九郎のもとにあったものだ。徳利と杯の脇に湯呑みが並ぶ。望美がぱちりと瞳を瞬かせた。

「あ、もうお酒呑んでる」

「ん? ああ、もう宵は冷える時期だしな。俺にはこれくらいがちょうどいい」

「おいしい?」

 言いつつ無造作に手を伸ばしてくる望美。白く細く嫋々としたその風情に魅入られかけ、はっと気づいて九郎はその手をやんわりと払いのけた。

「何をする気だ。こぼすのが関の山だろう、手を出すな」

「おいしい?」

 人の話を聞いていない。望美に限っては酔っていなくても時折発揮する性質だ。それが酔っているなら尚更であろう。

「お前、もう酔ってるだろうが。これはお前には強い、やめておけ」

「おいしい?」

 声を荒げることだけは自制するが、さすがに九郎も相手をするのが煩わしくなってきた。心なしか望美の目つきも据わっている。
 このまま望美の目の前に酒を置いておくのは埒があかない。そう結論づけた九郎は徳利の中身を角盥に空けた。あ、と小さな声があがるのを無視し、杯をぐいと干す。これでこの場に酒はなくなった。望美の持ち込んだ玉子酒とやら以外には。

「もったいない。ずるい」

 勿体無いはともかく何が狡いに当たるのか不明なまま、九郎がそれを追求するきっかけは失われた。伸びる、しろい、手。それが己に向かってくる。その意味を咀嚼する暇もなく、嫋やかな重みと熱が首周りにかかる。

 濡れた翡翠がごくごく間近で伏せられる。
 艶やかに熟した果実のような唇。
 そこから洩れる甘い、熱い、微かな風。

「んっ……むぅ……」

 ちろりと濡れた感触が唇を這う。呆気に取られた隙に口元が解けた。驚愕した拍子で酒は既に嚥下していたが、芳香を楽しむように口腔で転がした残滓はいまだ居座る。そこに入り込んだ小さな侵入者はひどく熱い。火照るような熱を帯びているくせ、銘酒の痕跡を感じ取った途端、火傷でもしたように慄いて引っ込んだ。

「……にっがぁいぃ」

 辟易したように呟く望美の唇を九郎は見つめていた。
 たった今まで己の其れに触れていた、唇を。

 ───ついかっとなったのは、やはり己も酔っていたからなのだろうか。

 暴挙を働いてきたのは望美が先だった。だからそれに対してこちらが意趣返しをしようと思い立ったとしても、さほど責められた筋合いではない。
 細い肩に腕を回して引き寄せ、離れたばかりの距離を埋めた。んぅ、と詰まった声が上がるのを呑み込むように舌を絡める。華奢なやわらかな肌が強張ったのには気づいていた。それで止めてやる義理もないだけだ、と嘯く己はやはり酔っているのか。厭がって身をよじる仕草を押さえ込むのは容易いことだ。膂力も体格も、男のほうが娘より勝る。だからこそその優劣に訴え無理を強いることを戒めている───普段であれば。

「───っ……ふ、ぅ……」

 甘くて甘くて、気が狂いそうだ。
 彼女は一体何を呑んで酔ったのだろうか。隅々まで確かめるように味わう舌は甘いばかり、酒の味などしなかった。とろりとした味は彼女が喜んでいた卵菓子を思わせる。何より、彼女自体がひどく甘い。味も薫りもやわらかさも、声も。

「…………は、っ」

 解放したのは気が済むまで嬲り尽くした後。絡ませても既に甘い味は分からず、それはつまり味も温度も一つに融けあった後であるからだ。
 望美を見下ろせば、閉じられていた瞼をゆるゆると持ち上げるところだった。長い睫毛に絡んだ雫が堪えかねたようにこぼれ落ち、白い頬をつたって濡れた痕をつくった。

「……き、じゃ、ないくせに」

 掠れた声すべてを聞き取ることはできず、九郎が問いかけようとする前に望美は再び瞳を閉じた。こてりと小さな頭が九郎の胸元にもたれかかる。
 吐息が規則的な寝息に変わっても、九郎はしばらくそのまま望美を抱きとめていた。

 

 

 そのまま望美の寝間へ本人を運んで放り込むべきだったのだろうが、物事の是非を判別する基準が鈍化した理性はそれも面倒だと一蹴した。呑まれて醜態を晒すほど酒に弱い訳ではないが、やはり酒精を口にすれば常とは異なる己が意識の表層へ顔を出す。
 床に転がすのも寒かろうと思えば、一つきりの寝床を使わせるしかない。どうせ戦の準備が押しているのだから、これから徹夜で仕上げてしまえば何の問題もないだろう。下世話な話題で痛くもない腹を探られる不快さは、この娘と知り合ってから否応無しに慣らされた。

「…………おい」

 そこまで割り切ってやったのだ。それ以上を譲歩する余地がどこにあるだろう。
 そう訴えてやりたいほどの神聖なる神子は、いつの間にか九郎の袂に縋りついてしっかと握り締めたまま眠りに落ちていた。外させようと手を重ねれば、その小ささにぎくりと背が強張った。己の手ですっぽりと覆い包めるほどの拳。細い指。気を取り直して力を込めた瞬間、厭がるように繊手がきゅぅと縮まった。ちいさくやわらかないのちの塊は、捕まえたぬくもりを逃がすまいと擦り寄る。寄られた側の困惑など露知らぬまま。

 不意に、遠い北国での記憶を擽られた。
 拾った犬の仔を伽羅御所の子息に託したが、彼はとんと世話をする様子もなく放っておくだけだった。どうにも不安で餌を与えに連日通いつめたため、仔犬も九郎を忘れて吠えかかることはなかった。腹くちくなった仔犬は九郎の懐に潜り込むのが大層好きで、そのまま寝てしまうことがよくあった。母と兄弟のぬくもりを求めていたのかもしれない。

 九郎は深く息を吐いた。
 掴まれた袂をそのままに、寄り添って傍らに身を横たえた。片手を上げて望美の背を撫ぜる。あの頃よく仔犬にしてやったように。

「───好いてもいないくせに」

 こちらからの唇を拒んだ。解放してやったら泣いた。ということはつまり己を嫌っているのだろう。少なくとも好いてはいない。
 それなのに、縋りつくような掌で擦り寄ったまま眠りに落ちる娘。

 酔いに任せた挙動の記憶はこの宵だけのものだろう。明けた朝には消える泡沫の夢。
 それを願って───否、願っているのだと己に言い聞かせながら、九郎もまた瞼を閉ざして夢路に身を委ねた。

 

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**反転コメンツ**
寝床で密着してるのに甘くねぇという詐欺話をハピバSSにするつもりだった生粋の切な萌えですが何か。
しかも当日に書き上げることすらできずに11月終了間際でやっとこ書き上げるという極道っぷりを晒しました土下座。
や…甘くしようしようとして逆にドツボにはまったんで…自分の嗜好(=ビバすれ違い)に正直になるほうがマシかなぁと。
「九望の晩秋」ならではのネタっつったらやっぱコレだろ、と。内容はこんなんですがおめでとう御曹司!