| どんなに手を伸ばしても届かなかった。 だって私とあのひとの間には、頑丈な木の枠が立ちはだかっていたから。 困り果てたあのひとが精一杯に指先を伸ばして拭ってくれても、耳にかけた髪をゆっくり梳かれても、ためらいがちにそっと掠めた唇のぬくもりさえ。 いつまでも止まらなかった涙だけを鮮明に憶えている。
九郎はふと顔を上げた。何かが聴こえたような気がした。 「ぅ、……ん……」 はっきりとうなされて再度寝返った望美の涙が止まりそうになかったので、九郎はそっと手を伸ばした。 「……望美」 もがくように掛け布からはみ出た掌を捕らえて握る。華奢なつくりだと改めて思う。力任せに握り締めれば壊れてしまいそうで、だから恐る恐る力を込めた。壊さないように、けれど確かにここにいるのだと伝わるように。 「───ゃだ……く、ろう、さ……っ」 途切れがちに紡がれる己の名がこれほど痛みを内包しているのは何故だろう。夢の中でさえ、己は彼女を哀しませているのだろうか。 起こすつもりはなかったのだ。 「…………くろう、さん」
ぽろぽろとこぼれ続ける雫が真珠のようだと、場違いなことを九郎は考えていた。こちらの首に腕を回してしがみついて震える望美が、うなされるような夢の続きで少し寝ぼけているのかもしれないと思う。だからすぐに力で引き剥がすことはせず、落ち着かせるように髪や背を撫ぜた。
夢なのか、ほんとうなのか、よく分からなかった。 ───嗄れるほどに叫びたかった声は言葉にならず、ただ涙が止まらなかった。 「…………!!」 ひゅっと息を呑む音が耳の奥に響いたのは、詰めた息を吐いた後だった。 「望美、どうした」
静かな声に望美は泣きながら首を振る。そんなふうに話さないで。もっといつものように、照れて、それを隠そうとして大きな声でわめき散らして。何をやってるんだと文句を言って、私を振り払って。 「まだ熱があるんだから、横になっていないと駄目だろう」 振り払ってほしいと思っていた筈なのに、気遣いに満ちた仕草でそっと横たえられるから涙は一層止まらなくなる。九郎が優しく穏やかな態度で自分を包むほど、あの暗い牢での記憶が望美の中に現実味を増していく。 「ほら、離せ。いつまでもこのままではお前が眠れんだろう」 ただ泣いて、首を振って。それだけしかできなかった。まるで赤子のようだ。 「ずっと、ついているから。な?」 それでもいやだと、顔を埋めた首筋のあたりに囁いた。 「……仕方ないな」 抗えない力で腕を引き剥がされ、望美は悲嘆に暮れて九郎を見上げた。しかし彼のぬくもりは望美の片手しかりと握り締めたまま、掛け布を捲り上げて傍らにすべり込んできた。増えた体温、息遣い。二人で横になると狭く感じる寝具の中、ぎゅっと抱き寄せられ、身体ぜんぶを九郎に押しつけられる。 「これなら、いいか?」 「……うん……」 熱に浮かされていた望美には結局のところ、夢なのか現実なのかは判断できなかった。
了 |
**反転コメンツ**
私にしては珍しくシーン先行で降ってきたネタです。風邪かなんかで寝込む神子と世話係の九郎。
『ほんの軽いキス→腰越フラッシュバックで泣き出す神子』というのが書きたかったシーンであります(笑)。腰越ラブ!
あと個人的には『服着たままR系方向なしで同衾』というのもテーマです(爆笑)。うちの御曹司はいつもがっつきがちなので。
一応無印ED後舞台とはしてますが、腰越を経験してれば別に十六夜ED後でも構いません。