高嶺の花

 

 禁忌とされればそれに一層惹かれるのが人の常というもので。
 その煩悩を完全に絶ちたければ、最初から近づかないのが我が身のためなのだ。

 

 

 九郎がさっぱり分からない些細なことで、その神子は即座に空気の喜怒哀楽を変える。
 つい今しがたまで笑っていたかと思えば途端にむくれ、そうこうするうちに瞳に大粒の涙を溜めていたりするのだ。周囲いわく九郎に非があるのだそうだが、己の何に問題があるのか、九郎本人にはまったく理解できない。そうである以上、望美が九郎の前でくるくると感情を豊かに表すのは、平穏なごく普通の日常の一部となっている。

「九郎さんの馬鹿っ!!」

 今日は泣くまでいかずに怒りの段階で終わったらしい。望美の叫びを耳にした仲間たちが考えることといったら精々その程度で、誰もその少女と、彼女の罵声を浴びた男を心配する者はいなかった。何しろ連日のことなので、いちいち気に留めるのも阿呆らしい。もちろん、尊い神子様のご機嫌を損ねた馬鹿者に対して、一部の者たちから他愛のない報復が行われるのではあるが。
 仲間たちは概して、かの少女に甘かった。

『可愛いひとの味方になってあげるのは当然でしょう?』

『男と女が諍ったら、女が正しいって世の中は決まってるのさ』

 頼んでもいないのに口だけ挟んでくる朱雀の男どもは、そうした薄情な台詞ひとつで九郎の肩を持つことを拒否した。もっとも九郎とて、彼らの加勢を求めるつもりはなかったが。

『またなんですか。もう、九郎殿もいい加減に、少しは望美のあしらいを覚えてください』

 彼女が大体において泣きつく相手である対の娘は、そう言って嘆息する。己が直接迷惑をかけているのではないが、間接的に被害を与えていることになるので、申し訳ないと頭を垂れるしかない。だが、あしらいを覚えろと言われても、どこに問題があるのか。

 上辺だけの言葉をつくろうなど無意味だ。
 感じたことをそのまま口にしているだけなのに、望美は怒りを示す時がある。

「無闇に誉めそやされるのを求める訳でもあるまいに」

 九郎が認めた戦神子は、そんな驕慢な女ではない。
 少なくとも今までに目にしてきた女の中で唯一、背を預けてもいいと思った相手だ。慢心せず、常に努力する。たまに時間の空いた折には稽古をつけてやるが、そのたびごとに彼女の腕前は上がっている。昨日より今日、今日より明日。そのひたむきな剣がひどく眩しく目に映り、ああそれだからこの女が神子に選ばれたのか、とも考える。
 それが気に食わないのだろうか、望美は。

「……女というのは、分からん」

 

 

 そんな諍いから数日後、板敷に転がって眠りこける神子を発見したのは何の偶然か。
 暑い日ではあった。日陰にいれば少しは凌げるが、熱せられた空気が澱んでいるのが目に見えないのが不思議なほどだった。かく言う九郎自身、茫洋とした頭ではろくに執務にならないので、先ほど頭から盛大に水を被ってきたところだった。無論、衣は着替えて整えてある。他者の目があるのだから、最低限の身だしなみというものだ。
 その最低限のはずの気遣いが、目の前の娘からは綺麗に抜け落ちているらしい。仮にも女の身であるのに───その言い方がまた彼女の不興を買うのではあったが。この場合『仮にも』が引っかかるのか、それとも『女の身』と一まとめにすることに対して反発するのか、それは九郎にも、そして彼女自身にも曖昧なのが厄介だった。
 ともあれ、無防備に投げ出された足が非常に目の毒である。薄衣の一枚もかけてやらねばと近寄った時、水気を含んだ九郎の髪が一房、望美の近くに落ちた。ひやりとした感触が伝わったのか、望美がむにゃと唸りながら橙の束を引っつかんだ。

「っ、おい!」

 驚いてつい上げた声にも、望美は目覚めなかった。
 手の中に収めた涼気の水分をいとおしむように、色づいた柔らかな唇がはむりと九郎の髪を食んで、芳しい吐息でもって橙を擽らせる。

「…………っ」

 こくり、と喉が鳴ったのは、暑さのせいだ。
 頬が自覚できるほどの勢いで熱を溜め込んでいくのも、すべて、暑さのせい。

「……ん、……ぃしく、ない」

 望美が何かをもごもごと言い、やがて上がった瞼の奥から、ぼんやりと翠の色が覗いた。

「……あれぇ。くろう、さん?」

「…………」

 何を言ったらいいのか分からずに九郎が固まっていると、望美は寝ぼけていたのか、再度瞼を閉じてしまった。
 緩んだ白い指先から己の髪がすべり落ちていくのを、ひどく惜しいと感じるのは一体何故なのだろうか。穏やかに深まる寝息のあどけなさが憎らしく、こちらの動悸を少しは引き受けてみろと思う。

 白く、細く、やわらかくて華奢な。
 仄かに甘い薫りのする。

「───まったく、まるで神子らしくない神子だな、お前は」

 九郎は呟き、嘆息した。
 神子であるならもう少し神聖さを保つよう心がけてみろ。これではただの娘ではないか。
 ただの、触れて愛でられるべき、娘のよう。そうできる相手ではないのに。
 懐に入れて衣を交わして、そんな俗世の契りが赦される相手では、ないのに。

 天女を恋うて、何になる。
 所詮実らぬものなのに。

 動く気も失せ、九郎はそのまま、望美の傍らに胡坐をかいて座り込んだ。
 見ているだけと決められた華が、少し手を伸ばせば届いてしまう距離。
 それは至福だろうか、それとも酷と言うべきか。
 いずれにせよ神子を護る八葉として、九郎はその距離から逃げる訳にはいかないのだ。

 

 

 目で見て愛でることができるのに、手を伸ばしても届かない。
 そんな一線を保った距離だったなら、どんなに楽なことであろうか。

 

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**反転コメンツ**
九郎がひたすら悶々としてる話を書きたかったので、季節柄、夏をからめた小ネタでした。
ツンデレというのはかなりの確率でむっつりなんじゃないかと思います。脳内ではデレてるってことなんでしょ?
まあ正確な定義うんぬんは脇に置いておくとして、私が書くと御曹司は大抵むっつりになります(爆笑)。
神子は自分がどんな目で他人から見られてるかもっと自覚したほうがいいと思います。(譲も含め)