| 春よ、春よ。 移ろい往くその歩みを一時でも緩めて、どうかとこしえに。
「……お前は、何をしている」
軍装した船の甲板にちょこんと座っている春色の娘は、あまりに場違いな印象を九郎に与えた。昼間ならいざ知らず、今はもう宵。彼女の名を意味する満ち欠けの輝きが、漆黒の天空に澄んだ光を投げかけている刻限。いつもの通りに、とっくに休んでいると思っていたのに。 「お月見でーす」 「一人でこんな夜更けに……さっさと寝ろ、馬鹿」 「やだ。それにもう一人じゃないでしょ、九郎さんがいるもん」 妙に間延びした舌足らずな言葉に内心で首を捻れば、彼女の傍らに置かれた壷と器に目がいった。よく見慣れた形のそれを、しかし神子の傍らに見かけたことは、短くはないこの一年の間にもなかった気がする。 「お前、どこから酒なんぞ持ち出してきた」 「持ち出してきたんじゃなくて、もらったんです。甘酒、おいしいですよ」 言いながらも神子は器を口に運び、白い酒精を舐めた。 「もうすぐ春なんですね」 ゆたゆたと流れる潮の上、ふわりと細い爪先が弧を描く。寒さ避けの薄絹をまといつかせたその手足の、呆れるほどに華奢な線を何故か正視できなかった。 「やめろ。落ちたら敵わん」 「そんなへましないですよー」 ふわふわ笑う望美は、けれど酒のせいか、普段よりも一層危うげだった。 「……九郎さんも飲みたいの?」 「いらん。お前の口に合う酒では、俺には甘すぎる」 「じゃあ返してくださいよぉ」 間延びしたままの声で不満を洩らしながら、望美はゆるりと手を伸ばした。 「いい加減にしておけ。もう休まないと、明日に差し支える」 「……だってー、せっかくお月見してたのにー」 「月見なんぞ落ち着いたらいくらでもすればいいだろう」 望美は人のぬくもりに安心したのか、そのまま動物の仔のように、すりすりと九郎の胸元に頭を摺り寄せた。
「落ち着いたらって、私、その時にはもう帰っちゃってるもん」
甘やかな音で紡がれる声は、氷塊となって男の内側を凍てつかせた。 「こんなに綺麗な夜空なんて、見られるの、あと少しだもん。戦が終わった後は、神子はもうお役御免だもん……」 そうだ。約束したではないか。 「だから、今のうちにいーっぱい、見ておきたいんです。星も月も海も季節も、何もかも」 答えるべき言葉を見つけられず、九郎はただ、呑み込んだ息をゆっくりと吐いた。 「……望美……」 ───ずっと傍らに在るのだと、思い込みかけていた。 「ねえ九郎さん。この世界はとてもきれいですね」 歌うようにそう紡ぐ彼女こそが、何よりも儚いひとだったのに。 「きれいで、残酷で、哀しくて……でも、だからみんな、一生懸命に生きてる」 「…………」 「───私、この世界が好きですよ。だから護りたい。戦を終わらせたいんです」 支えた腕の衣をぎゅっと掴まれた。
終わらねばよいと、刹那、本気で思った。
「……ああ、頼りにしている」 口に出すことすら認められない愚かなのぞみ。
春よ、春よ。
了 |
**反転コメンツ**
特に桃の節句がらみの内容ではないですが、春舞台なのでカテゴリとしてはなんとな〜くそんなイメージ。
共通ルートあたりではあっさりさっくり「元気でな」とか言い出しそうですこの鈍感。で、別れた後に無性に寂しくなる(笑)。
年度末が3月な日本において、春は出逢いの季節であり別れの季節でもあり、無性に人恋しくなる季節な気がします。
生臭くない透明な雰囲気を描きたかったのですが、なんか消化不良…り、リベンジします(^^;)。