| 「九郎さん、ほら早く早く!」 常緑樹を背にして望美が笑う、その無邪気に弾けるような表情。何だかんだ言いつつも、こちらがそれにとことん弱いということを、この少女は知っているのかいないのか。 「足元を疎かにするな。お前のことだ、転ぶに決まっている」 「平気ですよ、あっちの道に比べれば舗装されてる分、ずっと歩きやすいじゃないですか」 「……まあ、それはそうだが」
そんな会話を交わす二人のじゃれ合いは、恋人同士にしか見えない。初対面の他人の目にもごく自然にそう見えるようになるまで、この、素直なくせに素直でない不器用な男女には、かなりの時間が必要だった。
『この日だけは何がなんでも予定を入れないでください。私が予約します』 九郎の部屋にかけられている、望美が持ち込んだカレンダー。 『午後はもともと何もないぞ』
平日がその日で終わる、週末の午後。誰しもが休日の予定に心を弾ませ、恋人たちにはつかの間の蜜月ともなるその曜日は時折、望美が押しかけてきてはそのまま泊まっていくようになった。そのパターンを、口ではどうのこうの言いつつ、男の本音の部分では九郎も受け入れていた。午後に予定を入れないようにしているのは、密かな期待の表れだ。 『一日中なんにも、です』 九郎は首を縦に振らざるを得なかった。何と言うかもう、断ったが最後、包丁でこの身に花断ちを披露されるのではないか、とすら思わせるほどのすさまじい形相だったのだ。神子と対峙した怨霊はこんな恐怖を感じていたのだろうか───と、今になって九郎はかつての敵にこっそり同情を覚えた。 「おはよーございます! さあ行きますよ!!」 その当日である、今日。 「京都に行くの。今日はお天気もいいから、山登りしましょう」 「きょうと……?」 「分かりにくいかな。―――京の、都です」 きょうの、みやこ。 「こっちの世界の京都だから、あっちの京とまるっきり同じじゃないけど。でも、似てるところもたくさんありますよ、きっと」 「……何故、急に」 少女はにこりと笑った。 「九郎さん、お誕生日おめでとうございます」 彼女の返答は、彼の質問の意図からは微妙に外れていた。
「やっぱりいろいろ似てるでしょ?」 「そうだな。先生の庵はこちらの方角だったか」 「あ、道を逸れて勝手に入っちゃダメですよ。参拝の道順は限られてるんだから」 「そうなのか? 残念だな、せっかく訪れたというのに」 「私も残念ですけどね。そもそもあっちの鞍馬とは違うから、先生の庵はないと思います」 二本の足が頼みの綱だったあの世界を踏破してきた身には、鞍馬の山中を歩き回るのもさほどの労力ではない。道中で随所に設けられた休憩所を必要とせず、九郎と望美の足取りは軽いままだった。 「……そうは思えんほど、似ているな」
九郎の声に滲む慕わしさを自分も共有しているから、望美はそれを不安に思いはしなかった。こちらの世界で共に育んできた絆が、少女に自信を与えていた。だからここに、彼を連れてきたかったのだ。なつかしい場所、なつかしいひとたちを、今日くらいは存分に思い出してほしかった。 「―――おい?」 ぺたりとこちらの腕に貼りついてきた望美を、九郎は訝しんで見下ろした。 「いや?」 「……そうでは、ないが」 「ならいいじゃないですか」 これが人の多い鎌倉の通りで為されたことなら、九郎は無理にでも振りほどいただろう。 「今日は九郎さんのお誕生日だから、めーっちゃくちゃ甘えようって決めてたんです」 「お前がか。祝うというなら逆ではないのか」 「だって九郎さんはいつも、素直に甘えてくれないんだもの」 少女の声はすり寄られた男と、周囲の杉の木立だけが聴いていた。 「だからね、私が九郎さんのぶんまで甘えれば、ちゃんと恋人らしく過ごせるでしょ?」
―――ハッピーバースデー、九郎さん。
異つ国の言葉で綴られたその寿ぎの意味は、一年前に彼女が教えてくれたもの。 九郎は微笑み、その存在をきつく、己の腕の中に閉じ込めた。
了 |
**反転コメンツ**
2007年九郎ハピバ記念の無印ED後設定。特に関連はないけど去年のハピバSS設定の二人の一年後です。
現代に拉致って二年近いというマイ設定のため、そりゃ少しは自然にカップルらしく見えるだろ、と勝手に思ってます。
ところで本文にすごく入れたかった(けど入れるタイミングがなくて取りやめた)小ネタ。
二人が京都まで移動した際に使った新幹線はもちろん「のぞみ」です(笑)。