| 彼女は自分が女人だということを分かっていない。
「九郎さん」 確かに呼ばれたのは自分の名なのだと、理解はしている。 「九郎さんてば」 「…………」 無視。徹頭徹尾の、無視。返事どころか視線も動かさない。 「ねえ! いいでしょちょっとくらい付き合ってくれても、これも修行じゃありませんか」 「……お前の剣の腕ならば、その必要は」 「どんな事態でも想定しておかねばならないって、先生が言ってましたよ」 「…………」 内心で苦虫をまとめて噛み潰し、九郎はほんの少しだけ、師を恨めしく思った。 「……大体、頼む相手がどうして俺なんだ」 「え、だって、いきなり先生に挑んでも全敗確定だし、第一先生はおっきすぎて勝手が掴めないんですもん。だからまず、九郎さんに練習相手になってほしくて」 「…………」 「九郎さんだって先生に教わったんでしょう? 私にも稽古つけてくださいよ」 「…………」 頭痛がしてきた。まったくこんな状況で持病を出させるな、と思う。 「どうしてもダメ、なんですか?」 「…………」 返事をするのも億劫になり憮然としたままの九郎をどう見たのか。 「分かりました。じゃあ誰か別の人に頼んでみます」 「っな! 尚更駄目に決まってるだろう、この馬鹿!!」 大きな怒鳴り声も、口論に慣れた少女の感情には、砂粒ほどの波紋も与えなかった。 「だって九郎さん付き合ってくれないみたいだし。でもこればっかりは、自分一人じゃどうにもできませんし」 「〜〜〜っ!!」 ───ああ、くそ。 「……どうなっても知らんぞ」 唸るように絞り出された九郎の言葉の、意味を。
「えっと……まずは、どうするんですか?」 「とにかく隙を窺って退くのが最上だ。なければ作ってでも退け」 「難しくないですか、いきなりそれは」 「得物と素手では話にならんだろう。あっさり討たれるのが関の山だぞ」 今二人がいるのは、特に誰が使っている訳でもない、空いた局だった。 けれど。 「で、隙を作るのって、具体的にはどうすれば?」 「蹴るなり手刀なりで相手の得物も手放させるのが定石だが……お前はやめておけ」 「なんで!」 「お前な、素手の掴み合いで男に勝てると思っているのか」 頭ごなしに決めつけるようなその言い方が、かえって望美の反発を招くのだと、九郎も気づいてはいるのだが咄嗟には改められない。 「そんなの、やってみなきゃ分からないよ」 「やらんでも分かる。無謀にも程があるだろう」 「だってそれじゃあロクに稽古にならないじゃない!!」 「だから最初からそう言ってるだろう。お前がそこまでする必要はない。そんな危機に神子が陥るのを防ぐために、八葉があるのだろう?」 我ながらそこそこ上手く言いつくろえた、と九郎は思った。ああこれでようやく、この状況から解放される。先刻から間断なく疼きを訴えてくる頭も、少しすればおさまるだろう。 「何それ……一度引き受けて、それってあり? もういい、やっぱり別の人に頼むっ!」 ばっと身をひるがえそうとした少女の姿に。
「ぅわっ!?」 背を思い切り板張りの床に打ちつけ、望美は痛みに眉をしかめた。 「……たた……もう、何するんですか九郎さん!」 「───これで稽古をつけろなどと、まだ言うかお前は」 手首を拘束したままの九郎の声が、真上から降ってくる。視界が僅かにかげった。どうしてだろう、と考えかけて、自分の上にいるひとの影が顔に落ちているからだ、と分かった。それほどに近い距離。有り得ないほどの。 「あ、あの、ちょっと……九郎さん? どいてくださいよ」 「断る」 「は!?」 あまりにもきっぱりとした拒否に、望美は二の句が告げない。 「そうだな……お前が一つでも俺を振りほどけたら、どいてやるさ」 一つってなに、と質問しかけて、望美は気づいた。 「なっ……で、できっこないでしょ、これじゃあ!」 「やってみなければ分からんと言ったのは、この口だったよな?」 「そうだけど!!」 「……喧しい口だな」 視界のかげりが一気に強くなった。 単純な膂力の勝負に持ち込まれれば、女人である望美にはもはや挽回は不可能だ。 「…………っん、」 必死に振りほどこうとでもしているのか、捕らえたままの手首や足に力がこもるが、さして意識もせずにあっさりとねじ伏せてしまえるほどの儚さ。 ───少しは思い知るといい。 その身がおんなであることを。
彼女は何も分かっていない。
了 |
**反転コメンツ**
舞台未定でキレ気味の九郎と無意識に地雷を踏む神子。ネタだけは相当前からありました。
まあこんなに手が早いのは御曹司ではないと思うんですが、ほら人間体調悪い時は我慢もきかなくなるしね!(笑)
どこまで暴走するかは…お読みいただいた方々のお好きに妄想推奨ですー。うふふ。
(ちなみに書き手は最後までいけるかどうかは限りなくアヤシイと思ってます。だって基本はヘタレで四角四面だもんこの人)