バニラ

 

 少女の笑みとともに差し出されたものは、甘い匂いがした。

 

 

「こんにちは〜今日も暑いですね!」

 ドアを開けてやれば、ひょこりと内側に入り込んだ侵入者は、そんな無邪気な感想を述べながら九郎を見上げた。

「どうしたんだ、その荷物は」

 侵入者である望美は一瞬きょとんとしたが、すぐにああ、と頷いて肩にかけたバッグをどさりと降ろす。その音がまた結構な大きさだったものだから、それなりの重量だと見当がついてしまうので、九郎の困惑は一層強くなった。

「晩ごはんの準備をしようと思って。いろいろ持ってきたんです」

 死刑宣告。
 少なくとも九郎にはそう聴こえた。

「の、望美? その、無理をせずとも」

「なんか言いましたか」

 にっこりと、ひどく美しい笑顔の少女の背後から、妙なオーラが立ち昇っている。
 いや、だが、と視線をあちこちにさまよわせる九郎をじーっと見つめる少女は、あちらにいた頃の気迫が些かも衰えていない。

「───いや、なんでもない」

「そうですか」

 望美は満足そうに頷いて、バッグを再度持ち上げようとした。だがその寸前で、当たり前のように九郎の手がそれをさらっていく。「かなり重いな」などと言いながらごく自然に行ってしまうそんな仕草が、ひどく優しい時間だと実感できる一瞬。
 幸せだなあ、とごく自然に思い、望美の頬はふんわりとゆるんだ。
 追いかけていって、キッチンテーブルの上に中身を並べる。野菜や魚といった食材が出てくるものとばかり考えて、ついでに覚悟していた九郎は、ずらりと並んだタッパーの群れに目を瞬かせた。

「なんだ、これは」

「材料ばっかり買ってきても、九郎さんだって結局自炊まだヘタでしょ。だからうちで作ったやつを、食べるだけ持ってきたんです」

 お前ほどじゃない───という言葉をかろうじて呑み込むくらいは、鈍感な元御曹司でもできるようになっていた。

 こちらに来てからしばらくの間厄介になっていた有川家を出ると決めたとき、望美は心配そうな顔を見せたが、引き留めはしなかった。『九郎さんならそのうちそう言うと思った』などという答えが返ってきたので、たいがい彼女に隠し事はできないなと改めて実感した。
 代わりのように『私も時々遊びに行かせて』とせがまれ、望美の母親や有川夫人(時々は譲の料理も混じっているらしい)からの差し入れを手に、少女は笑顔で休日のたびに九郎の部屋を訪れる。

「お前が作ったのか? それとも母御か、将臣たちの母御か」

 やや引きつった声で確認を入れるが、望美は謎めいた笑みを浮かべるだけ。

「さあ? 愛があれば食べて分かるんじゃないんですかね」

「…………」

 痛み始めた頭の片隅で、買い置きの胃薬は残っていただろうか、と九郎は思った。
 そんな恋人を見上げて苦笑した望美は、助け舟を出すことにした。なんと言っても、自分の料理の腕前は自覚している。せざるを得ない状況に陥った、と言ったほうが正しいが。

「作ったのは私ですけど、ちゃんとお母さんの指導のもとで、味見もしてもらいましたよ」

「そ、そうか!」

 あからさまに表情を明るくした九郎の足を思い切り踏んづけたのは、この際ご愛嬌ということにしておいてもらおう、と思いながら、望美は頷いた。

 

 

「あ、いっけない忘れてた。冷凍庫空いてます?」

「なんだ?」

「アイス買ってきたんですよ、バニラアイスクリーム。冷たくて甘いの」

 溶けちゃう〜などと言いながらごそごそとバッグの底を漁っていた少女が、やがてカップアイスを両手にひとつずつ取り出した。
 甘味も涼味もあちらでは贅沢な品物だったせいか、成人男性のわりに、九郎は平気で甘いものを口にする。だからきっと気に入るだろう、と思って、ちょっと値が張るけれど美味しくてお気に入りのバニラアイスを買ってきたのだ。

「ば、ばにら……?」

「アイスクリーム。半分凍ったまま食べる、甘いお菓子です」

「甘いのか、これ」

「そう。で、とっても冷たい」

「なら、今、食べてみたい」

「へ?」

「だめか?」

 子どものようにカップをじいっと見つめる九郎は、到底元武将には見えない。
 デザートのつもりで買ってきたんだけどな、と思ったが、そんな九郎の様子も可愛らしいと思ってしまうのだから、望美に勝ち目はなかった。

「うーん……じゃあ、まだゴハンの前ですから、ひとくちだけ」

 せっかく作ってきた力作も食べてもらいたい。いくら自分も好きだとは言え、バニラアイスに手料理が負けるのは、乙女(と言えるかどうかは甚だ怪しいが)として悔しい。
 スプーンを取り出し、カップを開けてひとさじすくう。
 ふと悪戯を思いついて、望美はにっこりと笑いながら、スプーンを九郎に差し出した。

「はい九郎さん、あーん」

 きっと真っ赤になって照れてくれるだろう。
 そう、望美は踏んでいた。

 だが。

 

 

 ぱく。
 なんの躊躇もなしに、それこそ親鳥からの餌を待ちわびていた雛のように、九郎はそのスプーンの先を口に含んだ。

「…………!?」

「───美味いな! 本当に冷たくて、甘い」

 かっちりと固まった望美に気づかず、そんな呑気な感想を述べる九郎。

「お前も一口、どうだ?」

「…………」

「ほら、匙を貸せ」

 いまだ固まったままの少女の手からスプーンとカップを取り上げ、九郎は望美が先ほどしてくれたように、適当にアイスをすくう。

「ほら」

 ずいと目の前に差し出されたスプーン。
 それに乗っかっているバニラアイスクリーム。
 その向こうに見える、満面の笑顔の恋人。

 望美の頬がぼっと染まった。

「けけけ結構ですっ! 私はその、デザートでいいから!!」

「何故だ? こんなに美味いのに、一口くらいいいだろう」

「そんなに気に入ったんなら、両方九郎さんにあげますから!」

「一人で食ってもつまらんだろう。お前が買ってきてくれたのだから、二人で食べたい」

「いいですってば! そ、それより、溶けちゃいますよ!?」

 言われて九郎はスプーンの先を見た。
 確かに、店の冷凍庫から出され、保冷剤つきとは言え炎天下をバッグの中で持ち運ばれて、今なお冷凍庫に入れてもらえないバニラアイスは、とろんととろけ始めている。
 勿体無いな、と思った。せっかく美味いものなのだから、望美にも食べてほしい。

「あ」

 九郎は望美に向けていたスプーンを、自分の口に運んだ。その途端、知ったばかりの甘い匂いが鼻腔に広がる。
 カップとスプーンをテーブルに置き、望美を引き寄せた。

「んむ!?」

 甘い甘いくちづけは、バニラの匂いよりも甘かった。

 

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**反転コメンツ**
無印EDからしばらく後っていう感じで現代の夏SS。ありがちだけど幸せ100%もたまにはいいなーと思いまして。
頭わいてるバカップルですが、夏だからいいよね…これくらいはやってほしいよ現代に慣れてきたら。
ところで私、神子は料理が壊滅的にヘタクソだと思ってますが、現代でなら徹底的に特訓すればそれなりにはなるのではないかと。
あっち世界であれだけハイレベルな料理ができる譲くんがスゴイのであって、比較対象が悪すぎるんだと思う(笑)。